風前の灯を護る為の注意書き―『あいときぼうのまち』鑑賞記―
風前の灯を護る為の注意書き ――『あいときぼうのまち』鑑賞記――
菅乃 廣 「既に震災から4年目に入ろうとしています。東京の方ではもう過去の出来事のような雰囲気なんですが、私の出身地の福島ではまだ悪夢の真っ最中です。報道もなく余り知られてないのかもしれませんが、被害に遭った人の損害賠償は余り進んでないらしいです。東京電力さんは「誠心誠意賠償します」と言うんですけれども、実際には相談に行くと東京電力さんの弁護士から「文句あるんだったら裁判で訴えてみろ」みたいに冷たくあしらわれたと言う声も聞きます。また、制度自体も非常に不公平な物で、住んでる地域によって賠償して貰える人と貰えない人って言うのがはっきり分かれてまして、住民同士でいがみ合ったり悲しい出来事も起きております。でも福島の人はそう言う理不尽な目に遭っても、絶対に負けないと僕は思っております。そんな福島の心を名古屋に皆さんに伝えにきたと思っていますので、宜しくお願いいたします」(画像左より、井上淳一、千葉美紅、黒田耕平、伊藤大翔、菅乃監督、わかばかなめ)
菅乃 廣監督は、そう言って頭を下げた。
日本の原子力政策に翻弄され、傷つき、失い、絶望しながらも、「それでも生きて」いこうとする、四世代一家族の物語――そんな『あいときぼうのまち』は、福島県出身の菅乃氏にとって渾身の力を注いで初監督をするに相応しい作品であっただろう。だが、震災のみならず原子力発電が抱える問題をストレートに描き出し、東京電力を名指しで批判し、戦時中から続く日本の原子力政策そのものを糾弾する『あいときぼうのまち』の制作が如何許りの難産であったかは想像に難くない。キャスティングも大変難航したそうで、謂わばこの作品の出演者は「表現の自由」の急先鋒である。
2014年7月5日、シネマスコーレ(名古屋市中村区)『あいときぼうのまち』公開初日。舞台挨拶には菅乃監督、脚本の井上淳一氏のみならず、そんな気骨溢れる出演陣が駆けつけた。
千葉美紅 「西山 怜役の、千葉美紅です。今日は、お越しいただきありがとうございます。とっても嬉しいです…温かく迎えていただいて…こんなに多くの方に観に来ていただいて。ありがとうございます」
2012年、東京。西山 怜(千葉美紅)は身体を売っていた。震災の体験を鼻で笑ったサラリーマンだが、怜が16才と言う年齢を告げ淫行を盾に脅迫されると、あっさり代金を増額した。
黒田耕平 「名古屋の皆さんこんにちは、黒田耕平です。僕、以前『アジアの純真』(2011年/監督:片嶋一貴・脚本:井上淳一)と言う映画でも、このシネマスコーレに立たしていただきました。シネマスコーレとは“映画の学校”と言う意味なんですよね?その中で『あいときぼうのまち』を上映できたことは、本当に嬉しいです。僕自身東京に住んでいて、震災、その後の原発事故をニュースとかで見てはいたんですが………何も出来なかったです。何をどうして良いか分からないし、そんな力が有る訳でもないし…。初めて福島の人たちに対して起こした行動と言うのが、僕はこの映画に参加することでした。ポレポレいわき(福島県いわき市)で先行上映したんですが、そこで「本当にこの映画を作ってくれてありがとう」ってご意見をいただきました。その時に、僕は何も出来ないと思っていたけれど、こう言う形で繋がる事は出来たのかなと、本当に思いました。僕としては、この『あいときぼうのまち』が福島のことを知るきっかけになればと思ってます。本当に今日はありがとうございます」
ある日、怜は街角で募金を呼びかける男(黒田耕平)を見る。『FUKUSHIMAを忘れるな』と大書きされたプラカードを持つ彼の後を付けてみると、ラーメン屋に入った男は募金箱から代金を出した。“沢田”と名乗った男は、「人々が忘れないように義援金募金詐欺をしている」と嘯く。
伊藤大翔 「伊藤大翔と申します。初めて名古屋に来たんですけど、物凄く温かい街と言うか…凄い優しい人ばかりで…僕の中では、新しい発見って言うか(場内笑)…初めて来たので、名古屋ってこう言う雰囲気なんだって言うのを肌で感じてます。この映画はちょうど2年前に…震災からちょうど1年後くらいに撮影したんですけど、テレビの映像で見るより現地に行って肌で感じることが沢山ありました。メディアではW杯ばかり報道されてて、福島の事はどんどん忘れられて行っている現状で、この映画を通して福島にもっと目を向けてほしいなって思いました。今日はお越しいただきまして、ありがとうございます」
