これは、いまを生きる私たちの物語ーー『家族を想うとき』レビュー
人は何故働くのか。お金を稼ぐため、夢を叶えるため、やりがいを求めて…。人によって理由は様々だが、働くことは人生の一部であり、生きるため人生を富ますため欠かせないものだ。けれど今では人生の一部であるはずの仕事が心や身体を蝕み、時には命さえも奪う。イギリスが誇る名匠、ケン・ローチ監督。カンヌ映画祭でパルムドールに輝いた前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』を最後に引退を表明していたが、それを撤回してまで選んだテーマは現代の働き方と、それに揺さぶられる家族の姿だ。
イギリス、ニューカッスルで妻と二人の子供と暮らすリッキー(クリス・ヒッチェン)は、大きな決断をしようとしていた。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立するのだ。
かつて銀行の取り付け騒ぎでマイホームと建設の仕事を失ったリッキーは、職を転々としながら不安定な暮らしを送ってきた。宅配ドライバーには車が必要だが、自宅にあるのは妻アビー(デビー・ハニーウッド)の車のみだ。介護福祉士として働くアビーは、遠くに住むお年寄りたちのもとへ通うため車が必要だったが、新しく購入する余裕がない一家はアビーの車を売ることになった。1日14時間、週6日勤務のドライバーで2年も働けばマイホームが買えると妻を励ますリッキーだったが、その生活は想像以上に過酷なものだった。
宅配の仕事は全て「箱」と呼ばれるスキャナーで管理され、位置情報を把握されてしまう。車を2分離れるとアラームが鳴り、トイレに行くことすらままならない。一方妻のアビーも何ヵ所もの訪問先へバスで通わなくてはならず、負担が増大する。
朝早くから夜まで懸命に働き、帰宅は夜遅く、子供たちとの会話は携帯電話を通じて一方的に語りかけるのみだ。そんな中、高校生の息子セブ(リス・ストーン)と小学生の娘ライザ(ケイティ・プロクター)に変化が起きる。成績優秀だったセブが学校をさぼりがちになり、仲間と壁への落書きに没頭し、ペンキを買うために両親から贈られた高価なジャケットを売ってしまったのだ。家族の不穏な空気を感じ取ったライザは、夜眠れなくなってしまう。それでも、家族の幸せのために宅配ドライバーの仕事を辞めるわけにはいかないリッキーは必死に働き続けるが、一家には更なる試練が待ち受けていたーー。
幸せになりたい、ただそれだけなのに働けば働くほど辛くなるのは何故なのか。長年に亘り労働者階級や社会的弱者の人々を主題に据えてきたケン・ローチが描く一家の姿は遠いイギリスの話とは思えず、日本でもどれほど多くの人が身につまされるだろうか。
朝から晩まで働き、へとへとになって帰宅すると何もする気力はなく、仕事に時間を全て奪われてしまう。愛する人と過ごす時間は減り、すれ違い、次第に心は離れていく。
フランチャイズという名目で、しかし徹底的に管理され、早退や休暇を取ることすらできないーー代理のドライバーを見つけられなければ一日ごとに制裁金が課せられる。リッキーの仕事が厳しさを増すのに従い、セブの問題行動がエスカレートしていき、警察沙汰を起こしてしまう。仕事と家庭の板挟みで心身が疲弊していくリッキー、彼を支える妻のアビーも同じだ。一家に次々と降りかかる困難に胸が詰まるが、どんなに辛い状況でも喧嘩をしても、けして切れない家族の絆がただ一つの煌めく希望だ。
ケン・ローチ監督作品にふさわしく、キャストはスター俳優ではなく一般人に近い人々が抜擢されている。リッキーを演じたクリス・ヒッチェンは20年以上配管工として働き、家族の理解を得て40歳から俳優の道に入ったという苦労人だ。直情的だが、ひたむきに家族を愛し懸命に働く父親を演じきった。妻のアビー役には本作が映画初出演となるデビー・ハニーウッド。彼女も40歳から演技の道に入り、テレビシリーズの裏方や端役を務めたのち、オーディションでアビー役を勝ち取った。家族のみならず介護する人々にも愛情をもって接する優しさと、家庭を切り盛りする逞しさを兼ね備えたアビーの存在は本作で非常に大きい。
息子のセブ役には、作家志望の若者を支援する団体に所属していたことがきっかけでオーディションを受けたリス・ストーン。父親に反発しながらも端々に家族への愛情を滲ませる複雑な少年に若き日の自分を投影する人も多いだろう。家族を繋ぐ天使のような存在の娘、ライザ・ジェーンを演じたケイティ・プロクターも自身が通う学校の教師に推薦されオーディションを受けた普通の女の子だ。市井の人々の心情をもったキャストたちの演技が、作品に深い味わいとリアリティを加えている。
ケン・ローチに再びメガホンを取らせた本作のテーマは、日本に暮らす我々にも切実なものとして強く迫ってくる。何のために働くのか、一番大切なものは何なのか?追われる日々に、立ち止まり、今こそ考えるべき時なのだ。
文 小林サク
『家族を想うとき』
配給:ロングライド photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
12/13(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開