大敵だって 手懐ける 『罪の余白』レビュー
作品鑑賞に於ける一番の大敵は、先入観である。因みに、睡眠不足が二番で、空腹でお腹の虫が鳴くのが三番だ。二番と三番は甲乙つけがたいが、空腹はDVD鑑賞の時や劇場でも座席が空いている時なら気にならない事象なので順位を下にした。
……閑話休題。
『罪の余白』を観た。前作『FLARE~フレア~』(2014年/94分/日仏合作)で鮮烈な印象を残した、大塚祐吉監督の最新作である。
『罪の余白』ストーリー:白昼、女子高生が死んだ。目撃したクラスメートによると、休み時間、気付いたらベランダの手すりに立っていたと言う。少女の名は、安藤加奈。父子家庭ながらも娘を大切に育ててきた父・聡にとって、娘の死は絶望でしかなかった。同僚の手助けもあり、亡き娘に向き合う事を決めた安藤だったが、加奈の死には想像を絶する秘密が隠されているのだった――。
――そんなストーリーを読み、予告編を視聴した上で作品を鑑賞し、正直なところ大層驚いた。いや、戸惑った、と言う表現が正しいかも知れない。
娘を亡(失)くした親が、その真相を確かめるべく行動する――このストーリーラインには、既視感を覚えやしないだろうか。……もっと言ってしまえば、中島哲也監督の『告白』(2010年/106分)を、『渇き。』(2014年/118分)を、思い出さなかっただろうか。
『告白』も『渇き。』も、その大胆な演出やスタイリッシュな構図が話題となった大ヒット作だが、両作とも基本はミステリー映画であった。そんな決め付けが先入観を生み、筆者はいつもの悪癖――先入観まみれで作品鑑賞に臨んでしまったのだ。
ところが、この『罪の余白』、推理物じゃないのだ。事件の顛末は序盤からほぼ全てが観客の知る所となるし、探偵役の人物も犯人に該当する人物も余りに冷静さを欠く。『罪の余白』に、“頭脳合戦”は存在しない。筆者の先入観が想像していた物語は、完全に覆された。
しかし……しかしである、だからこそ、登場人物たちの心情が観る者の胸を打つのだ。
内野聖陽が演じる安藤 聡は心理学の教授であるが、娘の死を前にして狼狽える様は人間心理のスペシャリストとはとても言い難い。吉本実憂が演じる木場 咲は他人を意のままに操る悪魔のような天才と周囲から恐れられているが、短絡的な思考はむしろ己の欲望に忠実に動いているに過ぎないと言えなくもない。
脇を固めるキャストも魅力的な演技で魅せる。宇野愛海が、葵わかなが、谷村美月が、素晴らしい。また、今作品がスクリーンデビューとなる吉田美佳子も眩しい。そして、加藤雅也が、堀部圭亮が、実に印象的なワンシーンで物語に華を添える。
お気付きになっただろうが、『罪の余白』の登場人物は女性が圧倒的に多い。アラフォー男は“心理学の権威”ですら若い女性が理解できないと言う、性差、年齢差におけるコミュニケーション・ギャップを描いたドラマとも言えるのだ。
物語を鑑賞する上で重篤なノイズであった先入観であるが、『罪の余白』はあっさりと筆者を呪縛から解き放ち、新たな真理を齎してくれた。「推理物だけが、ミステリーじゃないよ」、と。ミステリー仕立てではない『罪の余白』だが、全体を通して観ると不思議なことに、やはりミステリー作品なのだ。これは――気になったので、芦沢 央氏の原作を読んでみたのだが――原作にも言えることである。
小説版と映画版で異なる部分もあるが、これは原作の雰囲気を壊さず映像化するための改訂と感じたので、その点も好印象だ。また、原作で実に良い味を出していた“あの人”も大切に実写化されているので、原作ファンもご期待あれ。
映画は時折、先入観をも超越する――こんな作品に出会えるのだから、映画はやはり堪らない。
文 高橋アツシ
『罪の余白』
配給:ファントム・フィルム
©2015「罪の余白」フィルムパートナーズ
映画『罪の余白』公式サイト
10月3日(土)TOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー