シネマdeサンバ!Vol.2 『百万円と苦虫女』
「誰も自分のことを知らない土地で、人生をやり直してみたい」
そんなことを考えたことがありませんか?私は、目の前の現実に切羽詰まったとき、人間関係に息詰まったとき、しばしば、そんなことを考えます。そして、新しい土地で、新しい生活をしている自分の姿を妄想して、現実逃避を思いっきり楽しみます。だけど、現実はシビアですよね。「お金はどうするの?」とか、「家族はどうするの?」とか、「どうせ、また嫌な奴出てくるよ」とか、どこからともなく冷静なもう一人の自分の声が聞こえてきてきます。
『百万円と苦虫女』は、そんな現実逃避を地で行く、爽快感抜群の映画です。二十一歳の鈴子は、ある日、思いも寄らぬことから「犯罪者」となってしまいます。そして、周囲からの冷たい目に耐えられなくなった鈴子は、百万円をアルバイトで貯めて、誰も自分のことを知らない土地へと引っ越すことを決意します。作品のタイトル通り、苦虫を噛み潰したような表情をしている鈴子ですが、行く先々の人々との交流の中で、揉まれ、成長して、表情が変わっていきます。鈴子演じる蒼井優の演技もさることながら、成長していく鈴子の姿を丁寧に切り取っていくカメラワークや、鈴子の色合いの変化を映し出す照明の使い方も抜群です。是非、注目してください。
「お前ら全員死ね!」と言って、自分を虐げる人々に立ち向かって行く鈴子。田舎で村八分を受けて、どうしようもなくなって、逃げるように他の土地へと移動していく鈴子。そんな鈴子の逞しくも、不器用に一人で生きていく姿には、危なっかしい強さ(こわさ)があります。そして、強さ(こわさ)を武器に、ひたすら走り続けていく鈴子の表情には、輝かしい強さ(つよさ)が加わっていきます。私は、鈴子に感謝しました。現実逃避をしているだけで、立ち止まっている私の代わりに、鈴子は体当たりで、見知らぬ世界に飛び込んでいき、大切なことを見つけてきてくれたからです。ラストシーンの鈴子がドーナッツをくわえている表情は、もはや苦虫を噛み潰したような表情ではありません。あっけらかんとしていますが、その表情は、鈴子の見つけた大切なことを、私たちの現実世界に、爽やかに届けてくれます。どこかに逃げ出したいけど、逃げ出すことができないとき。そんなときは、『百万円と苦虫女』を観て、鈴子と一緒に知らない世界へ逃げ出してみてください。
シネマdeサンバ! ~映画の情熱届けます~ ライター 松尾 哲
『百万円と苦虫女』
キャスト:蒼井優/森山未來/ピエール瀧 ほか