気が狂いそうなんだよ!『モーレツ!原恵一映画祭』体験記
気が狂いそうなんだよ! ――『モーレツ!原恵一映画祭』体験記――
2013年10月13日、映画祭を後にする二人の青年が、トークショーの熱気冷めやらぬテンションで語り合っていた。
「劇場を借り切って、監督を呼んで鑑賞会が出来たらいいよね」
「それ、いい!どうせなら、一番好きな作品を上映して――」
この会話が、全ての始まりであった――そんなことは、当の二人ですら気付いてはいなかったのだが――。
2015年2月21日シネマスコーレ(名古屋市 中村区)、補助席も全てが埋まった超満員の客席は、特別上映される映画が始まるのを今か今かと待っていた。二人の映画青年の夢想から始まった無謀な挑戦は、この夜実現しようとしていた。上映作品は、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年/89分)。なんと、35mmフィルム上映である。
そう、ただの映画ファンに過ぎない二人が名古屋駅前の映画館を借り切り招聘したのは、天下の原恵一監督だったのだ。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の上映を第一部とした特別企画を、二人は『モーレツ!原恵一映画祭』と名付けた。
二人の名は、柴田英史と高橋義文。会場設営から受付、そして司会進行として陰に日向に文字通り映画祭を切り盛りした。
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の上映が終わると、客席から大きな拍手が沸き起こった。すすり泣く声も、少なからず雑じる。
5分間のトイレ休憩となったが、殆ど席を立つ者はいなかった。『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の余韻に浸っていたい気持ちも大きかっただろうが、何よりもトークショーのスタートを待ちわびていた。
『モーレツ!原恵一映画祭』第二部:トークショーには、何と今観たばかりの傑作を作った男……原恵一監督その人が、登壇するのだから。
「今日は遅刻しなかった自分を褒めてやりたい気持ちです」
壇上に立った原監督は、そんな風におどけて見せた。会場は、大きな拍手に負けないくらいの笑い声で溢れた。
――『オトナ帝国の逆襲』は「大人が観ても泣ける」と言う評価が定着していますが、企画段階から意図していたんですか?(高橋)
「いや、無かったです。僕は『しんちゃん』(劇場版)の5本目(『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡(1997年/96年)』)から10本目(『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦(2002年/95分)』)まで監督をやったんですけど、興行収益がどんどん下がってる時期だったんですよ。『温泉』(『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦(1999年/99分)』)の時に一番底になって、「いよいよ『しんちゃん』もダメか」なんて言われてて、結果が出た時には「これで終わりかも」なんて話になってたんですが、予算も抑えて公開期間も短くして「もう一回だけやってみよう」と言う話になったんです。それで作ったのが、『嵐を呼ぶジャングル(2000年/89分)』でした。それまでの3本で好き勝手やってた――自分の趣味で作りすぎてた――んで、ちょっと子どもを楽しませる方向で作ろうと。そしたら、ちょっと興行が上向いたんで「来年もやろう」って話になったんです。その辺で、ネタがもう無くて(笑)。考えてたんですけど……ちょうど公開が2001年だったんで、21世紀の世界を感じさせるイベント大阪万博(1970年)を思いつきまして――僕は群馬県出身なんですけど、当時1日だけ母親と万博に行ったんです。結局、見たいところは何も見れなかったんですが……凄い行列で。行けたのは良かったんですけど、何か残念な気持ちで帰ってきたんです。そんなほろ苦い気持ちでテレビで1本作ったんですよ――春日部に20世紀を再現した場所が出来て、ひろしとみさえが懐かしさに浸ると言うような。でも、それ作っただけでは全然満足行かなかったんです。「これだけじゃ収まらない」と思って、映画のネタにしようと思ったんです」
――物語は、その時点で最後まで出来ていたんですか?(柴田)
「『しんちゃん』の映画の作り方って、僕がやっていた頃は、まずプロットを書いて、原作者の臼井(儀人)さんに見せて、プロットを元に絵コンテに入る流れだったんですよね。物語の結末は考えず、最初の万博のシーンに取り掛かって……現場の若いスタッフには引かれてましたけどね、「なんでこんな描写をこんなに丁寧にやるんですか?」って言われて……「うるせえぞ!」って(会場大笑)。「やりたいからやるんだよ!」って。当時は社員監督(シンエイ動画)だったんで、だからこそやりたい放題が出来たと言えるんですよ。チェックが甘い会社だったんですよ(会場笑)」
