『侍タイ』が生んだ第二のシンデレラボーイ・田村ツトムインタビュー
映画『侍タイムスリッパー』の劇中劇で、心配無用ノ介こと錦京太郎役を演じ、インパクトのあるキャラクターで根強い人気を博した。映画を飛び出し、7月16日よりBS-TBSで放送がスタートするスピンオフドラマ『心配無用ノ介 天下御免』では主演を務め、新たな挑戦に臨んでいる田村ツトム。俳優人生の始まりには、萩本欽一との思いがけない出来事、恩師・紅萬子との出会い、そして『侍タイムスリッパー』との運命的な巡り合わせがあった。50代で初めてドラマ主演をつかんだ田村が、これまでの歩みを振り返った。

■萩本欽一との思いがけない出来事
この世界に飛び込んだのは20歳の時です。その前、19歳の頃に、萩本欽一さんの『欽ちゃんシネマジャック』というオムニバス形式の映画がありました。上映会で次回作のキャスト募集をするという告知をテレビで見た友人が、「お前、テレビに出たいって言ってたよな」と教えてくれたんです。
僕はもともと有名人になりたかったんですよ(笑)。学生時代はとにかく人前に出ることが好きで、ムードメーカーでしたね。卒業式では校長先生に突然壇上へ上げられて、「先生のモノマネをしろ」と言われたこともあります。PTAの皆さんが大笑いしてくれるのが嬉しかったです。高校野球をやっていたので、甲子園に出て有名になりたいという夢もありましたが、それは叶いませんでした。
その『欽ちゃんシネマジャック』の上映会へ行ったんです。握手会で履歴書を持って並んでいると、萩本さんが「何持ってるんだ?」と聞いてくださり、「履歴書です」と答えると、「何に出たいんだ?」と。「映画に出たいです」と言ったら、スタッフを呼んで封筒に「合格」と書き、「この子、合格!」と言って、横にあったポストへ入れたんです。僕はそれを本気にしました。当時通っていた専門学校に戻って、先生たちに「就職先が決まりました!」と報告しましたからね(笑)。
半年ほど経った頃、萩本さんの事務所から連絡がありました。次の上映会でステージへ上げられ、欽ちゃんに「これからデビューするけど、今の気持ちは?」と聞かれたんです。新聞社やテレビ局も来ていて、記者会見でした。その時は本気で、「僕、有名人になるんや」と思いました。

■デビュー直前で味わった挫折
その後、映画のロケに参加することになりましたが、僕は芝居のことを何も知りませんでした。撮影前日のリハーサルでは、カップラーメンを萩本さんに渡すだけの芝居を2時間近くやっても、OKが出ませんでした。すると萩本さんが、「明日の撮影ができないから、他の人にやってもらおう」と言ったんです。取材に来ていたアナウンサーの方が代わりにやったら、一発でOKだったんです。
僕は役を外され、リハーサル会場に一人だけ残されました。電気まで消されて。地元では「スターになる」と送り出されてきたのに、どうやって帰ろうと思いました。本当に心が折れましたね。
その夜、助監督から電話があり、「映画に出たいか?」と聞かれ、「出たいです。そのために来ました」と答えました。すると、「萩本が、映画を勉強したいならロケについて来いと言っている」と言われました。そこから一週間、出演シーンはないのに毎日ロケバスに乗り、撮影現場を見ているだけでした。結局、出演はワンシーンのエキストラのみになりました。
でも、その悔しさがあったからこそ、この世界に入りたいと思えたんです。ロケ終了後に「欽ちゃん劇団に入れてください」とお願いしたのですが、「君はまだダメだ。勉強したいなら地元で勉強しなさい」と言われました。だから僕は、欽ちゃんに会いたいんです。あの出来事があったから今があるので。

■紅萬子との衝撃的な出会い
その後、大阪で事務所を探し、松竹芸能へ入りました。そして養成所で出会ったのが、講師である紅萬子さんです。20歳の夏でした。僕の師匠です。
第一印象は忘れられません。真っ赤なワンピースに真っ赤なハイヒール、真っ赤な口紅。黒いサングラスをかけて真っ赤なスポーツカーで現れたんです。サングラスを少しずらして僕たちを見ながら、「新しい子、入ったんか」と。そしてタバコに火をつけて、「授業はじめよか」と。衝撃的でした。テレビでは拝見していましたが、生の紅さんは怖かったですね(笑)。
初日の自己紹介が終わった時、紅さんが突然、「お前と、お前と、お前は辞めるやろ」と言ったんです。その中に僕も入っていて、その後も毎日のように言われ続けました。夢を持って入ったので、心のなかでは「なに言ってんねん!」って思っていました(笑)。
紅さんとの関係が変わったのは、エチュード(即興芝居)をやる授業でした。僕の芝居がたまたま紅さんに刺さったんです。すると、「お前、おもろいやないか!」と言ってくださって。そこから紅さんは、さまざまな養成所で僕のことを「松竹芸能におもろいやつが入った」と噂を流してくださっていたそうなんです。僕は全然知らなかったんですけど、現場に行くと「あなたが田村さんですか」と声をかけられるようになりました。本当にありがたいことでした。

