四捨五入では聴こえない『FAKE』鑑賞記


_1110541「劇場に戻ってこれて、私が一番嬉しいです。特にこのシネマテークは『A』(監督:森達也/1998年/135分)『A2』(監督:森達也/2001年/131分)『311』(監督:森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治/2011年/94分)全部やってくれてるので、絶対に外せないと思っていました」

2016年6月25日(土)夜、名古屋シネマテーク(名古屋市 千種区)の初日舞台挨拶に立った森達也監督は、万雷の拍手に迎えられていた。
森監督15年ぶりの監督作品『FAKE』(2016年/109分)は、2014年世の中を震撼させた“ゴーストライター騒動”の当事者・佐村河内守氏に肉薄したドキュメンタリー映画で、モーニングショーのみならずレイトショーも補助席・座椅子を総動員しても観客が溢れかえるほどの超満員札止となったのだ。

_1110546森達也監督 “放送したら終わり”のテレビは、一過性の強みで、大胆なことが出来ます。けれど、マーケットが大きいので萎縮してしまい、自主規制が起きる。しかも、自主規制だと分かってないんですね……「誰かが規制してる」と思ってしまっているところがあるんです。テレビ出身の僕は、作品について喋る場もなかったので、舞台挨拶って苦手なんです。映像って、“FAKE”なんです。僕らは良く“動画”って言い方をしますが、画は動いてないですから。観ていただいた『FAKE』も1秒間30フレームの静止画で、パラパラ漫画と一緒です。それを僕たちは目の錯覚で動いているかのように見えてしまう……ここからしてフェイクですよね。更に、カメラという存在があります。カメラが在る限り、“ありのままの現実”なんか撮れる訳がないんです。しかも、フレーム外の世界は無いことになっちゃう訳です。その上、編集する。“モンタージュ理論”は映像の編集の基本原理ですけれど、要するに観客に委ねる訳です。省略し、隠しているんです。隠すことで想像力を引き出し、もちろん誘導してます。そういった作為だらけなので、こうして喋ることでバレてしまいそうです(場内笑)。

――撮影途中で、佐村河内さんや奥さんには映像を見せたんですか?(客席からの質問)

森監督 見せません。この作品に限らず、絶対に見せないです。完成して、彼の場合字幕を付けなきゃならないんで、その上で見せました。で、何も言いませんでした。撮ってる間から、彼は偶に「作品は撮っちゃったら監督の物だから、もう何も言いません」って言ってたんですが、律儀に守ってくれました。多分、不満は一杯あると思いますよ。

_1110545――猫が絶妙なタイミングで、ギョッとした表情になりましたよね?(客席)

森監督 はい、猫が「嘘つけ!」って言ったんです(場内大笑)。フレーム外で言われたんで、慌ててカメラを向けたらあんな表情でした(笑)。

――あの瞬間に?(客席)

森監督 ……さあ(場内笑)?まあ、そう思って観ましょう(笑)。

――作品中、森さんから佐村河内さんに、色々な投げ掛けがありますね(司会進行:名古屋シネマテーク平野勇治支配人)

森監督 僕としては、外に出たかったんですよ。覚悟はしてたけど、本当に家の中ばっかりの撮影だったので(場内笑)、何とか外に引っ張り出したいと思って。でも、外に行けない理由も分かりますよね。変装したって、特に近所はバレますから。

――発声が聴き取りづらいシーンもありましたが、字幕を入れることは考えなかったんですか?(平野)

森監督 ないです。編集中、出演されたご本人にもそう言われましたが、言葉って一字一句わかる必要はないんですよ。日常だってそう、わかりづらい人もいるけれど、真剣に聴けばわかります。テレビだったら無理かもしれませんが、これは映画です。皆さん劇場で確りと観てくれてる、耳も欹(そばだ)ててる訳ですから。

――撮影を始めるにあたって、佐村河内さんとの交渉は難航されたのでは?(客席)

森監督 これは色々なインタビューで話してしまってるんですが、初めは本を書く企画だったんです。僕は何となく気乗りがしなくて一度断ったんですが、何度も熱心に誘ってくれるので、「じゃあ、会うだけ一回会おうか」ってことになったんですね。会ってみたら、「ああ……これは映像だ!」って思ったんですよ。とにかく、フォトジェニックだったんです。彼だけじゃなくて、奥さんがいて、猫もいて、暗い部屋の窓を開ければ電車が走ってて……全部、活字より映像だなと思ったんです。その場で、彼に「映画にして良いですか?」って言いました。一緒に行った編集者は隣で呆然としてましたけど(場内笑)。佐村河内さんは、本の話も完全にOKではなかったのに、いきなり映画なんて言われて、彼も呆然としていました。香さんは「私は駄目です!」って言って、猫も呆然としていました(場内大笑)

