田を凍み渡る風の音 『風の波紋』レビュー


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日本を代表するドキュメンタリストであった佐藤真監督は、著書『ドキュメンタリー映画の地平』の中で、私的映像とドキュメンタリー映像との境界とは“他者の視線を介在”させるか否かにあると述べている。なるほど、佐藤監督の『阿賀に生きる』(1993年/115分)は新潟・阿賀野川流域の人々と3年もの時間を共に暮らしながら撮ったドキュメンタリー映画の金字塔であるが、寄り添いつつも何処か俯瞰しているような被写体との不思議な距離感を心地好く感じる。

ドキュメンタリー畑のみならず日本映画界が落胆した佐藤真監督の急逝から8年、ドキュメンタリー映画は元気である。『選挙』(2007年/120分)『牡蠣工場』(2015年/145分)などドキュメンタリーに“観察映画”と言う手法を確立した、想田和弘監督。『童貞。をプロデュース』(2007年/85分)『ライブテープ』(2009年/74分)『フラッシュバックメモリーズ3D』(2012年/72分)などドキュメンタリーのジャンルに留まらない“発明”を生み出し続ける、松江哲明監督。鋭い時代性と確かな取材力、そして良質な作品内容によりメディアの垣根を越えた多くの固定ファンを持つに至った、東海テレビ制作のドキュメンタリー作品群。初のドキュメンタリー作品とは思えない大いなる衝撃が観る者の心を掴んで放さない新作『大地を受け継ぐ』(2015年/86分)の、井上淳一監督。日本におけるドキュメンタリー映画の素晴らしさは、もっともっと評価されるべきだ。

綺羅星の如き映像作家の中でも佐藤監督の“ドキュメンタリーの地平”を継ぐ者と言えば、やはり小林茂監督の名を挙げない訳には行かない。『阿賀に生きる』『阿賀の記憶』(2004年/55分)のカメラマンとして作品に携わった佐藤監督の謂わば“盟友”で、病を押して『わたしの季節』(2004年/107分)『チョコラ!』(2008年/94分)を世に出した魂のドキュメンタリストだ。
そんな小林茂監督の最新作『風の波紋』が、3月19日より公開される。越後妻有(えちごつまり)に住む人々の5年の歳月に寄り添った、渾身のドキュメンタリー映画である。kaze_sub3_Y

『風の波紋』は、狐の幻燈会で幕を開ける。ドキュメンタリーを標榜しているが、この映画は里山に暮らす者たちの“集合的無意識”めいた心象風景を写しとった作品なのかも知れない。
木暮茂夫さんが東京から中立山集落に移住して、そろそろ10年が経つ。無農薬の田んぼは、田植えも、草取りも、稲刈りも、全て人力だ。譲り受けた家が“3.12”で全壊するも、村の皆の力を借りて再建する。
松本英利さんは、1989年に十日町に移住してきた草木染め職人。山桜の大木から作った染料に浸けた生糸は、見る見る紅色に染まる。天日干しの後、妻・文子さんと共に手織りした生地は見事な桜色で、娘・季実子さんの成人式の晴れ着と成る。
倉重徳次郎(屋号:長作)さんの家は、取り壊すことになった。精米機を譲り受けに来た木暮さんは、長作さん、ノブさん夫妻と想い出の写真を見ながら歓談する。家が取り壊されたなら、もう長作さんを屋号で呼ぶこともなくなる。
越後妻有は、音楽が溢れている。大工が唸る都々逸、棟梁が唄う『仕事の歌』、権兵衛さんがマイクを握る『高原の駅よ、さようなら』、木暮さんも『山家育ち』を唄い返す。秋になれば祭り囃子が皆を集め、楽器名人の高波敏日子さんの撥捌きで和太鼓の音が響き渡る。
天野冬話ちゃんは、ご飯が大好き。母・季子さんと一緒に、ご飯を美味しくする野菜の収穫を手伝う。
20年前に東京から移住してきた長谷川好文さんが営む民宿『山房もっきりや』は、冬になると人力ゴンドラでしか行き来できない。長谷川さんは酔いが回ると、高波さんの尺八に合わせて即興詩を吟じる。
小見征雄(屋号:原)さんは、雪上キノコ採りを手ほどきする。遥か頭上にある筈のキノコも、多い年は4mを越す豪雪地帯の冬の森なら手が届く。一行のすぐ横を、雪兎がこの世の物とは思えない速度で翔けていく。
季節はまた、一巡りしようとしている――。
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撮影期間中、集落には文字通り“激震”が走った。2011年3月12日の新潟・長野県境地震である。にも拘らず、『風の波紋』は驚くほど“震災映画”の色を帯びていない。これは『阿賀に生きる』が新潟水俣病の未認定患者を被写体としながら、所謂“公害ドキュメント”として認識されていないこととぴたりと符合する。
妻有の人々にとって“被災”は生活の一部であり、“復興”もまた日常の一コマなのだ。追撮を含め足掛け5年を費やしこつこつと集められた日々の暮らしが、中立山を吹く風の中で一つになる。
茅葺き屋根が、劇団ハイロが、中耕除草機が、レンズに止まる蝗が、薄の穂が、獅子頭が、山羊の一家が、スノーダンプが――自然と共に生きる脆弱な人間の力強さが、笑顔と共にふわりと風に解ける。

丹念に磨き上げられた珠にも似た、文字通り珠玉の99分が誕生した。
『阿賀に生きる』から22年……私たちは『風の波紋』で、再び過去の中に未来を観るのだ。

文 高橋アツシ

『風の波紋』
監督:小林 茂 プロデューサー:矢田部吉彦 長倉徳生
製作:カサマフィルム 配給:東風 (C)カサマフィルム
3月19日(土)渋谷・ユーロスペースにてロードショーほか全国順次公開

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