モノクロームに込められた色褪せぬ想い『あのひと』鑑賞記
2016年5月28日、名演小劇場(名古屋市 東区)3階サロン1のシートを埋めた観客は、大きな拍手で登壇者を迎えた。
『あのひと』初日舞台挨拶が開催されたこの日、鶴吉役で物語の根幹に大きく係わった地元・名古屋出身の神戸浩と、陰に日向に『あのひと』制作に大きく係わった【劇団とっても便利】の大野裕之と、2人がスクリーン前の舞台に立ったのだ。
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神戸浩 ここの劇場が懐かしくてやってきました。『あのひと』が掛かるとは思っていませんでした。昭和の時代からお芝居をやっておりまして、ここの舞台に立ちました。客席も全然変わっておりません。嬉しいです。映画は如何だったでしょうか?アフレコという音入れの作業が、難しかったです。頑張りました。
大野裕之 撮影は、もう3年前になるんですよね。
神戸 3年前、夏でしたね。山本(一郎)っていう松竹のプロデューサーから、「休みに映画を1週間で撮る」って電話が入りまして、「私も夏休み、ちょっと行くかな」ってことで、名古屋と京都は近いですし。日帰りしたり泊まったりして、撮影があったらしい感じがするんですけれど……3年前ですから良く憶えてないですね(笑)。その頃、松竹の撮影所(京都市 右京区 太秦)で撮影をしておりまして、違う組が入ってたんですよ。ここだけの話ですが、『参勤交代』(『超高速!参勤交代』監督:本木克英/2014年/119分)です。『あのひと』の撮影中、私は待たされるじゃないですか。『参勤交代』の台本読んで、監督、プロデューサーに「俺、この“農民”演りたいんだけど……ズラ(かつら)合わせ、3階まで行ってきて良い?衣装合わせ、3階まで行ってきて良い?」って言って……出演が決まったんです(笑)。『参勤交代』は当たって、今度9月にやりますので(『超高速!参勤交代 リターンズ』監督:本木克英/2016年9月10日 公開予定)、また良い役でやりますもんで、観たってください。『あのひと』のことは、どうやって宣伝すれば良いのか……憶えてないもんで……大野さん、宜しくお願いします(場内笑)。
大野 あ、はい(笑)。昭和19年に書かれた脚本が、2012年になって大阪府立中之島図書館で発見されまして、どうやら『夫婦善哉』で有名な大阪の作家・織田作之助が書いた“幻の脚本”らしい、と。監督の山本一郎さんは松竹のプロデューサーとして『たそがれ清兵衛』(監督:山田洋次/2002年/129分)『武士の一分』(監督:山田洋次/2006年/121分)とか色んな作品に係わった方なんです。その方が映画化しようと提案したんですが、余りに古い脚本なので松竹さんでやるのは難しかったようで。『あのひと』は、山本一郎さんが自分の貯金を使って、夏休みを使って撮った自主映画なんです。
神戸 この歳になって自主映画をやるなんて、思ってませんでした。けど、やって良かったのかな?皆様、『あのひと』は楽しんでいただけましたか?……(場内大拍手)……有難うございます。やってよかったんだ(笑)!
大野 山本監督と神戸さんは、凄く長いお付き合いなんですよね?
