叫べ!沈黙は服従なり!『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』レビュー



アドルフ・オットー・アイヒマンは、第2次世界大戦当時ドイツ親衛隊(Schutzstaffel 略称:SS)の中佐であり、戦後は国際手配された戦争犯罪者である。アイヒマンはナチによる“ユダヤ人問題の最終的解決”、即ちホロコースト(殲滅政策の手段としての虐殺)に深く係わり、SS時代には人々を強制収容所(Konzentrationslager 略称:KL)へ輸送する際の指揮的役割を担ったとされている。彼の命令によりKL送りとなったユダヤ人は、数百万とも言われている。
アドルフ・アイヒマンが命を落とす1962年までの数年間の西ドイツ、それが『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』の物語の舞台である。

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』ストーリー:
1950年代後半、西ドイツ・フランクフルト州の検事長フリッツ・バウアー(ブルクハルト・クラウスナー)の元へ、一通の手紙が届く。それは、バウアー検事長が検挙に執着するナチス戦犯の中でも、捜査の糸口さえ見付かっていない大物、アドルフ・アイヒマン元中佐の情報であった。
バウアーは、信頼できる唯一の部下、カール・アンガーマン(ロナルト・ツェアフェルト)に計画を話す。アルゼンチンに潜伏しているという情報が真実なら、西ドイツの検事には手出しが出来ない。他国の情報機関へ非公式に協力を要請するくらいしか、アイヒマンを捕獲する手立ては無い。
だがそれは、国家反逆罪に問われかねない違法行為である。職責と正義、国家とアイデンティティ……バウアーは、そしてカールは、真実を追い求める先に何を見出すのか――。

アドルフ・アイヒマンは1960年アルゼンチンでイスラエル諜報特務庁(通称:モサド)局員に逮捕、拘束されたが、その捜査手法に関しては半世紀以上も謎のままであった。『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』は、そんな現代史のミッシング・リンクを埋める実録ドラマである。戦後処理の暗部に光を当てる難業に真正面から挑んだのは、ドイツが誇る気鋭ラーズ・クラウム監督。『コマーシャル★マン』(ドイツ/2001年/109分)の爽快さに胸を打たれた映画ファンも多いだろう。『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』はドイツ国内で大ヒットを記録し、ドイツ映画アカデミーが主催するドイツ映画賞で作品賞、監督賞、脚本賞など6冠を獲得した。

タイトルに“ナチスがもっとも畏れた男”とあるが、ブルクハルト・クラウスナーが演じるフリッツ・バウアー検事長をおそれたのは、逃亡中の戦犯だけではない。敗戦からの復興から経済成長へと社会が大きくシフトしつつあった1950年代の西ドイツでは、戦後処理は既に終わったとの考え方が大勢を占め、更にナチの残党が国全体に蔓延っていた。それはバウアーが検事長を勤めるフランクフルト検察も同様で、戦争犯罪の絡む証拠物件や重要書類が紛失するのも日常茶飯事という状況であった。国際法廷の訴追を逃れた旧ナチの残党は社会の中枢部まで根を張っており、戦時中ナチの党員であった者まで含めるなら少数とは言えない勢力なのだ。握りつぶされる証拠品、妨害される捜査、陰に日向に繰り返される脅迫……まさに四面楚歌の情勢の中、バウアーが頼れるのは、ロナルト・ツェアフェルトが演じる若き検察官カール・アンガーマンだけなのだ。

そして、職務を遂行する上で、大きな苦悩がもう一つあった。それは、バウアーがユダヤ人であることであった。被害の当事者と言える自分自身に、戦争犯罪人を糾弾することが出来るのであろうか。アイヒマンに対してやろうとしていることは、本当に正義なのか。バウアーを突き動かしている衝動は、正義感ではなく復讐心ではないのか。大いなる煩悶の果て、バウアー検事長が、カール検事が辿り着く真実とは――。

多数派(マジョリティ)の意向だけが優先される、そんな社会で良いのか?数の論理によって行く末が決まる、そんなのが民主主義と呼べるのか?正義を失くしたままの国、そこに住む国民に未来はあるのか?
バウアーが自問自答し、声を大にして訴える弁証、演繹、帰納、主張の一つ一つが、ドイツ国民の心を強く揺さぶったのであろう。ドイツ人の犯罪者をドイツ国民の手でドイツ国内において裁くことの意義を鋭く訴えた『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』であるが、その重厚なテーマと同じくらい重要なことは、その映画をドイツ人監督が撮りドイツ国内で評価されたことである。歴史を検証するからこそ、善き未来を築くことが出来得るのだ。

それは、ドイツに限ったことではない――ことは、賢明なる読者諸兄姉には言うまでもないことだろう。
不寛容に塗れ、打算が幅を利かせ、保護主義が好とされる現代、『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』はまさしく時代が求めた作品である。映画という総合芸術が内包する時代性は、時に遍く人々に光をもたらすのだ。国籍を越えて、民族を超えて、信条や性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)をも乗り越えて――。

文:高橋アツシ

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』
2017年1月7日(土) Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
© 2015 zero one film / TERZ Film

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