Walking in the Minefield―『ヒトラーの忘れもの』レビュー
圧倒的な静寂が支配する暗闇の中、規則的な音が耳に入ってくる。それが呼吸音だと思い当たったなら、呼吸を止めずにはいられないだろう。そして、漸く気付くのだ、自分の呼吸の音ではない、と。そんな自分の行動に少々鼻白んだ頃、黒一色だったスクリーンが色彩を帯び始める。ゆっくりとした、且つ少々荒い呼吸音は、デンマーク陸軍カール・ラスムスン軍曹(ローラン・ムラ)のものだったのだ。
1945年5月デンマーク南部国境付近、ラスムスン軍曹は敗走するドイツ歩兵の一人を呼び止めると、地面に組み伏せて罵った。「この旗には触るな。この国から出てけ!早く消えろ、俺の国(Mein Land)だ!」軍曹の手には、ドイツ兵から奪い取ったダンネブロが握られていた。
同時期デンマーク西海岸、デンマーク工兵部隊イェンスン大尉(ミゲル・ボー・フルスゴー)はデンマークに置き去りにされたドイツ兵を前に号令を発していた。「諸君はこのデンマークで、戦争の後始末を行う。ナチスは我が国の海岸に地雷を埋めた。それを除去してもらう」占領していた5年間で、ナチスドイツが連合国軍の上陸を阻止する為、デンマークの海岸線に無数の地雷原を敷いたのだ。
地雷除去の監督の任に就いたラスムスンは、驚きを隠せなかった。セバスチャン・シューマン(ルイス・ホフマン)、双子のヴェルナーとエルンスト兄弟(エーミール・ベルトン、オスカー・ベルトン)、ヘルムート・モアバッハ(ジョエル・バズマン)等ドイツ軍捕虜は、11人全員が“ドイツ国民突撃隊”所属の、あどけなさが残る少年たちであった――。
12月17日(土)シネスイッチ銀座(中央区 銀座)、伏見ミリオン座(名古屋市 中区)ほか全国順次公開となる『ヒトラーの忘れもの』は、重厚な歴史ドキュメントと濃密な人間ドラマが展開する、珠玉の101分である。それもそのはず、今作品が長編ドラマ3作目となるマーチン・サントフリート監督は、元々はドキュメンタリー映画の出身なのだ。
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻したことにより第二次世界大戦が勃発した。電撃戦(ブリッツクリーク)を標榜するナチスドイツは、開戦直後破竹の勢いでヨーロッパを席捲、1940年4月9日にはデンマークに侵攻した。数時間で降伏したデンマーク王国はドイツと防共協定を締結、事実上ドイツの軍事的保護下に置かれた。ドイツとの強制的協力関係にあったものの市民レベルでのナチス憎悪の感情は根強く、デンマークではユダヤ人の99%がホロコーストから逃れた事実もある。
1945年5月のドイツ降伏までの5年間、ナチスドイツが連合国軍の上陸を阻む為デンマーク西海岸に設置した対人地雷は、220万個とも言われている。北欧スカディナヴィア諸国に含まれるデンマークであるが、ユトランド半島西海岸は遠浅の為、この地方独特の峡湾(フィヨルド)とは無縁の穏やかな海岸線が続く。そんな風光明媚な地形が、仇となってしまったのだ。
『ヒトラーの忘れもの』で描かれる地雷除去の方法は、極めてシンプルである。長い棒きれで地雷原を探り、素手で地雷を掘り出し、その場で信管、即ち起爆装置を外すのだ。シンプルゆえ恐ろしい作業であることは、字面を追うだけでも背筋が寒くなるほどに理解できる。だが、そんな想像が如何に甘いものであるかを、サントフリート監督は劇中で嫌というほど示してくれる。スクリーン一杯に、尚且つ丹念に時間を掛けて描かれる緊迫の場面は、凝視したくない感情とは裏腹に観者の目を逸らさせてはくれない。開始1時間で、観客の背中は冷たい汗でびっしょりになる。現在でも、5,000個の地雷除去につき1人の人的被害が出るという統計がある。1945年当時デンマークで200万個を除去した地雷処理部隊の人的被害が半数以上であったとの伝聞は、大袈裟どころか過小な見積もりなのかの知れない。
地雷処理部隊を形成したのは、監視役のデンマーク兵と、実働処理班のドイツ兵であった。第二次大戦中デンマークには20万人のドイツ軍が駐留していたが、ドイツ降伏によって大多数の兵士は速やかに追放された。『ヒトラーの忘れもの』冒頭は、正にこの場面に当たる。しかし、その中で1万人のドイツ兵が、負傷兵の手当て等を名目にデンマーク国内に残されることとなった。地雷除去を命ぜられたのは、この異国に取り残されたドイツ兵であった。
本来であれば捕虜の非人道的な扱いはジュネーヴ条約に抵触するが、デンマークは早々に降伏したこともあり、形式的には王家も温存されたドイツの軍事的友好国である為、同条約の影響は受けなかった。ナチスのプロパガンダが色濃く見え隠れする“モデル友好国”であるデンマーク王国内では、ドイツを敵視する民兵の一部がレジスタンス化し、終戦までの5年間ずっと活動が止むことはなかった。残留ドイツ兵がデンマーク西海岸の地雷除去を命じられた背後には、そんな両国の憎悪の歴史があったのだ。
しかも、徴兵年齢が10代半ばまで引き下げられた大戦最末期のドイツ軍は、多くが少年兵であった。これは、デンマークに於いても例外ではない。少年兵、しかも地雷運用の経験すらない11人の監視役を命ぜられたラスムスン軍曹の苦悩は、筆舌に尽くし切れないものだったことは疑うべくもない。そして、満足な装備も食糧も与えられない中、自らの祖国が遺していった兵器により子供たちが次々と生命を落としていく日常で芽生えた葛藤は、想像を絶するものだったことを疑うべくもない。ラスムスンの決断に、刮目していただきたい。
デンマークのアカデミー賞である【ロバート賞】で作品賞や監督賞を含む6部門を独占した『ヒトラーの忘れもの』(原題:『LAND OF MINE』)は、デンマーク国外でも絶賛を以て迎えられた。【第28回 東京国際映画祭】(2015年)で、ローラン・ムラ、ルイス・ホフマンの両名が最優秀主演男優賞を獲得したことは、記憶に新しい。
『ヒトラーの忘れもの』を鑑賞し、対人地雷が如何に非人道的な兵器であるかを実感してほしい。少年たちと時間を共有し、戦争行為の本質を今一度自問自答してほしい。
1997年に締結された対人地雷の全面禁止を謳った【オタワ条約】は、2016年現在162ヵ国が署名している。日本も1997年の起草と同時に署名、国会の承認を経て批准している同条約だが、その時点で自衛隊は100万個の対人地雷を所持していたといわれている。
“LAND OF MINE”(我が国)が、“LAND OF MINE”(地雷の国)に変貌しないと言い切れる場所は、残念ながら地球には無いのだ――。
文:高橋アツシ
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