――町山智浩さんは、あるシーンそのものが“FAKE”じゃないかということを言ってるんですけど、如何でしょうか?(客席)

森監督 その発言は町山さんが出演したラジオなんですけど、「ヤラセです」って言った後に、「森達也監督が、あることをやらせてます」って言い方をしたんですよね。その後、対談もしたんですが、彼としてはちょっと茶目っ気でそういう表現をしたんです。僕としては問題ないんですが、偶にそこだけが独り歩きしちゃって「『FAKE』はヤラセだ」って言う人もいるんですけど……でも、同時に僕は思うんですけど、ドキュメンタリーってヤラセですから。挑発したり、誘導したり、時には腕を引っ張ったり……チャンバラしながら、こっちも挑発されたりするんですよ。そういう相互関係がドキュメンタリーなので、もちろん台本を書いたりしたら現場で面白くないんで撮る意味ないと思いますが、「今日、この質問をぶつけよう」とか「こんな提案をしよう」とか「「愛してる」と言わせよう」(場内笑)とか、そういう意味でのヤラセはあっても、僕はドキュメンタリーとして全然間違ってないと思ってます。そもそも、『FAKE』ってタイトルにも、そんなに拘りはなかったんです。むしろ、配給・宣伝会社は凄く嫌がりました。「横文字のタイトルって、先ずお客さんが入らない」って。「しかも、森さんの映画って全部、数字と横文字ばっかりですよね」って(場内笑)。「だったら、日本語のタイトルを何か付けて」って言ったんですけど『ケーキと猫』とか『横浜心中』とか、そんなタイトルしか出てこないから(場内笑)、仮タイトルだった『FAKE』になったんです。タイトルは記号であって、意味を込めたくないんですよ。

――次は誰を撮るか、決めてらっしゃるんですか?(客席)

_1110550森監督 ドキュメンタリーって、人を傷つけるんですよ。もちろん被写体だけではなくて、時には観る人に対しても加害性が強いんです。だから、自分にも全部撥ね返ってきて、結構毒が回ります。『311』は別として、『A2』撮った後15年撮らなかった理由の一つは、それなんですね。要するに“HP(ヒットポイント)がゼロ”になっちゃうんです。今まだゼロの段階なんで、余り考えてないんですけど……ドラマを撮りたいですね。僕は別にドキュメンタリー専門でやってる訳じゃないんで……次は、ホラー映画を撮りたいです(笑)。

――最後に一言、お願いします(平野)

森監督 多分、今この瞬間も、佐村河内守は薄暗いあの部屋で蹲(うずくま)ってると思います。こういう人は佐村河内さんに限らず、助けを求めてる人、声にならない声を上げてる人は、日本だけじゃなく世界に沢山います。スーダンで、シリアで、パレスチナで、沢山の人が救いを求めて、呻いてます。でも、結局メディアは“四捨五入”しちゃうんです。1か0か、黒か白か……何故か?僕らが求めるからです。視聴者が、読者が、分かりやすさを求めるから、メディアはそれに応えてしまう。でも、その結果、“間(あいだ)”が消えます。間とは、小っちゃな声です。囁きだったり、呟きだったり、呻きだったり。それが、どんどん消える……僕は、そんな世界は詰まらないと思います。マスメディアがどうしても四捨五入してしまうのであれば、ドキュメンタリー映画は一つの使命として、小さな声を拾い上げることが大事だと思います。

森監督自らが話すように、ドキュメンタリーは作家の意図の塊である。だが、それを分かった上で言う――『FAKE』は、必見だ。
『FAKE』が森達也監督の作為に溢れた作品であろうと、佐村河内守氏のプロパガンダ映画となる危険を孕んでいようと……私たちは、2年という余りにも長い間ワンサイドからの主張にのみ晒され続けて、うんざりしていたのである。
公開から連日劇場が満席となるのは紛れもなくその証左であり、それが正しくドキュメンタリー映画の存在意義に他ならないのだ。

取材 高橋アツシ

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