正体不明の熱いエネルギー『アズミ・ハルコは行方不明』レビュー
『百万円と苦虫女』以来8年ぶりの単独主演を果たす蒼井優と『ワンダフルワールドエンド』、『私たちのハァハァ』などを手掛けた若き才能、松居大悟監督がタッグを組み、全く新しい青春(であり、女性賛歌)映画、『アズミ・ハルコは行方不明』が誕生した。
山内マリコの同名小説を原作に、まるで夢の中にいるような映像世界が繰り広げられ…なんてゴタクを並べたって伝えきれない、これは観なきゃ分からない「感じる」映画なのだ!
(ストーリー)
街中にばらまかれた女の顔のグラフィティ・アート。行方不明のOL「アズミ・ハルコ」(当時28歳)の顔らしい。誰が何の目的で拡散しているのかは不明。その頃、巷では謎の女子高生集団による男性への無差別暴行事件が多発していたーー。
地方都市のOL、安曇春子(蒼井優)は両親、祖母と同居している。祖母の世話で母はいつもイラつき、家は安らげる場所ではない。恋人もおらず、職場ではオッサン上司にセクハラまがいの言葉を浴びせられる毎日。ある日、同級生の曽我(石崎ひゅーい)と再会した春子は、久しぶりに浮き立つ心を感じる。
20歳の愛菜(高畑充希)は、県外の大学に進学した同級生、ユキオ(太賀)と成人式で再会する。大学を辞め地元に戻ったユキオと何となくセックスして、何となく一緒にいるようになるが、二人は、同級生の学(葉山奨之)と再会して…。
(レビュー)
作品の鍵は2つ。まず1つは、過去と未来が複雑に入り組む時間軸だ。安曇春子の日々を始点として、愛菜とユキオと学という3人の若者の薄っぺらい青春、女子高生ギャング団が引き起こす無差別暴行事件、そしてばらまかれるアズミ・ハルコのグラフィティ・アート、主にこれらのエピソードが次々と放り込まれてくる。「時系列がワケわかんないのはちょっと…」と思うのは、もったいない!ぐちゃぐちゃの時間軸には緻密な計算が施されていて、本作の世界をあらゆる視点から理解できるようになっている。いつしか時間軸なんてどうでも良くなり、全てのエピソードが頭の中で1つになっていく。
2つめは、女性へのとてつもないエールが込められていること。アラサーの春子、ハタチの愛菜、女子高生、と世代の違う女性たちが登場する。
家にも職場にも閉塞感を感じる28歳の春子。まだ若いが、希望に満ち溢れるほどは若くない。揺らぎの中で再会した曽我との関係に小さな希望を抱いていたが、思いもよらない事態が待ち受ける。
若いけれど、すでに先が見えた感のある20歳の愛菜。ユキオと学に再会して、ブレイクスルーを感じるもののそれも束の間で、自分の薄っぺらい人生にまた気づかされる。
そして、やり場のない若さを振り回す謎の女子高生たち。男をひたすら無差別にボコり続ける彼女らは何に怒り、何を求めているのか?自分達にも判らないのかもしれないけれど。
生きづらさとか周囲の無言の圧力とか、つい男に期待しちゃう気持ちとか、女は辛いんだよ!という絶叫が聞こえてきそう。でも彼女たちは決して負けてるわけではなくて、それぞれの方法で人生にあがき続けている。春子の職場の先輩、37歳独身の吉澤さん(山田真歩)は、(きっと、たくさんあがいた挙げ句)周りに期待される人生スケジュール通りじゃないけれど、確固たる自分の人生を見つけている。そんな上の世代の女性のあり方は、何だか心強い。
安曇春子=蒼井優の哀愁にやられる。多くを語らずとも、春子の感情の機微がひしひしと伝わり、その存在感に圧倒される。
優柔不断男・曽我=石崎ひゅーい、クズ男・ユキオ=太賀、ヘタレ男・学=葉山奨之、男子のダメっぷりが腹立つけれど上手い。個人的には、高畑充希が演じる愛菜がイイ!愛菜は高畑が今年演じた朝ドラのヒロインとはかけ離れた、見た目も行動も考え方も全てチープなおバカな女の子だ。しかし理性的に動かないからこそ、とんでもない力を秘めていて、それが爆発したときの愛菜が好きだ。高畑は蒼井に匹敵するほどの強い輝きを放っている。
観賞後には正体不明の熱い気持ちが沸き上がる。「どうであってもいいんだよ。どう生きたっていいんだよ。ついでに、女は強いんだよ!」
エール、しかと受け取りました。
文:小林サク
『アズミ・ハルコは行方不明』
12/3(土)より、新宿武蔵野館ほかロードショー
配給:ファントム・フィルム
©2016「アズミ・ハルコは行方不明」製作委員会