儚くて尊い『南瓜とマヨネーズ』の日々。レビュー
ときたま出逢えることがある。
普段低体温な平熱が、ひゅんと急上昇したまま下がらなくなってしまう。
きっとこの映画、私には間違いないんだろうなと、肌で感じてしまう作品に。
観るのがもったいない、けれども観なければ始まらない。
でも観るからには最高のコンディションで、極力雑念を除いたニュートラルな状態で望みたい。
そのつるんとした真っ白な状態のココロを、100%染め上げてしまえるような世界に触れることは、婚活疲れのアラサーちゃんが、初めての恋にめぐり逢えたような心境ですらある。
臼田あさ美演じるヒロイン・ツチダは、音楽を生業にと夢見る無職の彼氏・せいちゃん (太賀) を応援するため、簡単にお金を作る方法を店の客 (光石研) から伝授される。空気のように必要不可欠で、せいちゃんのそばにいるのが当たり前の関係になった頃、好きで好きでたまらなかった昔の男・ハギオ (オダギリジョー) と再会し、ツチダはのめり込んでゆく。
愛とお金、理想と現実は、いつもどこかバランスが悪く、噛み合わない。
女はなによりも安定を求めておきながら、同じベクトルで刹那的な男に惹かれてしまう。
そんなアンバランスな想いを、笑顔と涙の後ろにひた隠して、今日もたんたんと生きる。
何かの、誰かのために頑張りたい。それは女に備わっている足掻きようのない性なのだ。
純度高く心がときめいて、好きって冠を付けると、どんどん惹かれて止まらなくなって、
あの頃に戻りたい幸せな記憶の瞬間と、これからのふたりで描くはずの輝かしい未来を、同時に独りで抱え込む。
彼らの言葉に一喜一憂しては、ぐるぐるぐるぐると考え込んでしまう。
そう、それは思考回路が止まるまでに、追い詰められた殺人鬼のように。
実際に刃物で人を刺したりはしないけど、誰かに傷つけられて、誰かを傷つけたくてたまらなくなる。
そして人生には、一瞬でオセロの白黒が入れ替わってしまう機会がちゃんと用意されている。
それが彼女の場合、昔の男との再会がきっかけで封切られる。
しかしこの男、女が決して幸せにはなれないものをめいいっぱい詰め込んだ、中毒性の高い麻薬のよう。
一瞬でも懐かしいその体温に触れてしまうと発動する、逃れられない吸引力。それはもう、呪縛でしかない。
自分で自分がわからない。何をやっているのか分からなくなるほどはまり込んだ後、待ち受けている行く末は…?
私は彼にとって必要な存在、と謳うのは、
本当は自分にとって、彼が空気のように必要不可欠な存在であることの裏返しなのである。
まるで映画を象徴するような太賀の優しい歌声は、全てを包み込み、浄化してくれるパワーを持ち合わせている。
南瓜とマヨネーズ、この2つの食べ合わせは、やはり微妙なのかもしれない。
文:押尾キャロル
【あらすじ】
いつだって、ありふれた平凡をなくさないことは奇跡だ
ミュージシャンを夢見る男せいいちと、彼女であり、せいいちの夢を支える女ツチダ。ツチダは彼のために体を売り始めるも、あることがきっかけでせいいちは真面目に働き始める。そんな折、ツチダの前に過去の恋人であるハギオが現れて…。
『南瓜とマヨネーズ』
監督・脚本: 冨永昌敬
原作: 魚喃キリコ
出演:臼田あさ美、太賀、オダギリジョー
©魚喃キリコ/祥伝社・2017『南瓜とマヨネーズ』製作委員会
11/11 (土) より、新宿武蔵野館、伏見ミリオン座他にて全国公開!
http://kabomayo.com/