渡り鳥は、映画の結晶を繋ぐ『ジョギング渡り鳥』鑑賞記


_1110743「先週、横浜(シネマ・ジャック&ベティ)、深谷(深谷シネマ)と上映がありまして……少しずつ西に渡ってきて、今回は名古屋なんですけど、こんなに沢山の方に来ていただけて本当に嬉しく思っております。私も一緒に観ておりまして、初めて行った劇場さんで掛かると、“他人の映画”みたいな感じがして、ちょっと緊張しておりました。凄く集中して観てくださっている雰囲気を感じましたので、この後ご感想が聞けるのをとても楽しみにしています」

出演者でありながら、世界観サブテキスト・音響効果・制作事務・宣伝と、陰に日向に映画に深く係わってきた中川ゆかりは笑顔で頭を垂れた。

「僕らは宣伝も自分たちでやってまして、僕は働いてる会社に無理を言って会社のワンボックスに『ジョギング渡り鳥』のステッカーをデカデカと貼らせてもらったんです。それに乗ってバンドワゴンみたいに色々な所に行くのが夢だったんですが、僕は中々地方の上映に行けなかったんですけど、今日その車で2人乗せてやって来たので、夢が一つ叶いました」

同じく出演者でありながら、音楽・小道具・合宿寮長・宣伝を務めた小田篤は、“バンドワゴン”の同乗者・永山由里恵、茶円茜と共に、満面の笑みで会釈した。

2016年7月9日(土)夜、名古屋シネマテーク(名古屋市 千種区)の客席は多くの観衆で埋まった。監督、脚本家、俳優と表現者として様々な引き出しを持つ映画作家・鈴木卓爾監督作品『ジョギング渡り鳥』を、映画ファンは心待ちにしていたのだ。
公開初日のこの上映回は、鈴木卓爾監督、出演者(中川ゆかり・永山由里恵・茶円茜・小田篤)の総勢5名という大所帯が、万雷の拍手に迎えられ登壇した。

『ジョギング渡り鳥』ストーリー:
純子(中川ゆかり)は、出会い系サイトが趣味の郵便局員で、毎朝のジョギングコースで一緒になる山田(古屋利雄)のことが気になっている。ジョギングコースの途中にはお茶やチョコレートを振舞うちょっとしたエイドステーションがあり、多くのジョガーが羽根を休める。
羽位菜(永山由里恵)は、元オリンピック女子マラソン金メダリスト。マラソンコーチである夫・聳得斗(古川博巳)とその教え子の蘭(坂口真由美)の面倒を献身的に看る側ら、ジョギングコースでお茶やチョコレートを配っている。
古本屋を営む小説家・寿康(小田原直也)は、羽位菜夫妻と蘭の取材にジョギングコースを訪れる。ある朝、一人言に耽っている女性が気になり声を掛けると、彼女はスマートフォンで作品を撮影する自主映画監督・松太郎(柏原隆介)の主演女優・真美貴(古内啓子)であった。
羽位菜のエイドステーションでお茶を飲むルル(茶円茜)は、片腕の呑気者・どん兵衛のことを何かと気に掛けている居酒屋店員。最近は、流れ者・珍蔵(小田篤)がどん兵衛と馴れ馴れしくしているのが気に入らない。
そんな入鳥野町の人々を、母船が壊れて地球から帰れなくなった【モコモコ星人】たちは、カメラとマイクで監視しはじめるのだった――。

_1110727鈴木卓爾監督 では、どういう経緯でこの映画が作られたのかを……小田さんから(笑)。
小田篤 出演者の大部分は映画美学校(東京都 渋谷区)の俳優科一期生です。授業の前の飲み会で「何かやりたいことはある?」って講師の鈴木卓爾さんから話を頂いて、僕は「合宿がしたいです」と言いましたら、卓爾さんが乗ってくださったんです。元々卓爾さんの授業は、3回分しか無かったんですね。1回が3時間でしたっけ?
鈴木監督 そんな感じでしたね……1時間半を2コマの3時間を、3回みたいな。
小田 それが合宿というので、あれよあれよと3年半かかる授業になったんですよね(笑)。
鈴木監督 “ワークショップらしさ”を最後までキープすること……初動の勢いというものを消さずに、このままお客様に届けられたらちょっと凄いことだなと思うことをやる切っ掛けになったのは、小田さんの「合宿したい」って言葉でしたね。

