湘南に声が集う夏『きみの声をとどけたい』レビュー
神奈川県の相模湾沿岸一帯は、湘南と称されている。その名は、かつて中国に存在した禅宗の重要拠点である長沙国湘南県を由来とする説が有力で、日本でも臨済宗を中心に禅宗を厚遇した鎌倉幕府の所在地とも重なる。徳冨蘆花、高濱虚子、川端康成、小林秀雄、石原慎太郎など名だたる文豪にに愛された国内屈指の観光リゾート地で、日本サーフィンの発症の地とされる。明治以来は特に大衆の耳目を集め続けることもあり、“湘南”の範囲が次第に拡大しているのも面白い。湘南は昔も今も、海と太陽と若者の街だ。
そんな湘南を舞台にした映画が、また一つ産声をあげた。『きみの声をとどけたい』といい、オリジナル長編アニメーション映画だ。もちろん、青春映画である……なんせ、湘南が舞台なのだから。
『きみの声をとどけたい』ストーリー:
湘南に住む高校2年生、行合なぎさ(片平美那)は悩んでいた。同じラクロス部で次期キャプテン候補の龍ノ口かえで(田中有紀)と、幼馴染でお嬢様学校に通う浜須賀夕(飯野美紗子)は、顔を合わせる度に口ゲンカを始めてしまう。また、引っ込み思案に見えて自分をしっかり持っている土橋雫(岩淵桃音)のように、将来の進路も定まっていない。
夏休みの直前、なぎさは雨宿りで廃店舗の軒先を借りる。入口が開いていたので好奇心で足を踏み入れると、閉店したカフェのような店にはDJブースと沢山のアナログレコードがあった。レコードプレーヤーのスイッチを操作すると電源が入り、なぎさはヴィヴァルディの「春」を掛け、悪戯心でマイクに向かって話し始めた。
次の日、矢沢紫音(三森すずこ)から抗議のメールが届く。なんと、なぎさの声は放送されていたのだ。話を聞くと、なぎさが座ったのは12年前まで日ノ坂向けの番組を放送していたコミュニティFM局「ラジオ アクアマリン」の放送ブースだという。なぎさは紫音の願いを叶えるため、半ば強引にラジオ放送の復活を提案する。
かえでと雫に協力を仰いだなぎさは、自分たちがパーソナリティ兼ディレクターとなり、紫音のためにラジオ番組の放送を始める。更に、押し掛けリスナーの中原あやめ(神戸光渉)、天才高校生ミュージシャンの琵琶小路乙葉(鈴木陽斗実)が加わり、人生で一度きりの特別な夏が今、はじまる――。
『きみの声をとどけたい』は、“声”がテーマの物語である。
姉御肌のかえでは、自分の声で皆が動くことを自覚し、悩んでいる。
芯の強い雫は、発する言葉の責任を意識している。
地元の名士の孫娘・夕は、発言の影響力の大きさに戸惑いはじめている。
ちょっとマニアックなあやめは、ラジオ放送の魅力に取り憑かれている。
ライブでステージに立つ乙葉は、音楽を自由自在に操ることが出来る。
そして、なぎさは言霊(ことだま)が視える特殊能力を持ち、言葉に込められた魂を皆にも信じてほしいと願っている。
出会ったのがそんな少女たちだったからこそ、声の力を信じられなくなった紫音も心を動かされるのだ。
また、なぎさたちが過ごすかけがえのない青春時代が、取りも直さず声優たちの自己投影(セルフ・プロジェクション)と読み取れる物語構成も興味深い。
主要キャストのうち6人は、新世代の声優を発掘するための企画「キミコエ・オーディション」を勝ち抜いたニューカマーである。作中の青春ストーリーは、3,000人の中から狭き門を突破した新人声優の成長物語でもあるのだ。
なぎさ役の片平美那は、宮城県出身の17歳。なぎさが自分に似ていると感じたそうで、収録を通して自身も成長したと感じたという。
かえで役の田中有紀は、東京都出身の18歳。強さを持つかえでを尊敬しているそうで、悩んだ時に何度も勇気をもらったという。
雫役の岩淵桃音は、宮城県出身の17歳。大人しくもしっかりしている雫から色々学んだそうで、キャラクターと一緒に成長できたという。
夕役の飯野美紗子は、長野県出身の20歳。皆とすれ違うことが多い夕だが、心根は優しい子だと伝わるよう心がけたという。
あやめ役の神戸光渉は、兵庫県出身の20歳。あやめが悩んでいる時は勇気を出させ、自分が辛い時はあやめから情熱をもらう、そんな風に補い合いたいという。
乙葉役の鈴木陽斗実は、千葉県出身の20歳。自身も音楽好きで乙葉役が決まって嬉しかったそうで、音楽への愛が伝わるよう演じたという。
彼女ら新人声優6人組は、「NOW ON AIR」というユニット名で活動中。3月8日に『この声が届きますように』でCDデビューを果たし、今後も様々なプロジェクトが計画されている。
「NOW ON AIR」のフレッシュな声を、野沢雅子、梶裕貴、鈴木達央ら実力派の声が、しっかりとサポートする。極めつけは、キミコエ・オーディションから「NOW ON AIR」を見届けた三森すずこ(『ラブライブ!』『デジモナドベンチャー tri』)が紫音役を務め、歩きはじめたばかりの新人たちを一人前の声優の道へと導くのだ。
そして、『きみの声をとどけたい』は湘南の魅力が詰まった映画であることも見逃せない。『パプリカ』『茄子 アンダルシアの夏』など新旧の名作を生み出し続けるアニメーション制作の名門・マッドハウスの作画は、架空の町「日ノ坂」にしっかりと湘南の匂いを纏わせる。長寿の鐘がある「蛙口寺(あこうじ)」のモデルとなった龍口寺、「日ノ電(ひのでん)」のモデルである江ノ電(江ノ島電鉄)など……今年の湘南は、夏が終わってもファンの聖地巡礼によって賑わいが続きそうだ。
役名にも注目してほしい。湘南“なぎさ”パーク、龍口寺を彩る“楓(かえで)”、長谷寺の紫陽花に光る“雫”、江ノ島から見る“夕”日、菖蒲沢の“あやめ”、鶴岡八幡宮の鳥居を繋ぐ“琵琶小路”……全部、湘南・鎌倉の名物である。『きみの声をとどけたい』は、他の土地から来た紫音が少女たちと絆を深める物語だが、同時に紫音が湘南に魅了される物語でもあるのだ。
伊藤尚往監督(『オーバーロード』)は、石川学(『モノノ怪』)の脚本が描く少女たちの想いが生んだ“奇跡”を見事に映像化し、忘れられない夏の思い出が観客の胸を熱く揺り動かす。「本日のあまちゃん」(連続テレビ小説『あまちゃん』のイラスト 通称「あま絵」)でお馴染みの青木俊直が描いたキャラクターデザインは、そんな温かい物語にノスタルジーと爽やかさをプラスする。
少し物悲しい風が頬を撫でる、そんな季節にぴったりな風景を、音声を、感じてほしい。映画『きみの声をとどけたい』なら、それが叶う。
誰しもが経験し、しかし誰も味わったことがない、そんな青春の奇跡を、なぎさ達と一緒に分かちあってほしい。映画館には、そんな力がある。
夏の終わりに、終わらない夏がはじまる……今年の夏は、そんな奇跡の夏だ――。
文:高橋アツシ
『きみの声をとどけたい』
8/25[金] ROADSHOW
©2017「きみの声をとどけたい」製作委員会