未来を掴むため、私は戦う『未来を花束にして』レビュー


すべてに始まりの物語がある。
現代の私たちが’あたりまえ’に享受する権利には、多くの先人たちの苦闘の歴史がある。本作『未来を花束にして』で描かれる女性参政権もそのひとつだ。これは100年前の女性たちから現代の私達へと繋がる、希望の物語。

1912年のロンドン。劣悪な環境の洗濯工場で働く24歳のモード(キャリー・マリガン)は、同じ職場の夫サニー(ベン・ウィショー)、息子ジョージと慎ましく暮らしていた。職場は男性が支配し、長時間働いても賃金は男性の3分の2、女性たちは身体を壊しながら、耐え忍び働いていた。7歳から働きづめのモードも、そんな人生を受け入れ生きてきたーーあの日までは。

ある日洋品店の前を通りかかったモードの前で、ガラスに石が投げ込まれる。’女性に参政権を!’叫ぶ女性たちの中に、同僚のバイオレット(アンヌ=マリー・ダフ)の姿があった。彼女らは’WSPU(女性社会政治同盟)’のメンバーで、急進的な女性参政権運動を行っていた。
自身の薬局を集会所として提供する薬剤師のイーディス(ヘレナ・ボナム・カーター)らとも知り合うが、活動参加には踏み切れないモード。しかし、下院の公聴会で女性の労働環境を証言することになり、彼女は心に秘めたある想いに気づく。
ーーもしかしたら、他の生き方があるのでは?そして、彼女の人生は大きく変化していく。

イギリスで男女平等による普通選挙が実現したのは1928年。本作はそれより以前、抗議運動が高まっていた1912年が舞台だ。数十年にわたる平和的抗議活動は政府に無視され続け、実在のエメリン・パンクハースト夫人(メリル・ストリープ)はWSPUを率い、過激な抗議活動を展開していた。投石、デモ行進、郵便ポストの爆破、刑務所でのハンガーストライキ…階級を超え共闘した女性たちの姿が鮮烈に描かれる。歴史的な転換を扱ってはいるが、しかし、けしてフェミニズムを描いた堅苦しい作品ではない。

主人公のモードは7歳から働きづめで、教養や思想とは無縁の女性だ。誰かにフェミニズムの何たるかを吹き込まれる機会すらもない。しかしWSPUの活動を知り、彼女は強烈に引き込まれていく。近所からは白い目で見られ、優しかった夫は世間体を気にするばかりで全く理解してくれない。仕事や家庭、そして大切な息子まで失う危険を犯し、なぜモードは活動に身を投じていくのか?

職場で性的な嫌がらせを受けても逆らえず、家計は夫が管理し、母親には親権が無い。当然と受け入れていた人生のはずが、いつしかモードの中に降り積もっていた違和感。それはパンクハースト夫人の言葉によって確かな意思となる。「将来生まれる少女たちが、兄や弟と同じ機会を持てる時代のために戦うのです」ーーそれは、未来への希望が生まれた瞬間だった。階級や教養の有無に関わらず、モードたち女性が声を上げたのは、’正当な権利をもち、人として尊重される’という、あらゆる人間に本能的に沸き上がる願いだ。これは決して、女性だけの話ではない。

モードを演じたのは若手演技派の筆頭、キャリー・マリガン。彼女の演技は’自然’と表現するのが不自然なほど、しなやかで、ありのままだ。凛々しく変貌するモードは、彼女にしか表現しきれなかっただろう。知的なまとめ役イーディスをヘレナ・ボナム・カーター、同志のバイオレットをアンヌ=マリー・ダフ、モードの夫サニーをベン・ウィショーなど、豪華俳優が脇を固めている。カリスマ的リーダー、パンクハースト夫人を演じたメリル・ストリープは登場時間こそ少ないが、さすがの圧倒的存在感だ。女性たちの逞しい闘いをスクリーンに甦らせたのはサラ・ガヴロン監督。女性参政権の映画を作ることが長年の願いだったという。

こうしてまた知るべき歴史をまとった、観るべき作品が誕生した。100年後の私達は、さらに100年後に何を託せるだろう。希望は絶えることなく、繋がっていく。

文:小林サク

『未来を花束にして』
2017年1月27日(金)TOHOシネマズシャンテ他全国ロードショー
© Pathe Productions Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2015. All rights reserved.

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