鈴木監督 そうやって始まった映画作りの流れを……じゃあ、羽位菜さんから(笑)。
永山由里恵 卓爾さんが【深谷フィルムコミッション】の強瀬(誠)さんとお知り合いだったので、深谷で合宿・撮影をしようというお話になりました。
鈴木監督 埼玉県の深谷市に一人で農業をやっている非常に映画が好きな男がいて、【深谷フィルムコミッション】をほぼ一人でやっているんです。強瀬さんは、色々と街の面白い人が集めるパワーを持った人なんですね。『ゲゲゲの女房』(監督・脚本/2010年/119分)の時に深谷で大多数の場面を撮ったので、それから付き合うようになりました。補足終了。はい、どうぞ!
永山 (笑)。2013年1月、深谷で撮影が始まって、撮影期間は5日間でした。一回、そこで撮影は終わったんですが……
鈴木監督 その後すぐ、この子たち一期生の修了制作のオーディションが始まるよ!って時期だったんです。万田邦敏監督の『イヌミチ』(2013年/72分)っていう作品のプロダクションが2月からスタートするので、僕の授業は一回撮影を切ったんですよね。
永山 夏に今まで撮った素材を合宿で観て、俳優11人を3グループに分けて、それぞれで編集してみようってことになりました。それを皆で鑑賞して、秋にまた撮影をしたんです。
鈴木監督 秋に撮影をして、2013年はそれで終わりました。その後、僕が3時間12分ってバージョンを一回作ったんですけど、劇場公開するに当たり、編集者に外部の人を迎えたんです。強瀬さんを引き込んだように、第二の刺客として。黒沢清監督の『CURE』(1997年/111分)とか『復讐』シリーズ(1997年)、『蛇の道』(1998年/85分)、『蜘蛛の瞳』(1998年/83分)、或いは『稲村ジェーン』(監督:桑田佳祐/1990年/120分)なんかを手掛けてる日活出身の編集者で、鈴木歓さんという人でして、全部預けて一通り繋いでもらったのが、この最終デザインの2時間37分の元になりました。

_1110733鈴木監督 2014年から去年の頭くらいまで、ずっと仕上げ・編集と音の仕上げをやって、映画のかたちが整うと、その後、宣伝が始まっていくんですけど……ここは、中川さんが良いかな?
中川ゆかり 宣伝は自分たちで行っているんですけど、上映の配給のタイミングで宣伝統括に【カプリコンフィルム】の吉川正文さんに入っていただきました。この吉川さんも元々は卓爾さんと【シネマ☆インパクト】の『ポッポー町の人々』(2012年/86分)とか『私は猫ストーカー』(2009年/103分)で一緒にお仕事をされていた方で、試写で立教大学お借りして篠崎誠監督に観ていただく時に吉川さんも同席してくださったんです。「どうしようか?」という具体的な話の中で「自主配給やったら良いんじゃないか」ってお話したのが切っ掛けで、新宿での上映(K’s cinema)が決まるという……吉川さんとの出会いによって、トントン拍子に動き出したんですよね。
鈴木監督 俳優を学校で教わるということを、どう捉えるか……競争の激しい世界だったりするのは常識なんですけど、吉川さんも一緒だった【シネマ☆インパクト】は、僕のクラスに集まってきて2週間で映画を撮り必ず劇場公開するシステムの映画塾だったんです。俳優さんは選んで良い、主演がいて脇役がいて、出れない子が出ても良いと言われていたんですけど、僕は『ポッポー町の人々』という映画で全員を撮ろうとしてみたんです。今回の映画を撮るに当たって、映画美学校の人たちはもう2年も一緒にやっていて、まるでバンドみたいに阿吽の呼吸が取れてたので、上手く作品に投影するのに“お互いを撮影し合う”形式を採ったんです。撮っている人たちというのは目には見えなくて、人間とは違って“群体”の行動を取る……主役が誰とか1番2番みたいな、そういうものを取っ払った形式で映画を作れないかと思ってたんですが、宣伝では「こんな映画を本当に映画館で観せられるのか?」という不安が付き纏いました。
中川 そこで吉川さんに観ていただいて、「大丈夫」と後押しを頂きました。最初に俳優はもちろん作ったメンバー皆で全体会議を始めてから、1年くらい掛けて、コピーやビジュアルを作りながら、どうやって広めていこうかって話しながら……試行錯誤の連日連夜でした。ひたすら街にチラシを配りに行くってことを、地道にやりました。
鈴木監督 “チラシ撒き番長”は羽位菜さんが担ってくれて、東京都内の200店舗くらいのお店にチラシを置いてくださったんです。
中川 普通、商業だともっとですが自主映画でさえ、俳優だと宣伝の部分、見せる部分は一番ノータッチで、現場が終わったらしばらく忘れていて後で呼ばれる、みたいな状態がほとんどだと思うんです。この映画に関しては、途中も、合間も、演って、見せて、実際立ち上がるところまで全部……
鈴木監督 今や全国で公開させていただいてるので、延べの係わった人がこんなに膨れ上がっていくってことは……
中川 ……パンデミック!
鈴木監督 ……そこまでは行かないかもしれないけど(笑)、“中デミック”、いや、“小デミック”くらいは(一同笑)……

