故・若松監督が愛した『シネマスコーレ』
名古屋駅 太閤通口を出てビックカメラを西に歩くと、左手に水色のビルが目に入る。
ビルの1階にある『シネマスコーレ』は、スクリーン数1・座席数51のミニシアターだ。
2013年2月に30年目を迎えるシネマスコーレ、その経緯をつい先月初めて知った--
そんな映画ファンも少なからずいらっしゃるであろう。
『水のないプール』、『われに撃つ用意あり』、『寝盗られ宗介』
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、『キャタピラー』、『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』……
綺羅星の如き作品を生み出し続けてきた若松孝二監督こそが、『シネマスコーレ』の創始者である。
『シネマスコーレ』は、映画監督が建てた映画館なのだ。
2012年10月17日、全ての映画ファン、殊に『シネマスコーレ』に通うシネフィル達にとって、忘れることの出来ない日となった。
--巨星、堕つ……若松孝二監督、逝去--
訃報は翌10月18日よりマスコミを通じて巷間を巡ることになった。
監督の志を29年間継ぎ続ける映画館『シネマスコーレ』が併せて紹介されることになったのは、なんと言う皮肉であろうか。
今だからこそ、聞きたい話がある……
今回、『シネマスコーレ』支配人・木全(きまた)純治さんが多忙な時間を割いてくださった。
Q.『シネマスコーレ』の支配人になった経緯を教えてください。
木全支配人(以下:木全):1982年、突然掛かってきた電話がそもそもの始まり。監督から直接、「若松です」と(笑)
Q.元々面識があったのですか?
木全:ありません(笑)監督の作品で1本凄く好きな作品があったくらいで、会った事もなかった。若松孝二と言う人は、学生運動の中で“希望の星”と言うか、闘士と言うか…よくは知らないまでも、一目置く存在だったけれど。(監督が)名古屋で映画館をやるが支配人をどうしようと言う話になり、文芸坐の支配人に相談した。文芸坐は前に働いていたので推薦されて…そんな流れで、若松孝二監督から直接電話が。スコーレのある場所は前は居酒屋があって、僕が来た時にちょうど工事をやってた(笑)(画像:木全支配人)
Q.『シネマスコーレ』と言う映画館の特徴を教えてください。
木全:若松孝二と言えば、自主映画…だから、インディーズ映画を作る人を応援すると言うのが根本にはあるんです。1986年に大きな波があったんです。(1986年『夢みるように眠りたい』公開、 1987年『ゆきゆきて、神軍』公開、 1988年『紅いコーリャン』公開)で、若者たちが来てくれた。一大ムーブメントになったんです。そこから25年、ずっとなかったムーブメントが今また起きている。きっかけは『サイタマノラッパー』。「よし、今なら出来る!」と思って、始めたのが『スコーレ・インディーズ・ショップ』です。
Q.詳しく教えてください。
木全:今また、日本映画の新しい創り手が一気に出てきた。その人達を応援していると言うメッセージを発信したかった。元からやりたかったのはあるんだけど、僕がやる訳じゃなくて、みんな…若者の世代がやる気になってくれないと、こう言うのは運動体にならない。『スコーレ・インディーズ・ショップ』は、創り手と映画ファンが繋がれるような…とにかく、開けたものにして行かなければ…そう思ってます。
木全支配人の言う『スコーレ・インディーズ・ショップ』とは、シネマスコーレに通う映画ファンで構成されたボランティアスタッフの手で運営されている、インディーズ映画の関連グッズを扱うファンショップ。レアな掘り出しモノ多数あり。
場所はシネマスコーレ向い『アジアスーパーシネセンター』店頭、営業時間は毎週日曜13:00〜16:00。
意外に横の繋がりがない映画ファン同士の交流の場として一役買っている場所でもあるので、近場の方は覗いてみては?
取材・文:高橋アツシ
『シネマスコーレ』公式サイト http://www.cinemaskhole.co.jp/