あの時代、全身全霊で恋をした『無伴奏』レビュー
直木賞作家、小池真理子の「恋三部作」の一つ『無伴奏』が出版から25年を経て映画化、今春公開される。
半自叙伝的とも言われる作品の舞台は、作者が高校時代を過ごした宮城県仙台市。タイトルの『無伴奏』はかつて仙台に実在したバロック喫茶の名前だ。
1969年、春。反戦運動、学園紛争の波が日本を席巻する混沌とした時代、地方都市の仙台にも影響は及んでいた。
高校三年生の野間響子(成海璃子)は、親友のレイコ(酒井波湖)とジュリー(仁村紗和)と共に、制服廃止闘争委員会を結成し、生徒たちに制服の撤廃を訴えていた。
社会運動の端くれに身を置くことに存在意義を見出だしていたある日、親友たちと入ったバロック喫茶「無伴奏」で、渉(池松壮亮)という大学生の青年と出会う。
渉の幼馴染の祐之介(斎藤工)、祐之介の恋人で奔放な美少女エマ(遠藤新菜)とも知り合い、響子を加えた四人で時を過ごすようになる。
どこか淋しげな渉に惹かれた響子は社会運動から離れ、恋に夢中になってゆく。渉のそばにいたいがため、高校卒業後も仙台に残ると決め、二人の仲はさらに深まると思われたが、ある雷雨の夜、響子は衝撃的な光景を目にするーー。
1969年から1971年、激動の時代を背景に一人の少女が大人へと変わりゆく様が生々しく、赤裸々に描かれる。
親や学校に反抗を繰り返す主人公・響子には、しかし明確な大義は何もない。彼女が自認するように、それは「まねっこ猿」に過ぎず、やり場のないフラストレーションをぶつけるだけの対象だった。
しかし、渉と出会い響子の中心は彼になっていく。初めての恋、初めてのセックス…響子の心と体は急速に「女」へと変貌を遂げる。
渉と美しい姉・勢津子(松本若菜)の立ち入れない親密さや、常に渉に寄り添う祐之介の存在が、響子と渉の間に横たわり、何度体を重ねても心を分かち合えない寂しさが付きまとう。
響子だけでなく、登場人物はみな愛を求めるが、誰もそれを掴むことが出来ない。
すれ違い、本心をさらけ出せず、ひたすらに体を求め合うのだ。まるでそれが心を繋ぐ方法であるかのように。
少女から女性へと成長するヒロイン・響子を若き実力派、成海璃子が演じる。
恋する男の秘密を知ってもなお、全てを吸収し理解者であり続けようとする女の覚悟と包容力を体現し、激しい性愛シーンすら堂々と演じ切り、女優としての新たな魅力を切り開いた。
ナイーブでとらえどころがない青年・渉を『愛の渦』、『海を感じる時』などで見せた高い演技力で今最も注目される俳優、池松壮亮が演じる。渉のもつ繊細さと激しさ、孤独を唯一無二の存在感で表現する。
友人カップル、祐之助とエマ役の二人も見事に役にはまっている。
退廃的な美青年、祐之介の心の闇を斎藤工が悩ましく演じ、さすがの大人の演技だ。
モデルとしても活躍するエマ役の遠藤新菜は、無邪気に祐之介を愛するエマの愛らしさ、その哀しさを観る者の胸に植え付ける。
監督は『ストロベリーショートケイクス』、『太陽の坐る場所』の矢崎仁司がメガホンを取り、才能あるキャストたちと共に激動の時代の青春を鮮やかに現代に再現してくれた。
あの時代だからこそ、かように美しく花開き、散っていた恋。だからこそ余計に遠く、切なく胸を震えさせる。その時代を生きた人たち、そして現代に恋する若者たちにも是非、この恋の物語を観て欲しい。
文:小林サク
『無伴奏』
監督:矢崎仁司 原作:小池真理子『無伴奏』(新潮文庫刊、集英社文庫刊)
キャスト:成海璃子/ 池松壮亮/ 斎藤工/ 遠藤新菜 /松本若菜 /酒井波湖 /仁村紗和/斉藤とも子/藤田朋子/光石研
2015年/日本/カラー/16:9/5.1ch/132分 配給:アークエンタテインメント (c) 2015「無伴奏」製作委員会
2016年3月26日(土)より新宿シネマカリテほか全国ロードショー
※名古屋・センチュリーシネマにて、3月27日舞台挨拶アリ!成海璃子、池松壮亮(登壇予定)
※詳細は公式サイト等でご確認ください。