忘れたくないものを撮りたい『空に聞く』小森はるか監督インタビュー
震災のボランティアをきっかけに陸前高田へ移住し、カメラを回し続けてきた小森監督。本作では、災害FMで人々の思いを届けてきたパーソナリティの阿部裕美さんを記録しており、観ている観客もその場にいるような距離感で映された73分となっている。ひとりの女性が紡いだ掛けがえのない時間を知ってほしいという監督の思いが、一本の映画へと形を成した。阿部さんのことになると目を輝かせて語ってくれた小森監督に、活動の経緯と作品への思いをうかがった。
Q. 震災のボランティアをきっかけに東北に移り住んだそうですが、大きなきっかけや、どのような思いで移住を決めたのでしょうか?
2011年の東日本大震災があった当時、私は東京で大学を卒業して大学院に進む春休み中だったのですが、今まで生きてきた中であまりにも衝撃が大きく、自分ごととして生活の根本が揺さぶられた出来事でした。
震災を報道で見ることしかできなかったのですが、今も一緒に活動をしている同級生の瀬尾夏美(画家・作家)にボランティアに誘われて被災地に行き、最初はガレキの撤去などをしました。でも、力仕事は出来ることが限られていて。そんな時、避難所でのボランティアをしている際に、そこにいらしたおばあさんからカメラを持っていた私たちに「私の故郷に行って、写真を撮ってきてほしい」と声をかけられました。
今はその場所に行けない人の代わりに行って撮ること、いつか撮ったものをその人が見たいと思ったときに渡せるかもしれないと思えたことが、被災した地域に関わっていく接点を気づかせてくれて、記録をはじめました。でも、月に1回程度通うだけでは記録をしているとは言えないし、大事な物を見落としてしまっている気がしていました。私は震災前の街を知らないし、被災地が目まぐるしく変わっていく中で、暮らしている方の気持ちを知るにはその場にいなければと思い、瀬尾とともに2012年に引っ越して記録することを決めました。
2015年までの3年間は陸前高田に住んでいて、その後は仙台に拠点を移しました。その頃、陸前高田で本格的に始まった復興のためのかさ上げ工事についてどう向き合えばいいのかがわからなかったんです。かさ上げによって埋められていく地面には、たしかにもう家や建物はありません。けれど、住民の方々にとっては、道を歩けば元の街を思い出せたり、亡くなった方々が最後にいた場所として花を手向けていた地面でもあったんです。そのような場所が土で埋められていくのは、そこにあった記憶も消されてしまう苦しさを感じて辛かったです。正直、私には行き場のない怒りの感情も強くあって、これは本当に復興なのだろうかと。
そのことに対して、住み続けるよりも、距離を置いて記録をすることを選択しました。ちょうど、大学院を卒業するタイミングでもあり、仙台に拠点を移し、今も仙台で活動をしています。
Q. 本作は、陸前高田災害FMのラジオ・パーソナリティを務める阿部裕美さんを記録したドキュメンタリーですが、どのような経緯で制作に至ったのでしょうか?
災害FMの存在は引っ越す前からツイッターで知っていて。陸前高田に関する情報発信がとても細やかでずっと気になっていたんです。知人を介して災害FMのスタジオを訪ねたのが阿部さんとの最初の出会いでした。はじめてお会いした時に、とても魅力的な方だと思いました。阿部さんのお話にこの街の人々の思いを感じたんです。その後、パーソナリティとしての阿部さんを撮りたいという気持ちに決心がつき、災害FMの記録をさせてもらうようになりました。阿部さんは自分語りにならない話し方なんですよね。きっとみんなが思っていること、みんなが聞きたかった街の人々の声を代わりに聞いてくれる、そういう姿勢の人で。震災から数年後の、当時の陸前高田に欠けていたものを補ってくれているように見えました。それを撮りたいと思ったのが経緯です。
ですが、2015年4月に阿部さんがパーソナリティを離れ、記録も中途半端なままでした。それから3年ほど経ちますが、阿部さんが本業の小料理屋をご夫婦で再開した際に、あの頃のことを思い出しながら語ってもらうことで何とか形にできないかという気持ちが湧いて。新しくできたお店の中でインタビューをさせてもらいました。その時阿部さんが語ってくださったことを頼りにこの映画ができました。本当に行き当たりばったりなんです(笑)でも、どうにか形にしたいという気持ちはずっとありました。
阿部さんは本業ではお店をやっていて、その人生の時間の方が圧倒的に長いです。それに比べたらパーソナリティとしての時間はわずかで、約3年半の存在を知っている人たちにさえも、長い目で見るといずれは忘れられてしまうかもしれないという気がしました。パーソナリティとしての阿部さんに出会えたこと、またその姿を撮らせてもらえたことは、私にとってすごく幸せなことなんです。陸前高田が復興していく中で、ラジオを通して人々の心を声で繋いできた方がいたという記録を残したかったんです。