■朝ドラをきっかけに積み重ねた経験
養成所へ入って3か月ほど経った頃、NHK連続テレビ小説『走らんか!』のオーディションがありました。全国規模の大きなオーディションでしたが、最終候補まで残りました。
後から聞いた話では、二人まで絞られていて、そのうちの一人が僕だったそうです。主演には選ばれませんでしたが、「田村もどこかで使おう」と言っていただき、菅野美穂さんの恋人役で出演しました。それが僕のドラマデビューです。
その後も、多くの朝ドラに出演させていただきました。『ふたりっ子』では、菊池麻衣子さんが演じる主人公のライバル役も演じましたね。振り返ると、本当に幅広い経験を積ませてもらったと思っています。
■49歳で事務所を退所した理由
松竹芸能には20歳から49歳まで所属しました。退所を決めたのは、自分の中で何かが止まっているような気がしたからです。芝居にもマンネリ化を感じていました。このまま同じことを続けて老いていくのも嫌で、新しいことに挑戦したくなったんです。
インディーズ映画のお話もいただいていましたが、事務所に所属していると自由に動けないこともありました。だから、50歳になる前に辞めようと決意したんです。もちろん不安で怖かったです。でも、それ以上にワクワクする冒険心の方が強かった。自分で何かを始めたい気持ちの方が大きかったです。

■『侍タイムスリッパー』との運命的な巡り合わせ
退所してしばらくした頃、安田淳一監督から連絡をいただきました。「時代劇のインディーズ映画を撮りたいのですが、出演してもらえませんか」と言われ、「インディーズで時代劇なんて、どれだけお金がかかるか知ってますか?」と、生意気にも返しました。でも監督は「それも承知した上で作りたいんです」とおっしゃるんです。
台本を読んだのですが、途中からどんどん引き込まれていきました。半分くらい読んだところで、「これ、ほかの誰かに決まったらあかん!」と思ったんです。すぐに監督に電話して、「この役を僕にやらせてください!」と伝えました。フリーになって初めての本格的な仕事でした。安田監督は以前から、僕が出演していた紅さんの舞台の撮影を担当されていて、それで僕のことを覚えてくださっていたそうです。
実は、僕が出演するきっかけを作ってくれたのが、(沙倉)ゆうのちゃんなんです。心配無用ノ介の役だけが決まってなかったんです。
(後ろで話を聞いていた沙倉)「心配無用ノ介役の候補が数名いたんです。田村さんと仕事でご一緒したことはなかったんですけど、プロフィールの顔で選びました(笑)。正統派なので、田村さんがいいんじゃないですかと私の意見として安田監督に伝えましたね」

■錦京太郎に込めた思い
『侍タイムスリッパー』で演じた錦京太郎は、ただ格好いいだけのキャラクターにはしたくありませんでした。人から愛される人物にしたかったんです。大御所の方は怖そうに見えても、実際にお会いすると皆さん本当に優しい。だから錦京太郎も、そんな感じにしようと思いました。
二枚目だけど少し可愛げがある。僕の中では二枚目と三枚目の間で、「二・八枚目」くらいのイメージでした。格好つけるところは格好つける。でもどこかでクスッと笑える。そんな人物像を目指していました。
■今でも信じられない受賞
2024年9月14日に行われた関西での舞台挨拶で、僕は初登場したのですが、『侍タイムスリッパー』の反響は想像以上でした。その後、扮装で舞台挨拶をやったり、扮装のまま渋谷の街を歩いたり。池袋シネマ・ロサで舞台挨拶をした時は、思わず涙が出ました。応援してくださる皆さんの気持ちが、本当に伝わってきたんです。
そして、「第48回日本アカデミー賞」の最優秀作品賞は、今でも信じられません。その日は、アカデミー賞の会場にいる安田監督や馬木也さん、ゆうのちゃんたちが戻ってくるのを、『侍タイムスリッパー』のキャストと関係者で近くのパーティ会場で待っていました。パーティの途中で受賞結果を知って、みんなで喜んで、ホテルに戻った時に受賞の瞬間をテレビで見ました。それを見て僕も泣きましたし、携帯電話も鳴り止みませんでした。家族も親戚も友人も、みんな喜んでくれたんです。

