さらりと脱ぎ捨てる しっとりと包み込む『花宵道中』レビュー


hanayoi――さらりと脱ぎ捨てる しっとりと包み込む―― 『花宵道中』レビュー

安達祐実、言わずと知れたスタア女優。
芸能生活30周年を迎えると言うから、年齢と芸歴がほぼイコールと言うことになる。映画に、テレビドラマに、CMに――その活躍ぶりは、枚挙に暇がない。“代表作”を選出するだけで世代間で大きく意見が異なるのは間違いない、日本を代表する大女優の一人である。

近作では『野のなななのか』(監督:大林宣彦/2013年)にて、全く肌の露出が無かったにも係わらず、“少女性”から匂いたつその強烈なエロスに目を奪われたことは記憶に新しい。
その安達祐実が、最新作『花宵道中』では大胆な濡れ場に挑戦する。
もちろん、フルヌードである。バストトップも確りと晒している。

『花宵道中』Story:
江戸末期の新吉原。囚われの身ながらも地道に働き、間もなく年季明けを迎えようとしていた人気女郎・朝霧(安達祐実)は、縁日で半次郎(淵上泰史)という青年と出会う。幼い頃に母から受けた折檻のつらい記憶から、心を閉ざし空っぽな日々を送っていた朝霧だったが、半次郎に生まれて初めて胸のときめきを感じ、今まで知らなかった女性としての気持ちが徐々に目覚めていく。しかし、過酷な現実が彼女の運命を大きく変えてしまう――。

女優が“脱ぐ”理由は、様々だろう。だが、どんな理由があろうとも、共通して不可欠なものがある。それは、必然性である。脚本の素晴らしさでもいい、監督が持つ演出手腕の妙でもいい、作品世界の芸術性でもいい。なんにせよ、納得して脱いでこそ魂を込めることが出来る――そう思う。
そして、絶対に欠いてはならないものがある。それは、作品の面白さである。
一世一代の決心を持って撮影に臨んでも、肝心の映画が駄作では“脱ぎ損”と放言されるのみだ。
スポットライトを浴びる映画スタアは常にそんなリスクと隣り合わせで、映画ファンはそんなギリギリの“役者魂”を見物するために木戸銭を払う残酷な生き物なのだ。

その点、『花宵道中』は安達祐実が“脱ぐ”に相応しい映画である。
『ソフトボーイ』(2010年)『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(2010年)のメガホンを取った豊島圭介監督の演出は冴え渡り、新進気鋭の宮木あや子氏の話題作を原作とした鴨義信氏の脚本も良い。脇を固める演者も、安達祐実の晴れ舞台を盛り上げようと奮闘している。

津田寛治は悪役をこれでもかと言わんばかりに怪演しているし、『ぼっちゃん』(監督:大森立嗣/2012年)でエキセントリックな仇役を好演した淵上泰史が見せる陰のある静かな佇まいも光る。不破万作や高岡早紀の抑えた演技も好印象だ。また、『ももいろそらを』(監督:小林啓一/2011年)での瑞々しい演技が光っていた小篠恵奈が少女から女郎へと成長していく様は、物語に効果的なアクセントを齎している。
そんな出演陣の熱量に応え、安達祐実も堂々の遊女ぶりを見せる。厭客に対して切る啖呵を、お聴き逃しなく。凛とした表情を、お観逃しなく。そして何より、脱ぎっぷりが素晴らしい。

だが、特筆すべきは可憐さなのだ。女郎の身でありながら、男が最期の相手に求めたくなる朝霧――色香の中に漂うそこはかとない可憐さは、子役時代から輝き続けてきた安達祐実だからこそ醸し出せる天才の証である。
人はそんな可憐な存在に、一夜の夢を見てしまうのだ。

叶わぬ夢だと知っていても……否、だからこそ、“儚さ”は人々の心を捕らえて離さないのだ。
そして、黒色すみれが歌う終劇曲の碧い輝きが、102分の儚い夢を見た観客をしっとりと包み込む。
スタア安達祐実が“脱ぐ”必然性を、さらりと成立させてしまう――『花宵道中』は、何から何までがそんな映画なのだ。

文 高橋アツシ

『花宵道中』 R-15+
出演:安達祐実 淵上泰史 小篠恵奈 三津谷葉子 多岐川華子 立花彩野 友近 高岡早紀/津田寛治 監督:豊島圭介
製作:東映ビデオ 配給・宣伝:東京テアトル © 2014東映ビデオ
2014年11月15日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
『花宵道中』公式サイト

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