彷徨っても彷徨っても表裏『メビウス』レビュー
――彷徨っても彷徨っても 表裏―― 『メビウス』レビュー
いやはや……何とも、凄まじいものを観てしまった。
『サマリア』(2004年)、『うつせみ』(2004年)、『絶対の愛』(2006年)、『悲夢』(2008年)――
撮るたび常に世界を震撼させ続ける、鬼才キム・ギドクの最新作『メビウス』を観た。
今作でキム・ギドク監督が選んだテーマは“家族”だと言うから、“母性”と“魂の救済”を贖罪と言う宗教観を越えた境地で描ききりヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得した衝撃的な前作『嘆きのピエタ』(2012年)を思い描きつつ鑑賞したのであるが……ものの見事に、想像は凌駕されることとなった。
『メビウス』Story:
父(チョ・ジェヒョン)・母(イ・ウヌ)・息子(ソ・ヨンジュ)の3人が暮らす上流階級。家族としての関係は冷え切っていた。ある日、近くに住む女との不貞に気づき、嫉妬に狂った妻は、夫の性器を切り取ろうとする。しかし、あえなく失敗し、矛先を息子へと向ける。息子の性器を切り取った後、骨董店のウィンドウに並ぶ仏像に五体投地する謎の男に導かれるように、家を出た妻は夜の闇に消えていく――。
キム・ギドク監督が描くのは、“性”、“家族”、そして“人間”である。
父の不貞により、家庭は崩壊している。母は朝からキッチンにも立たずワイングラスを煽っているし、高校生の息子は朝食を摂りながら取っ組み合いの喧嘩を始める両親の様子を冷然と眺めている。
学校帰りに父の情事を覗き見てしまった息子は、部屋で一人自慰行為に耽る。その全てを見ていた母は、防犯のため美術品の下に隠してあったナイフを手に夫の寝室へ忍び込む――全ての元凶である性器を切り取るために。既んでのところで失敗した妻だが、あろうことか溺愛する息子の性器へと標的を変えるのだ。
ここまで、開始から僅か10分足らず。怒涛の展開は、まだ始まったばかり――“家族”と言う名の“メビウスの環”に、観客はまだ迷い込んだばかりなのだ。
劇中、一人として名前のない登場人物たちには、一切台詞が与えられていない。彼らは、そしてキム・ギドク監督は、“笑う”“泣く”“叫ぶ”この3つの感情要素だけで作品を表現する。演者が発するのは、嘲笑、慟哭、そして絶叫のみである。
そして、BGMを意図的に廃することにより、この衝撃的な物語は飽くまで静謐に進行していく。音楽が鳴るのは、実に4シーンのみである。
男根を喪くした息子のために、父はインターネットで情報を取る。皮肉なことに、父と子は良好な家族関係を築く。
父が見つけた男性器が無くても絶頂に達しうるノウハウはどこか女性器を髣髴とさせる方法で、息子が偶然見つけた更なるエクスタシーも矢張り女性性を思わせる。現代社会が未だに抜け出せずにいる“男根信仰”とまで言える男尊女卑の風潮を、『メビウス』では痛快に嗤い飛ばしてみせる。
その過激さから韓国では危うく上映禁止の憂き目に遭い、日本でも紆余曲折の末R18で漸く公開が決まった。そんなエピソードも『メビウス』クラスの衝撃作ならば其にあらんやと思うが、同時にこんな傑作がお蔵入りにならず本当に良かったと心から思う。
物語の佳境、父と子に医学の進歩が朗報を齎すが、それは更なる混沌を惹き起こす事象に過ぎないのは、キム・ギドクのキム・ギドクたる所以である。
序盤で母を導くように夜の闇の中に消えた謎の男の正体が分かると、観客は信じていた物語の根幹をも覆される衝撃を味あわされることとなる。まさに、そこは“メビウスの環”――彷徨っても彷徨っても、ゴールなどないのだ。
出来るなら、なるべく事前情報を入れずに観てほしい。ある出演者が一人二役を演じているのだが、それは鑑賞後に気づいてほしいのだ(エンドロールでは、わざわざ表記を2人分にしている)。
『メビウス』と言う物語のみならず、“性”とは、“家族”とは、“人間”とは、斯くも混沌たる存在なのかと気づくこととなる。まさに、“メビウスの環”――表も裏も、存在しないのだ。
鬼才キム・ギドクが描くと、“性”は、“家族”は、“人間”は、愛おしいほど悍ましく、馬鹿馬鹿しいほど哀しく、痛々しいほど滑稽となる。83分に凝縮された、甘い毒薬を、致死性の甘露を……どうか、どうか、お観逃しなく。
文 高橋アツシ
『メビウス』 R-18+
監督・脚本・撮影・編集:キム・ギドク キャスト:チョ・ジェヒョン、ソ・ヨンジュ、イ・ウヌ
12月6日(土)より新宿シネマカリテほか全国公開
配給:武蔵野エンタテインメント(C)2013 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.
『メビウス』オフィシャルサイト