■ファンの存在が励み
その後、『心配無用ノ介 天下御免』のお話をいただきました。50歳を過ぎて、何か一旗揚げたい気持ちはありましたが、まさか時代劇ドラマで主演を務めるとは夢にも思っていませんでした。しかも、自分自身、時代劇に苦手意識を持っていたんです。
クランクインとなった3月28日と29日の2日間は、地に足がついていなかったんです。それから撮影が1か月空いたことで、演技やモチベーションとの向き合い方を見つめ直すことができました。一度リセットできたので、落ち着くことができました。よく「見られながら芝居をするのはやりにくくないですか」と聞かれるんですが、僕は逆なんです。見守ってくださるファンの皆さんの存在が、本当に癒やしであり励みになり、大きな力になりました。
■主演作を成功させたい
もちろん、売れたい気持ちがないわけではありません。でも今はまず、『心配無用ノ介 天下御免』を成功させることです。主演を任せていただいた以上、責任があります。
そして、この作品をきっかけに、京都の撮影所がもっと盛り上がって、関西の俳優たちが活躍できる環境になってほしい。その中でまた自分も主演として求めていただけたらうれしいですね。
小劇場などの舞台では主演をやったことはあるんですけど、ドラマや映画などの映像作品では初めての主演なんです。今まで脇役をやっている時は、スターさんの苦労や考えていること、芝居に臨むための準備などは想像もつかなかったんです。でも、その役を与えていただいた以上、作品そのものを引っ張っていかないといけない。スターさんって本当に大変なんだなって痛感しています。
だからこそ、これまで現場で見てきた主演俳優の皆さんが背負っている責任の重さを、改めて感じています。その重みをしっかり受け止めながら、ひとつひとつの作品に向き合っていきたいと思っています。

■恩人・紅萬子の存在
役者としての恩人はもちろん、紅さんです。「もう、この舞台で辞めます」「こんなお金の稼げない仕事をやっても、夢も何もない」という嘆きを何度もぶつけました。でも紅さんが、「この歳まで頑張ってきたんや。あともうちょっと頑張ったら、真面目にやっとったら、絶対に花咲く時があるから。もうちょっと頑張れ」って。そのたびに、「わかりました、頑張ります」と。そんな出来事が5回くらいありました(笑)。
僕にとって紅さんは、師匠であり、母であり、ライバルですね。同じ舞台に立つと、お芝居で勝負を仕掛けてくることがあって、「この芝居を投げたら、どう出てくるねん」という駆け引きがすごく楽しいんですよ。だから板の上に立つと、ライバルという気持ちもありますね。
僕はご飯が食べられなかった時も、何度もご馳走してくれたりと、生活を支えてもらったことがありました。「飯食われへんやろ」って。紅さんはお酒を飲まれないんですけど、夜の食事に行くと、「一杯飲め」って言って、ビールを必ず飲ませてくれるんですよ。
僕が売れることがいちばんの恩返しだと思うんです。紅さんは缶ジュース一本すらおごらせてくれないんですよ。「ジュースくらい買わせてください」って言うと、必ず「私のギャラを超えてからそれを言え」と。格好いいんです。
だから恩返しは、紅さんのギャラを超えて、食事をご馳走することです。

――田村さんには内緒で、恩人・紅萬子にもお話を伺った。(お喋りBAR萬が壱にて)
■田村流を作れ
元生徒がたくさん役者を辞めていくなかで、紆余曲折あっても、同じステージに立てることは嬉しいし、よく頑張ったなと思っています。自分の教え方が悪かったんじゃないかという反省もあるので、田村くんがここまで来てくれたことは、やっぱり嬉しいです。私が前を走って背中を見せていたら、根性がある人だけがついてくる。そのひとりが田村くんでした。
上の者は下の者にお金を使う。下の者はお返しはしなくていいから、さらに下の者に使ったらええと私は思っています。そして役者は、自己投資のために身銭を切れと。常に勉強する姿勢を持っていてほしいんです。
心配無用ノ介の役は、すごく努力をしてもらった役ではないし、今回は当たりくじを拾っただけ。これからその分の努力をしないとダメです。ファンのありがたさや、なぜここまで来れたかをしっかり考えないといけない。
そして、田村くんはまだ線が細い。それは主役なんてやったことがないし、彼は今、すべてを新鮮に感じていて、デッサンをしている状態。ないものを作ることがオリジナル。だから田村流を作ったらええと思います。そして、どこかおおらかであってほしいですね。ババアは陰ながら応援しています。
取材・撮影 南野こずえ