余韻が残る映画館『別府ブルーバード劇場』(大分)



逢いに行きたくなる映画館がある。
カメラ片手に全国をめぐり、映画とともに生きる人たちの想いをつづる旅。

日本有数の温泉街、別府。この地に昭和24年よりたたずむ映画館がある。看板娘と言わずにはいられない岡村照支配人と一緒に歩んできた『別府ブルーバード劇場』。

終戦後は、別府にも20館くらい映画館がありました。昔、新聞社の方に「最後の1館になるまで頑張ります」なんて言ったことがありましたが、本当にその通りになってしまいました。(岡村支配人)
テレビがなく、娯楽の王様が映画だった時代から半世紀以上が経った。次々に閉館に追い込まれる映画館を横目に、ビルの改修や、昭和24年(1949年)の開館から20年ほどで先代のお父様が他界。以降は岡村支配人が守り続けて今に至るが、別府唯一の映画館となるまでいい時ばかりではなかったことがうかがえる。

対面でチケット販売をしているので、コミュニケーションが取れるんです。「いい映画でしたね」「感動して泣きました」という言葉が、長く続けていて良かったと思える嬉しい瞬間です。(岡村支配人)
誰かに伝えたくなる作品がある。出逢えた喜びを共感してもらいたい時がある。お客さんにとって間違いなく分かち合えるのは、“作品を選んで上映した人”である。もし筆者が映画館で働く人だったなら、帰っていくお客さんの表情を1人1人確認してしまいそうだ。お客さんの想いや言葉が、続ける支えとなり得るものである。

大分にシネコンができたので、若い方はそっちに行ってしまうんです。「子供の頃によく来た」という方が大人になっても観に来てくださるので、常連さんはシニアの方が多いですね。(岡村支配人)
シネコンの自動発券機がわずらわしいというシニア世代も多いだろう。もちろんシネコンの幅広い上映数や設備の良さも大事だが、気軽に行ける、居心地のいい場所に在り続けてもらいたいという勝手な願いは、映画館に限らず誰にでもあるはずだ。

『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』は別府が舞台なので、寅さんが来ました。公開当初は松竹から賞をいただくほど大盛況で。舞台挨拶を開催すると、温泉もありますから監督さんたちにも気持ちよく帰っていただいています。(岡村支配人)
過去には『日活ブルーバード劇場』、『松竹ブルーバード劇場』を名乗っていた時期があり、昭和を象徴する大衆映画「男はつらいよ」シリーズの『花も嵐も寅次郎』(1982年公開)は、最大の興行収入になったという。また、数々の映画賞を総なめにした、藤山直美主演の『顔』(2000年公開)では、劇場内が撮影で使用されたことが縁でその後も阪本順治監督の作品はほぼ上映しており、岡村支配人の義理堅さも垣間見える。

古いフィルム作品を上映すると、長崎や福岡など、新幹線に乗って遠方から来てくださる方もいるんですよ。(岡村支配人)
映像の美しさや利便性により、デジタル化が急激に進んだ。しかし、フィルム作品が醸し出す味にはかなわない部分は確実にある。フィルムとブルーレイで上映しており、全国でここでしか上映していないフィルム作品を観るために、わざわざ遠方から訪れてくれるお客さんの思い出に触れることも、原動力になっていることは間違いない。

「私が健康な間は、まだまだ続けて行きたいですね」と、にこやかに語る岡村支配人。なんだかホッとさせてくれる笑顔と人柄が詰まった『別府ブルーバード劇場』に訪れる意味は、そこにもある。

温泉のぬくもりのように余韻が残る映画館、『別府ブルーバード劇場』。

取材 南野こずえ

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