1966年、福島県双葉郡。酒浸りの父・英雄(沖 正人)に代わり家計を支える草野愛子(大池容子)は、まだ16才。英雄は少年時代(杉山裕右)の経験から、原子力発電所の誘致にどうしても賛成できず町から孤立する。愛子は親類を頼り接客業で働き始めるが父のこともあり客に絡まれ上手く行かず、頼みの綱の新聞配達も「恨むなら父親を恨め」と首になる。愛子が唯一心を許せる相手は、想いを寄せる奥村健次(伊藤大翔)。だが、高校一年生の彼が原発賛成派の周囲に抗う術を持つはずもない。健次の書いた標語は商店街を飾り、愛子は今日もやけっぱちで『原子力 未来の 明るいエネルギー』と書かれたアーチをくぐる。
わかば かなめ 「はじめまして。わかばかなめと申します。私自身この映画が大好きで、本当にこの映画に出させていただいて感謝をしております。ワンシーン、婦人警官役で出させていただいてるので、ここに来るのもおこがましいかなとは思ったんですけれども…。2回試写を観て、本当に一人でも多くの方に観ていただきたい映画に仕上がってるとの思いを深くしております。時代が交錯しててとても判りにくい部分もあると思うんです…ちょっと気を許してると付いていけなくなってしまったり。2回3回と映画館に足を運んでいただいてる方がとても多いので、皆様も2度3度と観ていただいて、更に大きな発見をしていただけたらと思っています。是非多くの方に観ていただきたいので、皆様の口からも宣伝を宜しくお願いします」
2011年、福島県南相馬市。音信普通だった愛子(夏樹陽子)と健次(勝野 洋)は、45年の時を経て心を通わせる。
だがそんな秘密を知ってしまった孫娘は、肉親の死を受け入れられずに苦しみ続ける。自暴自棄の果てに警察に保護され、婦警(わかばかなめ)が意外な事実を告げる。帰宅し祖父(大谷亮介)から語られる言葉が彼女に齎すのは、希望なのか、それとも――。
井上淳一 「脚本を書きました井上です。この仕事の話が来たのは2011年の夏の終わりで、本当に嫌でした。果たして僕は本当に被災者の方々の目線に立ってこの物語を書けるだろうか…被災した方々の視線に耐えうる映画を書けるんだろうかと思いました。震災直後、募金をしちゃったらそれで完結するような気がして募金も出来ず…ボランティアも俺が行って何になるんだろうとか色んな理由を付けて行かず…。ただ震災から半年経つ頃、これは一回行っとかないとと思い、仲間の監督や脚本家とレンタカーを借りて行きました。ずっと車で走ると、段々風景が変わってって…。被災地に着くと、当たり前のことを当たり前に気付きました…「東京と被災地って、地続きなんだ」と。その帰りに予てから興味のあった石川町のウラン採掘場に行って、「ああ、なんだ…土地が続いてるだけじゃなくて、歴史…時間も続いてるんだ」と。解りにくい構成だったと思いますが、時間と場所を交差させることによって、我々は常に歴史の中の一つである、同じ土地の中の一つであると言うことがお伝えできればと思いました。いわき市での先行上映の際、映画の中で1カット出てくる津波の映像を撮った方が「僕が撮ったんです」と話しかけてくれたんです。僕は単純に映画屋の悪い癖で「あのカットが有るのと無いのとでは、天と地の差があります」と言ったら、その方は「あの津波の向こうで自分の姉が飲み込まれているのを知らずに回してたんです」と………僕が言葉を失っていると、その方はこう言ってくれたんです、「だけど、この映画は我々が本当に言いたかった事を言ってくれました」と。この映画は福島を描いていますが、僕は福島から、今のこの集団的自衛権とか諸々の…僕は今、原発ではなく日本がメルトダウンしているんじゃないかと思っていますが…そんな日本を撃つと言う話をやったつもりです。この映画、“東電”と書いたおかげで苦戦しております。明日からも苦労すると思うんで、この映画をちょっとでも気に入ってくれた方は、ご自分がこの映画を育てるつもりで皆さんに広めてください」
怜のホルンが奏でる『亡き王女のためのパヴァーヌ』が響き渡る時、70年もの時が交差する。楽器の演奏が全く出来ない千葉さんは、ホルンを家に持ち帰り、楽譜を憶え、徹底的に練習したと言う。そんな入魂のシーン、どうぞお観逃し無く。
また、『あいときぼうのまち』はエンドロール後にちょっとした注意書きが映る。「表現の自由」について世に問う大変重要な文章が並ぶので、早めに席を立たぬようご注意を。
取材:高橋アツシ
『あいときぼうのまち』公式サイト:http://www.u-picc.com/aitokibou/