Q. 観ている側もその場で一緒に話を聞いているようなカメラの距離感に引き込まれました。何かこだわりはありますか?
そう言ってもらえるのは嬉しいです。私、あまり存在感がないんです(笑)良く言えば、とけ込めているというか。撮られていることがその場の中心にならず、でも撮影していることも受け入れてもらえる位置で撮りたいというスタンスはいつもあります。
Q. 言葉を誘導するという感じではなく、うなずいて聞き手に回っているように見えたのですが、インタビューで心がけていることはありますか?
インタビューは実は苦手なんですよ。聞き出すというより、本当に聞く一方で。ただ、阿部さんは「この質問をしたら、あのエピソードを語ってくれるかな」と自分自身も素直に尋ねていました。阿部さんもきっと私の聞きたいことをくみ取ってくれていたと思います。
Q. ラジオの最後の日に、阿部さんが「いつも通り」を貫こうとするシーンが格好良かったです。その場にいてどのようなお気持ちでしたか?
ボロボロ泣きながら撮っていたんですけれど、悲しいというか悔しくて、全然冷静に撮れていなかったと思います。今日で本当に終わりなのか、自分自身が受け止められなかったんです。でも阿部さんはいつも通りの放送をされていて。きっとラジオから離れていくことに対して様々な感情があったはずなのに、そのことを語らず「またお会いしましょう」みたいな感じで締めくくられて。あの時の阿部さんは、本当に格好良かったですね。
Q. 『空に聞く』というタイトルに込められた思いが素敵です。
タイトルには2つの「空」の意味を込めていて、1つは亡くなられた方々を想う時に見上げる空の「Sky」。時が過ぎていく中で、被災地は新しい街へと変化をしていき、亡くなられた方々を想う場所が空に向かっていくのと、かさ上げした上の街に暮らしが移っていくことが重なるような気がして空という言葉を使いました。もう1つは「Air」の空。ラジオの収録でみなさんが昔の街のことを話していると、頭の少し上に風景を思い浮かべながら語っていて、その話に耳を傾け続けていた阿部さんがいて。私にはその風景は見えないけれど撮りたい。そこに耳を傾けるという思いを込めてつけました。
Q. ドキュメンタリーは、人や変わりゆく土地など、対象を撮りつづけることに意味があると思うのですが、ドキュメンタリーへのこだわりはありますか?
もともとはフィクションを作っていたんです。ドキュメンタリーをやりたくてやっているという感じではなく、根本に「記録」という軸があり、忘れたくないことを撮って伝えるために、ドキュメンタリーという表現方法が今はしっくりきています。ドキュメンタリーでもフィクションでも、「人を撮りたい」という思いに変わりはありません。この先カメラを向けることができず、描き直さないと撮れない人と出会うかもしれないので、フィクションの可能性は常に持っていたいです。
Q. これから作品をご覧になるみなさまへ、メッセージをお願いします。
とっても不思議な映画だと思うんです。説明もないですし、阿部さんがどういう方なのか、陸前高田がどんな街なのかといったことは、映画を観ただけではわからないかもしれません。阿部さんの声を介して、市民の方に伝わっていたことを、観る方に少しでも受け取ってもらえれば、作った意味があるかなと思うので、阿部さんの声を聴いていただけたら十分です。阿部さんの声でも、陸前高田の風景でも、見たままを感じてもらえるシーンが1つでもあれば嬉しいです。
取材・撮影 南野こずえ
『空に聞く』
(C)KOMORI HARUKA
11月21日(土)より、ポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次公開