『沼影市民プール』太田信吾監督インタビュー
埼玉県さいたま市で憩いの場として愛されてきた沼影市民プール。2021年、プールの解体と小中一貫校建設の計画が発表され、惜しまれつつも2024年3月に役目を終えた。 本作は、プールの営業停止までの49日間に追ったドキュメンタリー映画。 監督・撮影・編集・録音を手掛けた太田信吾氏に、話を伺った。
ーー沼影市民プールの撮影を決意したきっかけを教えてください。
2023年の2月ぐらいに、友人から沼影市民プールが閉鎖になると聞いたのが最初のきっかけです。僕自身、小さい頃にこのプールで遊んだ記憶がありました。夏になると当たり前のようにそこにあった場所がなくなってしまう。そのことへの寂しさや無念さのような、すごく個人的な感情から始まっています。
ただ、それだけだったら、僕自身のノスタルジーを記録するだけで終わってしまって、映画にはなっていなかったと思います。もう少し前向きに「これは撮影してみたい」と思うようになった大きなきっかけが、その友人から、このプールが長年、ゲイの方たちの出会いの場、いわゆる「ハッテン場」としても知られていたと聞いたことでした。
僕が子どもの頃に遊んでいた同じ場所が、別の誰かにとってはまったく違う意味を持つ場所だった。そのことがすごく面白かったんです。子どもや家族連れ、高齢者、水泳の練習をする人、ゲイの人たちなど、それぞれ目的も背景も異なる人たちが、同じ水辺を共有していた。一つの公共空間の中に、僕の知らなかったいくつもの記憶や時間が重なっていることに興味を持ちました。

ーーゲイの方たちの出会いの場であるハッテン場の実態が大変興味深かったです。
もちろん、それだけを描きたかったわけではありません。調べていくと、プールの閉鎖に対して多くの市民が納得できていないことも分かってきました。閉鎖を惜しむ声や署名活動があり、市民説明会では行政と住民との間にかなり大きな温度差もありました。
そうした状況を撮影することで、一つのプールの思い出だけではなく、都市の中で公共の場所がどう失われていくのか、誰がその未来を決めるのかという、都市開発や公共空間をめぐる問題まで描けるのではないかと思いました。
一方で、ハッテン場として使われていたという事実も、この場所が持っていた一つの歴史です。それをセンセーショナルなものとして扱うのではなく、行政が想定した用途だけでは説明できない、人間が公共空間をどう使い、どう居場所をつくっていくのかということの一つとして捉えたいと思っていました。
ーー撮影は順調でしたか。
2023年のさいたま国際芸術祭に参加したことは非常に大きかったです。芸術祭のプロジェクトとしてスタートしたことで、芸術祭側にもマネージメントしていただき、撮影許可などについてはかなり協力していただきました。
公共施設を長期間撮影するというのは、個人で突然カメラを持って行ってできることではありません。利用者の方もいますし、行政や施設側との調整も必要です。その意味では、芸術祭という枠組みがあったからこそ撮れた場面がたくさんあります。
ただ、撮影が始まれば、当然こちらの思い通りにはなりません。ドキュメンタリーなので、毎日何が起きるか分からない。むしろ予定していなかった出来事のほうが、この場所の本当の姿を見せてくれることもありました。
ーー水中やドローンでの撮影を含め、監督ご自身ですべて手掛けられたようですけど。
基本的には僕自身がカメラを持って撮影しました。約2カ月間、かなりの頻度でプールに通い続けていました。水中撮影やドローンも含めて、自分で撮れるものはできるだけ自分で撮っています。
毎日同じ場所にいることで、スタッフの方や利用者の方との距離も少しずつ変わっていきました。最初から決まった被写体だけを追いかけるというより、この場所そのものを主人公のように考えて、そこで起きることを待っていたところがあります。だからこそ、なるべく自分自身が現場に居続けることが大切でした。
一方で、複数のカメラが必要な場面や、撮影期間終了後の追加撮影など、僕自身の都合が合わない場合には別のカメラマンにもお願いしています。
営業終了後、プールが取り壊されていく過程についても、かなり近い距離から撮影させてもらいました。かつて人でいっぱいだった場所から水がなくなり、建物が少しずつ壊されていく。その内部まで記録する機会をいただけたことには、とても感謝しています。

