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老いの苦悩と、認知症のきらめき『彦とベガ』レビュー


【第13回 伊参スタジオ映画祭】≪シナリオ大賞(中編の部)≫を受賞し、映画化されてからは全国の映画祭を席巻、【あいち国際女性映画祭2015】≪金のコノハヅク賞≫など数々の栄冠に輝いた、谷口未央監督の長編デビュー作品『彦とベガ』(監督・脚本/2014年/64分)待望の一般上映がいよいよ始まる。

『彦とベガ』ストーリー:
比古朝雄(川津祐介)は、妻・こと(原知佐子)と二人、山あいの古民家で暮らしている。認知症の妻を介護する父を見かね、娘・環(竹下かおり)は介護付有料老人ホームへの入居を進めるが、朝雄は頑として受け入れようとしない。認知症が進んだ こと は自分を少女だと認識しており、朝雄との結婚前のニックネームである“ベガ”と呼びかけないと反応せず、朝雄のことも当時の呼び名であった“彦”と呼ぶ。朝雄はそんな時おり少女時代の面影(松竹史桜)を見せる こと を愛しており、観測に相応しい夜には車椅子の こと を連れて河原で星を観るのを日課にしている。
ある日、比古家に新人の介護士がやってくる。こと を介護する朝雄自身も足が悪く、白内障を患っており、手が行き届かない家事をホームヘルパーに頼っているのだ。新しい訪問介護士・菊名慧(柳谷一成)は、カメラマンの夢に破れた26歳で、介護という仕事に特別な情熱がある訳ではない。だが、こと は菊名を気に入って、訪問時間になると玄関で待ちわびるようになる。どうやら彼女は、菊名を“彦”だと思い込んでいるようなのだ。菊名も こと の好意を受け入れ、仕事の垣根を越えた心の交流を結ぶ。しかし、そんな二人を、朝雄は複雑な想いで見詰めるのだった――。

『仇討ち』(監督・脚本/2011年/32分)で剣道少年の恋を鮮やかに描き国内の映画祭で多くの賞賛を受け、【ショートストーリーなごや】作品『矢田川のバッハ』(2012年/15分)で、ある親子の心の変化を繊細に描いた谷口未央監督は、新作のテーマに“老いの苦しみと輝き”を選んだ。
現役の介護士という自らの経験が十二分に活かされた脚本と、【伊参スタジオ映画祭】作品でお馴染みの群馬県 中之条町で撮影された風景の空気感、そして谷口監督の確かな演出プランにより、『彦とベガ』は叙情的でありながらも極めて時代性に富んだ視覚的な作品となっている。
朝雄は、認知症の妻・こと のことを、二人で過ごす時間を愛している。時に少女にしか見えない“ベガ”を優しく包み込む“彦”であるが、傘寿に届こうという齢にして嫉妬に苦しむ。そんな優しく、頼りなく、そして可愛らしくもある心の機微を、澄み切った中之条の空が、古民家の縁側から差し込む陽の光が、暖かくも鋭くスクリーンに浮かび上がらせる。古びた日本家屋の空気は粒子となって質量までも可視化されたような重厚な雰囲気を醸し出すが、それもそのはず、ロケーションに使われた“比古家”は築200年という県内屈指の木造民家で、中之条町の重要文化財なのだとか。
菊名は、仕事の領分を測りかねて悩んでいる。自分のことを恋人と思い込んでいる利用者のことを、菊名自身も愛らしいと感じ始めている。そんな若者特有の、そして新人特有の胸の痛みを、田を渡る風の音が、ふと脚を止めた時のペダルの軋みが、観る者の感情に届ける。緑なす中之条の田園の只中を、菊名の駆るLOUIS GARNEAU(ルイガノ)のマウンテン・バイクが、真っ赤な一直線を描き出す。