_1110729鈴木監督 えぇと……茶円さん、何か(笑)。
茶円茜 (笑)。観ていただいても分からないと思うんですか、この作品は最初にシナリオがあった訳ではなく、それぞれのシーンだけがあって、自分たちも5日間はそれを撮っていたんですね。それを、「繋げてどういう話になるんだろう?」と考えて、撮りたかった部分も含めて追撮しました。7月に自分たちで編集したのも、沢山のカメラがあったので素材だけで24時間以上あったものを「これ台本ないけど、どう繋げたらどういうお話になるんだろう?」って繋げました。そして、更に足りないものを秋冬の追撮をして仕上げたという形です。
鈴木監督 この映画の中では、茶円さんが絶妙なカメラをやってるんです。かなり遊ぶ方なんで、「もう一回撮るよ」って言うと全然違う画を撮るんですよ。あるシーンも、尋常じゃなく美しく撮れてたんですよね。そういえば、この映画を撮ることになる前、Twitterで……
茶円 他の自主映画を撮影してる時、中川ゆかりさんが寝てるところを私が盗撮した写真ですか(笑)?
鈴木監督 そう。眠り顔の写真が、余りに美しくて。これは、そういう係わりだから撮れるんだと思いまして……映画を撮る時には新しいものが無いと詰まらないので、最初の一歩として茶円さんの“眼”は訴えてくる力がありました。

鈴木監督 この映画は、ストーリーが説明できないことになってます(場内笑)。ただ一つ、小田さんが書いてくれた『ジョギング渡り鳥』の歌、あの曲がストーリーだと僕は思っています。最初に聴かせてくれた中には、“演歌バージョン”があったり、笠木シヅ子ばりのブギウギがあったり(笑)、朗らかな曲があったり、4パターンありましたよね。
_1110737小田 とにかく全員でやるってことで、普通は俳優は行かないロケーション・ハンティングにも皆で行きました。どこかの土手に居た時に、卓爾さんが「小田さんさぁ、“嗚呼、ジョギング渡り鳥~”みたいな曲作って」みたいなことを言い出して(場内笑)……最初冗談だと思ったんですけど、「あの目の奥の光は本気だな」と思って、4曲作って持っていったんです。その時点でこの映画がどうなるかっていうのは僕も分かってなかったので、最初に作った1コーラス目の歌詞は、ジョギングの仕方しか言ってないんですよね(笑)。
鈴木監督 でも、アニメーションの主題歌なんかも、身長なんメートルとかが歌詞じゃないですか。あとは、「正義で働いてます」とか(笑)。だから、これでいえば“ジョギングの走り方”が詞になっていくのは正解じゃないですか(場内笑)?歌があるだけで主題歌が“旗”になるので……『七人の侍』(監督:黒澤明/1954年/207分)の“○○○○○○△た”みたいなものが携帯できる“旗”としてあったことは大きかったですね。へこたれずに、やれました。
小田 僕なんかが作った歌を、撮影現場でも何となく皆憶えててくれて、口ずさんだりしてくれるのは、非常に嬉しいことでしたね。

鈴木監督 『ジョギング渡り鳥』は、一様に同じ言葉を発する映画ではないと思ってます。お客様の中で完成するものってあると思うんですよね。この映画は、新しいお客様への投げ掛けをしたいと思って作った映画なんです。例えば明日起きた時、お客様の頭の中で言葉になる、映画の結晶として言葉になる……どんな言葉なのか、呟いてくれると嬉しいです。

_1110747舞台挨拶後のサイン会では観客から百人百様の“映画の結晶”が届けられ、雨上がりの今池の夜は晴れやかに更けていった。

名古屋シネマテークに寄贈するサインを丁寧に書き(描き)あげた鈴木卓爾監督は、壁に貼られた色紙にもう一行付け加えた。

“私たちは、Migrant Birds Association.です。”

今後、更に西を目指す“渡り鳥”が近くの劇場に降り立ったならば、あなたも是非“映画の結晶”を繋いでほしい。

取材 高橋アツシ

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