心の声を信じ、僕らは進む『ぼくの家族と祖国の戦争』レビュー
1945年4月、デンマーク。市民大学の学長ヤコブ(ピルー・アスベック)はドイツ軍からある驚くべき指示を受ける。それは敗戦濃厚なドイツから押し寄せてくる難民を学校で受け入れろというものだった。渋々承諾したヤコブだったが、到着した難民は聞かされていたよりはるかに多い500人以上だった。飢えや劣悪な環境、感染症の蔓延により難民たちは次々と命を落としてゆく。
悲惨な状況を見かねたヤコブと妻のリス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は難民を手助けするが、それは自国民から見ればドイツを支援するに等しい行為だった。一方、ヤコブの息子セアン(ラッセ・ピーター・ラーセン)は難民の少女と交流していたが、少女も感染症にかかってしまう。難民を助ければ売国奴とみなされるが目の前で苦しむ人々をそのまま見捨てて良いのだろうか。一家は苦しい決断を迫られる。
第二次世界大戦末期、デンマークには戦況が悪化したドイツから20万人以上もの難民が押し寄せてきた。デンマークは5年もの間ナチス・ドイツの占領下に置かれており、難民を受け入れるしか選択肢がなかったのだ。当時ドイツは多数の国を占領下に置いていたが、ひとたび劣勢に転じると立場は逆転する。市民大学の学長という良識ある立場のヤコブですら、難民とはいえ祖国を迫害してきた敵国人の世話をするのは受け入れがたかったのだ。
妻のリスが難民の孤児たちに食事を振る舞い皆に牛乳を配る姿を目にしたヤコブは妻に行動を慎むよう注意をするが、その心中は複雑だった。ドイツ軍から見放された難民の状況は最悪だったのだ。数百人が同じ場所にすし詰めの不衛生な環境の上、物資も食料も不足している。人々は飢えと感染症に苦しみ、母親は病気の子供のため薬を求めて泣き叫ぶ。そんな悲惨な状況を日々目の当たりにしヤコブは葛藤に苛まれるようになる。目の前で苦しんでいる人々は紛れもなく自分と同じ人間だ。立場は違えど何もせず見殺しにして良いのだろうか。父と同じように息子のセアンもまた葛藤していた。難民支援を友達から非難され、屈辱的な仕打ちを受けた彼を救ったのは難民の少女ギセラだったのだ。セアンの中の正義も次第に揺らぎ始める。
第二次世界大戦の終戦から80年近くが経ち、戦争の傷跡を忘れかけていた世界にこの数年再び戦火が燃え上がっている。そんな中、本作は観る者に戦争について多くの気付きを与えている。一つには戦争は国家間だけではなく人々の間にも深い対立を生むということ。それは同じ国に住む同胞の間にも言えることだ。学長として尊敬されていたヤコブ一家と仲間たちの間には難民への対応を巡って亀裂が生じてしまう。
そして敵を滅ぼすのが絶対的な正義と捉えることの恐ろしさだ。敵国の人間への不当な扱いを当然であると見なすのであれば敵であれば彼らに何をしてもどうなっても良いのか。ヤコブと家族の心に引っ掛かったのはその違和感だ。その違和感、ためらいこそが捨てきれない人間の心ではないのだろうか。戦時下の極限状態の中、自分たちの心を貫こうとした家族の姿は戦争とは何か、正義とは何かを今の時代に問いかけている。答えは出なくともその問いについて考えること、それこそが今必要なのかもしれない。
デンマーク出身のアンダース・ウォルターが監督を務め、ヤコブ役にはデンマーク出身でハリウッド映画にも出演するピルー・アスベック、息子のセアンをオーディションを勝ち抜いた本作が初映画出演となるラッセ・ピーター・ラーセンが演じた。
文 小林サク
『ぼくの家族と祖国の戦争』
監督・脚本:アンダース・ウォルター
出演:ピルー・アスベック、ラッセ・ピーター・ラーセン、カトリーヌ・グライス=ローゼンタール
配給:スターキャット宣伝:ロングライド
©️2023 NORDISK FILM PRODUCTION A/S
8月16日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA他全国公開