天の川や、部屋に射しこむ光跡(光の帯)のことを、ベガ(こと)は“白い闇”と表現する。射しこんだ光でハレーションを起こした写真を菊名は失敗作と言うが、ベガは宝ものが詰まった缶に大切に仕舞う。
また、朝雄が こと を連れて出かけたある夜、行きつけの河原は若者たちが占拠しており、花火やドラム缶から立ちのぼる煙で夜空は覆われている。「これじゃあ、星は観えないな」と車椅子を引きかえす朝雄にベガは癇癪を起こすが、彼女は星が観られないことではなく、闇の中に白く浮かび上がる煙を見ていた自分を邪魔した朝雄に怒っていたのかもしれない。空が明るく星の観測には不向きな月夜に外出することを朝雄は控えていたが、そんな夜こそベガは空を見上げたかったのかもしれない。
夜の河原で、二人は違うものを愛でていたのだ――彦は、星々の光を。ベガは、“白い闇”を。
“白い闇”とは、生きていく上での一瞬の輝きのことなのかもしれない。だとしたら、認知症で頭の中に掛かる靄(もや)めいた記憶の混乱も、やはり“白い闇”なのだろう。
いくつになっても人は、間違い、誤りに気付き、煩悶する。そんな愚かさを、脆弱さを、愛おしさを、谷口監督の眼は真っ直ぐに見据え、脚本に、作品に描き尽くす。

幸運にも、谷口未央監督と直接コンタクトを取ることが出来た。
記者の質問に回答を頂けたので、“誌上インタビュー”の体裁で紹介する。

Q.【伊参スタジオ映画祭】大賞受賞から、『彦とベガ』完成までの経緯を教えて頂けますか?
谷口未央監督 月並みですが、まずスタッフィングに奔走しました。受賞の年末に主人公の川津祐介さんにオファーして、オーディションなどで他のキャスティングも進めました。同時に製作費も募り、翌年7月中頃に撮影。映画祭開催月の11月まで編集し、どうにか無事完成しました。

Q.松竹史桜さんが好演されていました。撮影中、松竹さんの印象は如何でしたか?
谷口監督 松竹さんは夜の撮影が多かったので、昼間はよく寝てました(笑)
それを冗談で指摘すると、「寝てないです!」と本気で否定するのが面白かったです。原知佐子さんの演技をよく見て、自身の演技にも投影していたように思います。

Q.柳谷一成さん演じる菊名の存在が、凄くリアルに感じました。監督自身の経験が盛り込まれたエピソードはありますか?
谷口監督 新人介護士・菊名は正に私の分身で、私の経験した苦さを経験してもらいました。
菊名が身の上話をしながら、「分からなくていいんです」と言うシーンがありますが、私も認知症の方にだと普通話さないようなことをつい話してしまうことがあります。忘れてくれる心地良さに救われるといった感じでしょうか。
また、男性介護士による女性への入浴介助などは、実際介護の現場ではよく見かけるシーンです。とても大切なキャラクターです。

Q.これから『彦とベガ』を観られる方に、メッセージをお願いします
谷口監督 老人介護、認知症。マイナスな印象を持たれがちな、実際に苦悩が尽きない題材ですが、老いの先にある“生“と“認知症のきらめき”をすくい上げることに心を砕きました。駆使した表現でその辺りが伝わりましたら、とても嬉しいです。

谷口監督、公開前の大変お忙しく貴重なお時間を割いていただき、本当に有難うございました。

『彦とベガ』は、【K’s cinema】(新宿区 新宿)にて7月16日(土)より封切となる。ちょうど“海の日”を含む三連休、新宿の映画館で“天体観測”を楽しんでみては如何だろう。

わし座α星アルタイル(Altair)と、こと座α星ベガ(Vega)――天の川を挟んで見詰めあう、“彦星”と“織姫”。はくちょう座α星デネブ(Deneb)が現れたことにより、とんだ“夏の大三角”関係となってしまったが、もう一度夏の夜空を見上げ、天頂に程近い東の方角を凝視してほしい。
はくちょう座は、別名“ノーザン・クロス”……北十字星ともいう。彦星とベガの間に大きく架かるノーザン・クロスは、星を結ぶと――“相合傘”になる。

ベガが口ずさむ“過去”と“現在”の旋律がハーモニーとなる時、眩いばかりの“未来”が耳をくすぐるのだ――。

文 高橋アツシ

『彦とベガ』公式サイトhttp://hiko-vega.com ©2014 / Mio Taniguchi

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