Who killed “Le Tour de France”?『疑惑のチャンピオン』レビュー
筆者はロードバイクが好きで、TREK(トレック)を愛車にしている。
アメリカ・ウィスコンシン州を本拠とする【トレック・バイシクル】は、先進性・信頼性・対費用効果の三拍子が揃った自転車メーカーで、ロード乗りのみならずあらゆるサイクル・ファンを虜にしている巨大企業である。1976年創業という自転車業界では比較的新参なメーカーが、グランツール(【ツール・ド・フランス】【ジロ・デ・イタリア】【ブエルタ・ア・エスパーニャ】)を中心に世界の名だたる自転車競技のサプライヤーとして絶大な信頼を受けているのを語る上で、一人の“英雄”の存在を外すことは出来ない。
“The BOSS”の名で呼ばれた不世出のロードレーサー、ランス・アームストロングである。
1992年プロのロードレース選手に転向したランスは、脳まで転移したガンに犯されながらも奇跡の復活を遂げ、世界最大のステージレース【ツール・ド・フランス】を1999年から2005年まで連覇し続けるという偉業を達成した。
また、ガン撲滅をスローガンにした【LIVESTRONG財団】を立ち上げた慈善事業家としても、世界中から賞賛された。ツール・ド・フランス覇者のみが身に着けることが許される“マイヨ・ジョーヌ”の黄色は、いつしかLIVESTRONG財団のシンボルカラーとなった。
だが、2012年、ランスの運命は一変する。全米反ドーピング機関(USADA)は、彼の競技成績がドーピング行為に因るものであると認定。記録の剥奪と競技からの永久追放を余儀なくされた。偉大なる“The BOSS”ランス・アームストロングは、“汚れた英雄”と成り下がったのだ。
7月2日より全国でロードショー公開となる『疑惑のチャンピオン』は、ランス・アームストロング選手の、前人未到・空前絶後の“ツール・ド・フランス七連覇”という輝かしい栄光と、薬物使用・血液ドープなど“ドーピング違反による永久追放”という汚辱に塗れた半生を追った、ヒューマン・ドラマである。
この映画は、過去の過ちを真摯に受け止め、未来への正しき道を模索する“贖罪啓蒙作品”ではない。そもそも『疑惑のチャンピオン』は英語圏の映画だが、ランス・アームストロングが国籍を持つアメリカ作品ではなく、イギリス作品である。
『疑惑のチャンピオン』で特筆すべきは、USADAが成績を剥奪した1998年以降ではなく、精巣ガン発覚より早い段階でアームストロングが薬物使用に手を染めていたことを描写していることである。これはスティーヴン・フリアーズ監督が、サンデー・タイムズ紙の記者デイヴィッド・ウォルシュの著作『Seven Deadly Sins : My Pursuit of Lance Armstrong』を映画の原案としていることに因る。劇中でもクリス・オダウド演じる重要人物としてファースト・シーンから登場するウォルシュだが、そもそも彼の告発は、闘病中の同僚を見舞ったロード選手フランキー・アンドリュー(エドワード・ホッグ)に同行した妻ベッツィー(エレイン・キャシディ)がアームストロングと医者の会話を証言したことが大きな切っ掛けとなったのだ。
ランス・アームストロングのドーピング問題は“アームストロングはドーピングで自転車競技に勝った”というのが一般的な認識であるが、映画『疑惑のチャンピオン』では“薬物使用が蔓延するロードレース界ではドーピングしないと勝負にならない”のが問題の根本であることが仄めかされるのだ。
これは先日公開されロードバイク・ファンに熱烈な歓迎を受けたドキュメンタリー映画『パンターニ 海賊と呼ばれたサイクリスト』(監督:ジェームス・エルスキン/2014年/92分)でも触れられなかった、非常に突っ込んだ表現である。余談ではあるが、ランス・アームストロングとマルコ・パンターニは、2000年のツール・ド・フランス山岳ステージで、極めて深い遺恨を残している。
『疑惑のチャンピオン』ストーリー:
1994年、ベルギーの伝統レースである【フレッシュ・ワロンヌ】に、世界選手権優勝者の証であるマイヨ・アルカンシエル(レインボー・ジャージ)を身に着けたランス・アームストロング(ベン・フォスター)の姿があった。スタートで一緒になったのはベテラン選手ヨハン・ブリュイネール(ドゥニ・メノーシュ)で、「どの選手も、お前より強い」と意味深な言葉を告げた。ブリュイネールの言う通り、アームストロングは先頭集団から取り残される。新聞記者たちは、「アームストロングは、ワンデー・レース向きだ」と揶揄する。彼は瞬発力はあるものの、持久力に不安を抱えていたのだ。
苦戦に次ぐ苦戦の日々、アームストロングが所属するチーム・モトローラの面々は、上位チームのドーピングを疑っていた。時にはぶっちぎりの差を付けて同じチームの選手が揃って表彰台を独占するレース展開は、不正を疑わざるを得ないものであった。勝利への執念を燃やすアームストロングは、遂にチームメイトたちとドーピングに手を出す。エリスロポエチン……通称“エポ”は血液中のヘモグロビン量を増加させ、運動機能を飛躍的に向上させる効果がある。もちろん禁止薬物であるが、スイスでは治療薬として処方箋なしでもドラッグストアで買えるのだ。
エポの恩恵なのか、1996年のシーズン、アームストロングは快進撃を見せ始める。2年前に後塵を拝した【フレッシュ・ワロンヌ】にも優勝し、これから……という時、暗雲が立ち込める。バスルームで吐血したアームストロングは、緊急搬送された病院で病名を告げられる。それは、脳髄にまで転移したステージ3の精巣ガンであった。
運よく治療は成功するも、アームストロングの選手としての再起を信じる者は、世界中どこにもいなかった――ただ一人、ランス・アームストロング本人を除いては。彼はドーピングの世界的権威ミケーレ・フェラーリ(ギヨーム・カネ)医師の“プログラム”の元、復帰に向けたリハビリ……トレーニングを重ねる。【USSポスタル】に所属することに成功したアームストロングは、引退していたブリュイネールをチーム監督に迎え、秘密裏にフェラーリ医師の“スポーツ史上最も医学的に高度なドーピング・プログラム”を導入し、敏腕エージェントのビル・ステイプルトン(リー・ペイス)を【LIVESTRONG財団】ともども対外的スポークスマンに据えた。こうして、弱小チームだったはずの【USSポスタル】は、アームストロングを勝たせるためだけの“ブルー・トレイン軍団”となった。
1999年【ツール・ド・フランス】、ガンからの生還を暖かい拍手で祝う周囲の予想を大きく上回り、ランス・アームストロングは総合優勝を獲得した。驚嘆と喝采で熱狂するプレスセンターで、ただ一人デイヴィッド・ウォルシュ記者だけは疑惑の目を向けていた。「山岳ステージを苦手としていた選手が、ガンから生還すると偉大なクライマーになっていた。おかしいとは思わないか?」
“スーパー・アシスト”フロイド・ランディス(ジェシー・プレモンス)も加わりより盤石なチームと化していく【USSポスタル】で、アームストロングは圧倒的な強さを発揮し続ける。だが、その強さが前人未到の領域に脚を踏み入れた時、彼は怖れ慄くこととなるのだ。誰も味わったことのない高みからの、転落を――。
『疑惑のチャンピオン』は、ランス・アームストロングの半生を骨太に描いたヒューマン・ドラマであるが、その重厚な説得力の一端は極めてリアリティ溢れたロードレースのシーンが担っている。
極限まで選手・車体に近付いた近接撮影により、今まで観たことのない迫力が味わえる。そして何より、本当に速いのだ。プロのロードレーサーを集めて撮影されたレース・シーンに実際のニュース映像が挿入され、“ホンモノ”だけが醸し出す臨場感がスクリーンを覆いつくす。
そんな身も震わせるほどの現実感があるからこそ、勝利を至上とするばかりに禁断の領域へ足を踏み込んでいく選手たちの心情に寄り添うことが出来るのだ。
超一流のスポーツ・シーンがあるからこそ、『疑惑のチャンピオン』は超一流のヒューマン・ドラマと成り得たのだ。
普通であれば脚を向けることすら容易ではないプロ選手の“ゾーン”を疑似体験できる『疑惑のチャンピオン』だからこそ、私たち観客も考えることが出来る。
筋力、肺活量、ヘモ値、代謝量……技術力、経験値、そして、性格、精神力――己の心・技・体のみを頼みに闘うアスリート達を、一体誰が汚してしまうのか?
勝利への道程とは、どれほど長く、険しく、厳しいもので……そして、貴いものなのか?
そもそも――ドーピングは、何故“悪”なのか?
誰がツールを殺したの?
わたし、と選手がいいました
わたし、とチームがいいました
わたし、と医者がいいました
わたし、とスポンサーがいいました
わたし、と記者がいいました
わたし、とファンが――
7月……今年もまた、ツール・ド・フランスの季節がやってくる――。
文 高橋アツシ
『疑惑のチャンピオン』
キャスト:ベン・フォスター、クリス・オダウド、ギヨーム・カネ、ジェシー・プレモンス、リー・ペイス、ドゥニ・メノーシェ、エドワード・ホッグ、ダスティン・ホフマン、エレイン・キャシディ 監督: スティーヴン・フリアーズ
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7/2(土) 丸の内ピカデリー&新宿ピカデリーほか全国公開!