神戸 そうですね、同じ歳なんです。昭和38年生で、38歳の時『たそがれ清兵衛』で有名な山田洋次監督の作品を松竹の撮影所で撮っておりました。38歳、“アホのサンパチ”……それが、『あのひと』まで繋がるんですね。人間の縁(えにし)っていうのは、面白いですね(笑)。山本監督はプロデューサーだったんですが、今は違うセクションに居るんですね。初め山本監督から電話があったんですけど、知らない電話番号だったんです。さては、左遷されたかと思いまして(場内大笑)。僕は人の不幸が大好きなので(場内笑)、この人と1週間だけ付き合おうかと思いまして、やって良かったですね。松竹として凄く売上がある部門みたいで、左遷じゃなかったようですが。山本監督は、プロデューサーとして“出来る人”でした。でも、どうなんでしょうね……出来るから、どっか違うセクション行っちゃったんですね。だけど、それは僕は良かったと思います。……映画が撮れたじゃないですか!今日もここに居ませんが、飛行機に乗って海外の映画祭に行ってるらしいです。昨日のオバマさんもそうですが、海外で戦争がどう思われるのか……この映画は、化ける気がします。
大野 先ほどこの作品は、山本さんの自主映画だと言いましたが、もちろんただの自主映画ではありません。山本さんの勤続20年の貯金の内500万円ほどで作った映画ですが、パッと観てこの映画は5千万くらい掛かったのかと思うんじゃないでしょうか。これは、山本監督を慕って集ってきたスタッフの功績でもあります。たとえば、カメラマンの佐々木原(保志)さんは『その男、凶暴につき』など名作を次々お撮りになった方ですし、美術監修の磯見(俊裕)さんらの重鎮、そして照明の宮西孝明さんをはじめとする太秦の超一流のスタッフが集まって、松竹撮影所のセットで撮ったということで、その仕上がりは太秦の撮影所のパワーがとても出てるんじゃないかと思います。しかも、実質6~7日間で撮ってますから、山本さんを中心にお祭り騒ぎで撮った様な自主映画でしたね。
神戸 キャメラマンが良いから、映像は良いですね。私の芝居は下手ですが(笑)、映像を観ていただくだけで良い作品になったと思いますよ。山本監督に、「第2弾、やらねぇか?やらねぇか?」って言ってるんですけど……お金が無いんじゃないですか(場内笑)?でも、この映画は(お客様が)入ると思うんですよ。今はネット社会ですから、皆様の「良かったよ」という書き込みで(笑)。段々段々入るように、山本一郎監督が還暦くらいに第2弾が撮れるように、皆様、応援してくださいね。私も、第2弾に出たいなぁ。今度は、退職金もありますからね(場内大笑)、撮ってほしいなぁ。
大野 『あのひと』は、フランクフルトのニッポン・コネクションという世界最大の日本映画祭で先週上映されまして、満場のお客様がゲラゲラ笑いながら観ていただいたと聞いております。去年はミンスク国際映画祭で2つの特別賞を獲りました。【映画を信じることの奇蹟、人生を信じることの奇蹟への特別賞】【日本映画の伝統へのこだわりに対しての特別賞】という賞の名前を特別に付けていただいたそうなんですけど、名前自体がこの映画と山本さんの人生を表しているような賞ですよね(笑)。『あのひと』の脚本は、昭和19年に書かれた作品です。“あの人”とは誰だ?というような、国威高揚の映画に見えて、実はちょっと何か言いたいけれども言えないような……戦争の恐ろしさとは、そういうことじゃないかなと思います。そんなテーマを孕んでいる脚本が70年ぶりに見つかって、ここで今観るといった価値があるんじゃないかと思っております。そんな堅苦しいこともありつつ、織田作之助の滲み出るユーモアと、神戸さんはじめとする役者さんの演技で、面白い作品になったと思います。
神戸 田畑(智子)さんと共演できて良かったです。私は、『夫婦善哉』より面白い作品になるんじゃないかと思うんです。
舞台挨拶の後のサイン会では、観客一人ひとりが質問を浴びせかけ、サインに負けず劣らず質問の回答を求める人々の列が解けるまでには相当の時間を要した。
記者も、直接お話を伺うことが出来た。
大野 本番は1テイクだけだったので、語尾を言いやすいように間違ってしまったんです。それをアフレコで台本見ながら音入れしますから、合わなくなって……でも、監督は音と映像がずれてるのをそのままにしてるんですね。
――台本は一字一句変えないようにされたそうですが、ト書きも同じように?
大野 そうです、もちろん。
――では、ト書きに書かれていない部分に、山本監督の遊び心が?
大野 そうですね。ただ、『太平記』の一節を漢文の先生が読むところでも、やっぱり監督は本当に拘って、『太平記』を全部読んで「ここだ」って決めたり。唱歌を歌う場面で、どの唱歌にするかというのも。鷲尾(直彦)が演ってる市川の癖も、台本には“あの癖”としか書いてなかったんですよ。監督が織田作之助全集を読んだら、どうやら友達にそういう癖のある人間が居たというので、あんな癖になったんです。拘りは、徹底してました。
織田作之助が遺した“国策映画”のシナリオは、山本一郎監督の拘りによって、昭和から平成へと元号を越えた時代性を持つに至った。
現代に蘇った映画『あのひと』に込められているのは、70年を経ても拭いさることが出来ない“恐ろしさ”であり、時がたっても色褪せることがない“反戦の表明”である。
取材 高橋アツシ