ーー館内で、盗撮容疑をかけられた男性客を警官が取調べる場面、よく撮れましたね。
あれは完全に偶然です。僕らが昼食を食べていたら、プールのスタッフの方が「早く撮りに来てください」と呼びに来てくれました。行ってみると警察官が大勢いて、スタッフの方から「カメラを回してください」と言われたので、そのまま撮影しました。
普通であれば、警察官がいる場所で突然カメラを回すことは難しいと思います。ただ、この撮影がさいたま国際芸術祭のプロジェクトとして施設側にも認識されていて、僕たちが日常的にそこで撮影していたこともあって、その場では結果的に撮影することができました。
映画だけを見るとかなり特殊な事件に見えるかもしれませんが、実際に長期間現場にいると、性的なトラブルを含め、さまざまな出来事が起きていました。個室トイレで男性同士が性行為に及ぶケースなどもあったと聞いています。
ただ、それを単純に「問題のある場所だった」と描きたいわけではありません。家族連れが遊んでいるすぐそばに、別の目的でこの場所を訪れている人たちもいる。その矛盾も含めて、公共空間というものの複雑さだと思っています。映画では、どちらか一方を裁くのではなく、同じ場所にいろいろな人間の欲望や事情が共存していたことを残したいと思いました。
ーー本作はドキュメンタリー映画でありながら、ドラマのパートもあります。中年ゲイの方が、プールで知り合った男性を自宅に招いて、年老いた母親と三人で食卓を囲むシーンは衝撃でした。母親役の方、とても自然ですが役者さんなのですか。
はい、母親役は俳優の方です。実はこの映画では、現実に起きていることをそのまま観察するだけでは捉えきれないものを、フィクションによって描こうとした部分があります。
ハッテン場で誰かと出会うという行為も、そこで実際にどんな会話が交わされ、出会ったあとに何が起きているのかまでは、ドキュメンタリーだからといってカメラがすべて追いかけられるわけではありません。むしろカメラが入れない領域に、その人の孤独や家族との関係、生活の実感があると思いました。
そこで、実際にこの場所から聞こえてきたさまざまな話や、僕自身がリサーチの中で感じたことをもとに、一つのフィクションとして構成しています。ハッテン場という言葉から連想される性的なイメージだけではなく、その先には一人一人の生活があり、家族がいて、老いや孤独もある。そこまで映画の中に持ち込みたいと思ったんです。
母親役については、特に「説明する」のではなく、表情や佇まいだけでいろいろなことを感じさせる人を探していたので、キャスティングには時間がかかりました。
ーー三人の空気感や会話は独特で、アドリブのように感じました。
大まかな撮影の流れは決めていました。「ここで家に入ってくる」「三人で食卓を囲む」といった状況や、ある程度の方向性は僕から伝えています。ただ、具体的な会話については、かなり出演者に委ねました。
セリフを一字一句決めてしまうと、どうしても「ドラマを演じている」という感じが強くなってしまう。それよりも、設定だけを共有した上で、その場で相手の言葉を聞いて反応してもらうことで、ドキュメンタリーの中に置いても違和感のない時間にしたかったんです。
この映画では、ドキュメンタリーとフィクションをきれいに分けるというより、現実を理解するために両方の方法を使っています。実際に起きた出来事を記録した映像と、現実から着想したフィクションが同じ映画の中に存在することで、逆にその場所の記憶や、そこにいた人たちの感情に近づけるのではないかと考えました。

ーー映画の出演者や関わりのある方々の本作に対する反応はどうでしたか。
みなさん、本当に喜んでくださっています。特に国内公開が決まってから、映画が僕たち制作者だけのものではなく、少しずつ地域の人たちのものになってきている感覚があります。
例えば、地元でチラシ配りやポスター掲示などを手伝ってくださる「応援サポーターズ」をホームページで募集したところ、40人ほどの方が集まってくださいました。この炎天下の中でも、それぞれが自分のできる範囲で動いてくださって、学校や地域の施設、コミュニティセンターなど、いろいろな場所に映画の情報を届けてくださっています。
僕自身が知らないところでも「沼影市民プールの映画ができたらしい」と話題が広がっているようです。それはすごく嬉しいですね。
この映画は、なくなってしまった場所についての映画です。でも、映画そのものが新しく人と人をつないでいるという、少し不思議なことが今起きています。プール自体はもうありませんが、映画をきっかけに、そこで過ごした記憶を話したり、自分にとって大切だった場所について考えたりする時間が生まれている。そういう広がりも含めて、この作品ができた意味なのかなと思っています。
海外の映画祭を巡ってきて、ようやく日本で公開できるので、一度上映して終わるのではなく、できれば末長く、いろいろな場所で映画が残っていってほしいと思っています。
ーー映画公開は夏の終わりになりました。狙いがあったのですか。
そうですね。9月という時期は、この映画にとても合っていると思っています。
真夏の真ん中ではなく、夏が終わり始めている。まだ暑いのに、日が少しずつ短くなって、もう戻ってこない夏を意識し始める季節ですよね。子どもの頃の夏休みが終わるときのような、少し寂しい感覚もあります。
『沼影市民プール』も、単に施設が閉鎖されたという映画ではなく、長いあいだ当たり前に存在していた場所に別れを告げる映画だと思っています。だから、夏の終わりにこの映画を観てもらって、観客それぞれが「自分にも、もう戻れない場所があったな」と思い出してもらえたら嬉しいです。
『沼影市民プール』
英題:NUMAKAGE PUBLIC POOL
(c)hydroblast
監督・撮影・編集・録音:太田信吾
プロデューサー:竹中香子
2025年/日本/84分/DCP/カラー/16:9/ステレオ/映倫G
企画・制作:ハイドロブラスト 配給:NAKACHIKA
2026年9月5日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開