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百年戦争後期、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の内戦状態にあったフランスは、イングランドにルーアンを陥とされノルマンディー一帯を掌握される。陥落すればフランス南部への足掛かりとなりイングランドによる占領が決定的となるオルレアン包囲戦をジャンヌ・ダルクの活躍により勝利したアルマニャック派は、地方都市ブールジュの王に過ぎなかったシャルル7世をフランス・ヴァロワ朝の第5代国王とした。百年戦争を終結させた“勝利王”の誕生である。サントル州アンドル=エ=ロワール県シノンは、1427年シャルル7世が宮廷を開いたコミュヌである。『最高の花婿』の舞台シノンは、“フランス庭園の名花”(La fleur du jardin de la France)と呼ばれている。
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閑話休題―ソレハサテオキ―……時は、現代……
シノンの名士クロード・ヴェルヌイユ(クリスチャン・クラヴィエ)とマリー(シャンタル・ロビー)夫妻は、憂鬱な日々を送っていた。長女イザベル(フレデリック・ベル)の婿ラシッド(メディ・サドゥアン)はアラブ人、次女オディル(ジュリア・ピアトン)の婿ダヴィド(アリ・アビタン)はユダヤ人、三女セゴレーヌ(エミリー・カーン)の婿シャオ(フレデリック・チョウ)は中国人、愛娘たちの夫は揃いも揃って異教徒の外国人なのだ。
ヴェルヌイユ夫妻は、宗教観も食事のマナーも異なる“異文化コミュニケーション”に悪戦苦闘する。クロードは溜まっていた不満を爆発させ宴席の椅子を蹴り飛ばし、マリーは拗れた舅・婿の仲裁に心を砕く。クロードとマリーは、百年戦争ならぬ“厄縁(やくえん)戦争”を闘っているのである。
そんな父母にとって、末娘ロール(エロディー・フォンタン)の幸せな結婚は最後の希望である。ロールの恋人シャルル(ヌーム・ディアワラ)は、ヴェルヌイユ家が待ち焦がれたカトリック教徒……では、あるのだが――。

実にセンシティブな物語を娯楽作品に昇華した、フィリップ・ドゥ・ショーヴロン監督の演出・脚本(共同脚本)の手腕に驚かされる。エスニック・ジョーク全般がタブー視されがちな日本なら“取扱注意物件”になりかねない物語が、抱腹絶倒のコメディに仕上がっている。“文化の違い”だの“お土地柄”だの、通り一遍の解釈で片付けたくない衝撃である。
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私見だが、映画には3つの指標があると思っている。数値化できるものではないので、指針もしくは指向と表現した方が良いかも知れない。
娯楽と芸術との間で動く、“文化度”。
実験と普遍との間で動く、“独自度”。
先進と伝統との間で動く、“時代度”。
『最高の花婿』は、文化度は娯楽寄り、独自度は普遍寄り、時代度は中庸、である。
普遍的な娯楽作、と表現すれば凡庸なコントと勘違いされてしまうかも知れないが、注目して欲しいのは『最高の花婿』が持つ時代度である。
古代より異言語、異教と接触を通じ、衝突、和解、邂逅を繰り返してきたヨーロッパ世界の縮図を、時代背景を現代に移しメタファーして見せた上、結婚と言う文化交流の最小単位で“異文化コミュニケーション”を見事に描き出したシナリオは、秀逸としか言い様がない。
温故知新であり、吐故納新……このバランス感覚こそ、まさしくショーヴロン監督の作家性である。

大いに笑って、大いに泣いて、そして大いに考えさせる。映画が本来持っている力を、『最高の花婿』は余すことなく発揮している。
異文化コミュニケーションの極意は、理解である。理解とは、解り合うことではない。違いを認め合うことなのだ。
さすがは、“カルチュラル・ディプロマシー”を重視するフランスの映画……コメディの中にも、エスプリが宿る。

文 高橋アツシ

『最高の花婿』
3月19日(土)より、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
4月2日(土)より、名演小劇場にて公開

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