――配給会社さんなんかもチェックすると思うんですが、その辺は大丈夫だったんですか?(柴田)
「途中でチェックが入ることは無いです、出来上がりを観るだけで。普通は脚本を製作委員会の皆が納得してから絵コンテに入るのが当たり前なのに、プロットだけで絵コンテですから……絵コンテは専門的な物なので、理解できる人も少ないんですよ。で、出来上がりを観るだけになる、と。作っちゃったら……出来ちゃったら、こっちの物なんで(笑)。それで、初号(試写)の後にブツクサ言われるんですよ、「また、こんなん作りやがって……」って(笑)。『オトナ帝国』の時は、本当に年配の偉い人たちに評判が悪かったですね。「こんな不愉快な映画、初めて観た」って言われまして」
――“不愉快”って言うのは、どう言う意味なんでしょうね?(高橋)
「『しんちゃん』の映画からはみ出してた作品を作った……そこは自覚があったんで。僕も葛藤があったんですよ。絵コンテを書きながら、「こっちへ行ったら『しんちゃん』映画じゃなくなる」って言う……。でも、「映画としてはこっちに行った方が絶対いい」って言うのが、自分の中で見えて。「『しんちゃん』じゃない!」って言われようが、もう、いいや!って。それまで毎作、何かのパロディをずっとやってたんですよ。ただ、『オトナ帝国』の時、初めてパロディじゃない映画が撮れるって思ったんです……本当に、物語の後半で。そこで物凄く悩んだんですが、一歩踏み出したんです。だから、自分としては凄く満足してたんです……「もうお前には『しんちゃん』の監督は頼まない」と言われようが構わない、くらいの爽やかな気持ちでいたんです」
――そしたら、お客さんは……(柴田)
「そうそうそう。お客さんは凄く受け入れてくれて、興行的には上向いたんです。で、「こんな不愉快な映画、初めて観た」って言った野郎が、「二回目観たら、意外と良かったよ」って言いやがってさ(会場大笑)」
――ケンとチャコは、他の作品と比べて異質な悪役ですね(高橋)
「それまでの『しんちゃん』の悪役はデフォルメされた“いかにも”な悪役が多かったんだけど、『オトナ帝国』のケンとチャコって武道に長けてるとかそう言うことじゃなくて、精神的なリーダーなんですよね。津嘉山(正種)さん(ケン役)は、『ボディガード』の吹き替えで凄い好い声だと思ってお願いしたんです。小林愛さん(チャコ役)は、凄い逸材だなと思ったんです。『∀ガンダム』(1999年)を観たら――僕は『ガンダム』とか先ず観ないんだけど、『しんちゃん』の演出をやってた人が『∀ガンダム』の演出もやってたんで――いやに声優っぽくない生々しい感じの女性が居たんですよ。それが、小林さんだったんですね。映画作品では、“○○役、□□”って表がアフレコ現場で配られるんですよ。声優さんたちが皆、「え?“小林愛”さんって、誰?誰?」ってザワザワしてたんです。僕は、「ふっ、驚くなよ……聴け、お前ら!小林愛の声を!!」みたいな感じでね(会場笑)。小林愛さんの声は、本当に大好きです。だから、次の年の『戦国大合戦』(『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦(2002年/95分)』)にも廉姫で出てもらった訳ですけど」
――それでは、次回作について教えてください(高橋)
「杉浦日向子さん原作の『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』と言う作品を今まさに絶賛製作中です。昨日、杏さん(主演:お栄 役)のアフレコが終わって、音楽録り、ダビング、作画作業も大詰めに差し掛かってきているんですけどね。凄い手応えを感じてます……早く観せたいです。5月に公開になりますんで、本当、楽しみにしてもらって良いと思います。裏切らないものになってますので。杏さんは素晴らしいですよ!俺、彼女を選んだ自分を褒めてやりたいです」
――そのフレーズ、本日2回目ですね(笑)(柴田)
第二部:トークショーがひと先ずお開きとなり、『モーレツ!原恵一映画祭』は第三部:サイン会へ、そして、そのまま劇場を借り切っての第四部:懇親会へと移った。宴はいつ果てるともなく続き、劇場が閉館の時間になると、第五部:二次会へと雪崩れ込んだ。
皆が笑顔の素敵な夜を過ごせたことを、全員が感謝した。原恵一監督に、『クレヨンしんちゃん』に、『オトナ帝国の逆襲』に――何より、『モーレツ!原恵一映画祭』に、そして、二人の映画バカの熱き情熱に。
まだ未定ではあるものの、何と何と映画祭は“第2回”が計画されていると言う――伝説は、終わらない――。
取材 高橋アツシ
モーレツ!原恵一映画祭in名古屋ブログ
『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』公式サイト