ユーモアとペーソス、そして社会風刺『ありがとう、トニ・エルドマン』レビュー



社会の最小単位は家族である、という言い回しをよく耳にする。
では、家族の最小単位は、婚姻である夫婦なのだろうか。それとも、血縁である親子なのだろうか。
そんな人間関係の基本であるはずなのに、夫婦関係も親子関係も、とかく拗れがちなのが実情だ。元々が赤の他人である夫と妻は言わずもがなだが、直接的な血の繋がりがあるのに(もしくは、あるからこそ)親と子の関係は、愛憎入り乱れた複雑怪奇な様相を呈するものになりがちだ。古今東西、人というものはミニマムな人間関係にすら煩悶して一生を過ごす生き物なのだろう。
尤も、異性間の親子関係は、反目して然るべきとの理論も在るという。親と子という極めて近密な個体間での交接を未然に防ぐための、遺伝子レベルの防衛本能であるとか。なるほど、年頃になると父親のことを嫌悪の目で見だす娘の事例が身近、間遠を問わず世の中に数多溢れていることを考えると、直感的に腑に落ちる説ではある。反面、マザーコンプレックスになる男児の割合の高さを慮るに、疑問の湧く理論であると謂わざるを得ないのであるが。

ともかく、父と娘の確執、そして絆を題材とした名作は多い。近作でも、『インターステラー』(2014年)、『人生の特等席』(2012年)、そして、『私の男』(2014年)、『オールド・ボーイ』(2003年)。
皆が悩んでいるからこそ、父と娘の関係をテーマに映画が創られ、観る者を心を動かし続けるのであろう。

そんな父と娘を描いた新たな傑作が、ドイツから届いた。ユーモアとペーソスに溢れた、マーレン・アデ監督『ありがとう、トニ・エルドマン』(162分)である。
『ありがとう、トニ・エルドマン』は最有力と目されていたパルムドールは逃したものの、ヨーロッパの映画祭を大いに席捲、第89回米アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされた。そして何より、ドイツだけでなく上映された世界中の国々で大絶賛を博している。

『ありがとう、トニ・エルドマン』ストーリー:
ヴィンフリート・コンラーディ(ペーター・ジモニシェック)は、悪ふざけが大好きな元音楽家。妻と離婚し、ドイツの郊外で独り暮らしをしている。小学校の非常勤講師やピアノの個人レッスンで何とか生計を立てている、半ば世捨て人のような生活だが、愛犬ヴィリーが心の支えだ。
イネス(ザンドラ・ヒュラー)はコンサルティング会社に勤め、故郷ドイツを離れルーマニアの首都ブカレストに赴任している。仕事は順調でプライベートも充実、上海への転勤希望も通り順風満帆な生活のようだが、勤務外の時間も仕事に追われるほど多忙な毎日を送っている。
ヴィンフリートは、娘であるイネスのことが心配で堪らない。だが、たまに帰省してもイネスが帰るのは別れた元妻の家、訪ねていこうにもルーマニアは遠い。ある日、愛犬ヴィリーを老衰で亡くしてしまったヴィンフリートは、思い切った行動に出るのだが――。

監督・脚本を務めたマーレン・アデは1976年生まれの女性で、年代的にはイネスに近い。だからなのだろうか、ヴィンフリートの悪ふざけは、とにかく煩い……ウザい!
荷物を届けに来た運送業者に、実在しない兄に扮して応対する。しかも、ヴィンフリートなる人物は爆発物製造の廉で長らくムショ暮らしだったとホラを吹き、偶々訪ねてきたピアノ教室の生徒のことを共犯者だと嘯く。実はこれ、映画の冒頭シーンなのだ。余りのウザッたさに、心が折れそうになる。
金銭に頓着するタイプとは思えず、当然のように楽な暮らしとは無縁のようだ。白髪まじりのボサボサ頭を染めもせず、メタボ体型……風体も冴えない。母国語のドイツ語以外は英語すら怪しく、「turtle(タートル=カメ)」と「tortoise(トータス=リクガメ)」の区別もあやふやなレベルだ。
だが、離婚した元妻とは円満な関係を続けており、親戚付き合いもちゃんとしている。お互い口は悪いが年老いた母親とも仲が好く、生徒からも慕われている。
関係が良好ではないのは、娘――イネスだけだ。

そんなイネスはというと、国際的なビジネスマンとして活躍している。
ルーマニアという異国で、現地採用の部下にも頼りにされている。クライアントに代わり厄介な交渉事もこなし、上司どころか社長の信頼も篤い。プライベートも、女子会を開く仲の良い友人もいるし、ステディな恋人もいる。
だが、生活の大部分を仕事に割いているような暮らしで、休みの日もスマホを片時も手放せない。クライアントからの面倒な依頼にも24時間365日ウェルカム、一人で過ごす休日もプレゼンの準備や現地調査で時間が過ぎていく。友人と飲みに行っても仕事の話ばかりで、職場の同僚でもある恋人との関係は余りに殺伐としていて笑ってしまうほどだ。
イネス自身は父・ヴィンフリートとの関係を最悪と思って疑わないだろうが、その他の人間関係も良好と呼べる交友ではない。

さて、上記した名作だが、単純に父と娘の関係性のみを描いた作品ではない。『インターステラー』は、言わずと知れたSFの傑作。『人生の特等席』は、メジャーリーグのスカウトの知られざる一面も見せてくれる。『私の男』、『オールド・ボーイ』は……そう、説明不要の衝撃作だ。
では、『ありがとう、トニ・エルドマン』はどうなのか。実はこの作品、父と娘それぞれの目線でEUの理想と現実を活写した、骨太な社会風刺映画なのだ。
旧東欧で、しかも長らく独裁政治が続いていたルーマニアは、理想と現実がダイレクトに浮かび上がる“EUの鬼っ子”である。共存、共栄を高らかに謳いながら国家間の格差は深刻で、結果的に強者が弱者を食い物にする関係性が浮き彫りとなっている。ドイツ人であるイネスは、リゾートホテルの現地スタッフを悪し様に非難し、過剰なサービスを要求する。また、「言語は貴重な財産」として多言語主義を標榜するEUであるはずなのに、途上国であるルーマニアの言語は重視されない。当然のようにマルチリンガルであるイネスさえルーマニア語を習得しようともせず、それどころか英語が達者で意思疎通に問題のないルーマニア人アシスタントに「もっとドイツ語も使うよう」強要したりする。
そんなイネスの様子に、ヴィンフリートはショックを隠さない。忙しい生活は、娘の心を荒ませてしまったのだ。父の行動にイネスは動揺し、迷惑を被るが、ヴィンフリートは次第に人々の心を掴んでいく。『GREATEST LOVE OF ALL』を演奏し、父としての苦悩をあからさまにすると、娘の誕生パーティで衝撃的な出来事か起こる……二度、三度と!
悪ふざけばかりの父だが、笑顔が消えてからが真骨頂なのだ――ヴィンフリートも、トニ・エルドマンも。

トニ・エルドマンは、生き方の答を示してはくれないが、足掻き方のヒントは存分に語ってくれる。そもそも、“答”などというものは(そんなものが実在するとするならば、であるが)一生掛けて求め続けるものではないのか。もちろん、自らの手と足と頭と、心を総動員して――。

文:高橋アツシ

『ありがとう、トニ・エルドマン』
監督・脚本:マーレン・アデ
出演:ペーター・ジモニシェック、ザンドラ・ヒュラー
2016 年 ドイツ=オーストリア  162分
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/tonierdmann/
© Komplizen Film
6月24日(土)シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国順次公開!

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