父さん、あなたは幸せでしたか?『遥かな町へ』レビュー
1998年、建築デザイナーとして東京で働く48歳の中原博史(大谷亮平)は、出張帰りに故郷・鳥取県の倉吉を訪れる。母の墓参りに立ち寄った後、墓前で意識を失った彼は1963年の倉吉に迷い込んでしまう。14歳の自分の身体に戻ったが意識は48歳のまま。博史がかつての実家に戻るとそこには若き日の母や妹、祖母、そして後に失踪する父の姿があった。博史は思春期の14歳の少年として再び家族と向き合うこととなる。

もしもう一度人生をやり直すことが出来たならーー。ある程度年齢を重ねた人にはそんな思いがよぎることがあるだろう。もっと上手くやれたかもしれない、大切なものを失わずに済んだかもしれない。そんなチャンスを思いもよらぬ形で手にした男、中原博史は働き盛りの48歳。妻と娘二人がいるが、家のことは妻に任せきりで仕事と酒にかまけてばかりだ。
父親はそういうものと捉えていた博史だが、タイムスリップし14歳の中原博史(及川桃利)として家族と対峙すると、あの夏家族の運命を変えてしまった父の失踪についてあらためて想い巡らすこととなる。父の与志雄(滝藤賢一)は倉吉で紳士服店を営む真面目で穏やかな人物で、周囲の評判も良く、母の和江(戸田菜穂)との仲も良好だった。祖母と博史の妹を加えた五人家族の暮らしは和やかで幸せにしか思えず、博史には父が失踪する理由が思い当たらなかった。
博史が過ごす2度目の中学生活はおおいに成功していた。当然ながら成績は大幅にアップ、14歳の身体は羽が生えたように軽く、運動もお手の物。そればかりか当時は話すことさえ叶わなかった憧れの美少女、智子(磯谷萌々子)と親しく付き合えるようになったのだ。
博史は思った“今の自分なら父を止められるかもしれない”と。当時は分からなかった父の心情も今ならば理解し、失踪を思いとどまらせることが出来るかもしれない。父の失踪後に残された家族、特に母が辿った辛い日々を思えばそれはやる意味があるように思えた。
しかし心は当時の父と同世代だからこそ、博史は与志雄の気持ちに思いを馳せてしまうのだった。縁あって和江の家に婿養子に入り、家庭を持ち黙々と仕事に勤しみ、穏やかに暮らしていた父。一見何の問題も無く見えた父の生活には何が起きていたのか、もっと別の何かを求めていたのだろうか。父を止めたい気持ちと、同世代として理解したい気持ちの狭間で博史は揺れ動く。当時子供の自分では父を止められなかった。では大人の自分は父を止められるというのか?
葛藤を経て博史が気付くのは、過ぎ去った時間は良きにつけ悪きにつけもう取り戻せないという事実だ。父の下した決断は父のものであり、それは過ぎ去った日々の残像でしかない。これは博史自身の人生の物語なのだ。
原作は⿃取県出⾝の漫画家・⾕⼝ジローが1998年に発表した漫画『遥かな町へ』。『孤独のグルメ』(作・久住昌之)や『神々の⼭嶺』(作・夢枕獏)などで知られる⾕⼝がオリジナルストーリーによって描き上げ、フランスのアングレーム国際漫画祭をはじめ、イタリア、ドイツなどで数々の漫画賞を受賞。2010年には ルクセンブルク、フランス、ドイツの合作で映画化もされた名作がこの度⽇本で新たに映画化された。
主⼈公の博史を演じるのは韓国で俳優のキャリアをスタートさせ、“逆輸⼊”のルートを経て⽇本でも活躍する⼤⾕亮平。中年期を迎え人生に立ち止まる男を等身大に演じている。14歳の博史役には及川桃利、博史の初恋相⼿、智⼦には磯⾕萌々⼦。若手俳優2人が瑞々しい思春期の中学生を演じ、観る人に学生時代の日々を思い起こさせる。博史の父、与志雄には多数の作品に出演する滝藤賢⼀。多くを語らないが、秘めた思いを抱える与志雄をいぶし銀の演技で魅せた。母、和江を演じるのは⼾⽥菜穂。最後に明かされる夫への深い共感と想いは夫婦にしか分からない絆を感じさせた。
『RAILWAYS 49歳で電⾞の運転⼠になった男の物語』(10)、『たたら侍』(17)、『⾼津川 』(19) などの錦織良成が監督を務めた。撮影は昭和30年代の町並みが残る倉吉市でロケを行い、商店街の撮影では多くのエキストラが参加しノスタルジー溢れる昭和の光景が再現された。“あの頃”の日本がそこにある。
家族との他愛ない日常や悪友との友情、甘酸っぱい初恋…そして父の本当の思い。博史が体験する2度目の青春は、中年期の博史が忘れかけていた気持ちを鮮やかに思い出させてくれる。もう戻れない遥かな日々、その記憶の中に今の自分を生きるヒントが秘められているのかもしれない。
文 小林サク
『遥かな町へ』
出演:大谷亮平 及川桃利 磯谷萌々子 戸田菜穂 滝藤賢一
脚本・監督:錦織良成
原作:谷口ジロー
2026年10月9日(金)全国公開
©︎2026 映画「遥かな町へ」BARCOS
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