一流シェフの仕事術『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』レビュー
以前勤めていた小さなベンチャー企業の社内には本棚があって、事業であるIT関連のもののほか、たくさんのビジネス本が並んでいた。ほとんどすべて、その会社の若い社長の私物だった。
野心あるビジネスパーソンの多くは、ビジネス本を毎日のように読んでいる。なかには読書は別に好きじゃない、小説なんて読むヒマはないという人もいるだろう。
そんな人が、豪華なヴェルサイユ宮殿や世界各地の風光明媚な食と風景を映し出したドキュメンタリー映画に興味を持つかといったら、おそらく持つまい。しかし『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』は、人を動かす立場にいる、立場になりたいと志す人におすすめの作品なのだ。
本作は現代もっとも著名なシェフのひとりであるアラン・デュカスに、2年間密着したドキュメンタリー映画。ストーリーの軸はルイ16世やマリー・アントワネットの食卓を再現するレストラン〈オーレ〉をヴェルサイユ宮殿内にオープンするという、デュカスがリーダーを務めるプロジェクトだ。
アラン・デュカスはフランス生まれ。ミシュラン史上最年少で3ツ星を獲得し、現在はパリ・モナコ・ロンドンの3ツ星レストランの指揮をとる。国際的な会社経営者でもあり、フォーマルなレストランからカジュアルなプラッスリーまで、30以上の店舗を世界中で運営している。
世界最高峰のシェフがヴェルサイユ宮殿内初のレストランを作り出す…それだけで十分映画になりそうなほどドラマチックな出来事だが、意外にもこのプロジェクトはストーリーに筋道を与える軸にすぎず、メインはデュカスの日々の仕事だ。
スクリーンの中でデュカスは世界中を休みなく飛び回る。行き先はパリやニューヨークといった大都会だけではない。ある時は中国のチョウザメ養殖所へ飛んでタッパーからキャビアをつまみ、ある時はブラジルのカカオ農園へ飛んで果実からとれたての生カカオ豆をパクリ。年に4、5回は訪れるという日本に来た際は、自身のレストラン『ベージュ アラン・デュカス 東京』や京都にある行きつけの高級割烹料理店はもちろん、デパ地下のケーキにも興味津々。
各国の豊かな食と風景に目を奪われながら、同時に驚かされるのは、食に対するデュカスの姿勢だ。中国、ブラジル、日本、モンゴル…デュカスはどこへ行っても何を出されても、すべてに目を輝かせ、味わい深そうに口にする。
「食べる」とは自分の体にとりいれる行為だ。偏見はよくないと思いながらも、未知の食べものに対して、つい口にするのをためらってしまった経験は誰でもあるんじゃないだろうか。デュカスにはそれがまったく見られないのである。
デュカスの食に対する度量の広さは、そのまま人に対しても現れている。劇中、デュカスは自身が経営する各国の店舗を訪れ、たくさんの部下と接するが、誰かを叱責するシーンはほとんど皆無なのだ。
本作のメガホンをとったジル・ドゥ・メストル監督は「厨房を任せる方法を知る類まれなシェフには、人間関係を管理し、どこでも誰にでも完璧を求めることのできるユニークな能力がある」とデュカスの経営者としての才能を分析する。
デュカスの求める完璧とは、自分の完璧を再現してもらうことではなく、その相手ならではの完璧にたどり着いてもらうことなのかもしれない。少なくとも彼が部下に、自分の手足のようになってほしいなどとは微塵も望んでいないことは明白だ。「悪くないけど、パンチが足りない」のようなダメ出しはしても、部下の提案に対して「そんなやり方はダメだ、こうやれ」と一蹴するようなことは決してない。
こんな経営者のもとならきっと、各国それぞれの風景と同じくらい、彩り豊かな才能が育っていくことだろう。
そんなデュカスが、しかし自分のやり方を断固として主張したものが1つある。「シャンパンは客の見ている前でグラスに注ぎなさい」だ。デュカスがこのセリフを口にするシーンはなんと劇中2度もあり、最初は映画が始まって間もない頃、最後は映画の終わる少し前。
同じセリフなのに印象はまったく違う。一度目セリフでは「やっぱりシェフはこだわりが厳しいのかな」と感じ、二度目のセリフではあんなに寛大な人なのにと、思わずクスッと笑ってしまう。メストル監督が仕掛けたジョークだろう。
一流のシェフと世界各地の食と文化を堪能できることに加え、優れた経営者の仕事ぶりにも接することができる本作。普段「映画なんて観ているヒマは…」と思われている多忙なビジネスパーソンにも、食わず嫌いせず、ぜひ観てほしい一作だ。
文 澤田絵里
『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』
配給:キノフィルムズ/木下グループ
© 2017 OUTSIDE FIMS – PATHÉ PRODUCTION – JOUROR FILMS – SOMECI.
10月13日より、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー