ムラデノバツよ 俺たちは命を捧げる 『バーバリアンズ セルビアの若きまなざし』レビュー
夜になっても野蛮人(バーバリアンズ)は現れない
もういないと言う人もいる
どうする?野蛮人は世の解決策なのに
ギリシア現代詩の巨人コンスタンティノス・カヴァフィス『野蛮人を待つ(Waiting for the Barbarians)』から一節を引用し、物語は始まる。
繁栄が極まり腐敗が始まった王国で、“異境の野蛮人”を仮想敵として体制の延命を謀る――これは、古今東西を問わぬ世の常なのかも知れない。
だが、真実の問題点が“外部”ではなく“内部”に在ると識ってしまった時、“王国民”は自らの混迷に絶望することとなるのだ。
東欧バルカン半島にあるセルビア共和国は、そんな現代の社会情勢の縮図と言える。
オスマン・トルコ帝国の自治国だったセルビアは、セルビア・クロアチア・スロベニア王国、ユーゴスラビア王国、セルビア救国政府、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、セルビア・モンテネグロと、国土も統治体制も宗教も文化も、目まぐるしく変遷してきた国である。2006年にセルビア・モンテネグロから独立しセルビア共和国と成った後も、2008年2月17日にコソボ・メトヒア自治州議会が独立を宣言しコソボ共和国を名乗るなど、混乱は今尚続いている。
そんなセルビアの現在の若者の姿を、リアリティ溢れる生々しい映像で活写した作品が、話題を呼んでいる。
イヴァン・イキッチ脚本、監督の『バーバリアンズ セルビアの若きまなざし』である。
イキッチ監督は本作が初長編映画だそうだが、ドキュメンタリー作品を手掛けてきた経験が『バーバリアンズ』作中で見事に結実している。セルビアの首都ベオグラード生まれのイキッチ監督の実体験が脚本に反映された作品に相応しく、キャストの若者は舞台となる街の不良グループ――リアルな“バーバリアンズ”をキャスティングしているのだ。こうして、ドキュメンタリー・タッチを越えた、“ポスト・ドキュメンタリー・タッチ”作品が完成した。
旧工業地域の街ムラデノバツに暮らす仮釈放中の問題児・ルカ(ジェリコ・マルコヴィッチ)は、友人のフラッシュ(ネナド・ペトロヴィッチ)らと仕事も目標もない空虚な日々を過ごしている。鬱屈した生活の中、サッカー観戦やデモ、クラブ通いでは行き場のない情熱の捌け口にはならない。ある日、コソボ紛争で死んだと母(ヤスナ・ジュリチッチ)に聞かされていた父が生きていることを、ルカは知ってしまう――。
上述通り、主演を務めるジェリコ・マルコヴィッチは演技初挑戦なのだが、これが本当に素晴らしい。ジェリコ・マルコヴィッチだけでなく、ネナド・ペトロヴィッチなど“リアル・バーバリアンズ”の素人たちが、実に活き活きと画面を飾る。彼らの存在無しに、『バーバリアンズ』全編に息苦しいまでに纏わりついている閉塞感、虚無感、そしてある種の滑稽さは表現できなかったであろう。
サッカー場のスタンドに、ナイトクラブの喧騒に、長距離バスの車中に、騒乱の路上に、焼き付けられたバーバリアンズの鬱憤、葛藤、遣る瀬無さを、感じてほしい。これは、とある国の“真実の物語”なのだ。
旧ユーゴスラビアの映画作品として忘れ得ぬ傑作『アンダーグラウンド』(監督:エミール・クストリッツァ/1995年)で、「昔、ある所に国があった」と語られていた場所――そこは現在、大勢の“野蛮人たち”が、絶望し、自棄になり、這い蹲りながらも、今日も生き抜くのである。
文 高橋アツシ
『バーバリアンズ セルビアの若きまなざし』(原題:VARVARI)
配給:アニモプロデュース
公式サイト www.barbarians.jp/
2016年1月16日より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー