本歌取りする衒学三重奏『はなればなれに』鑑賞記
本歌取りする衒学三重奏 --『はなればなれに』鑑賞記--
「4~5年くらい前に映画を撮ろうと思いまして、一つは“全ての映画のオマージュ”って言うことをイメージして“ストーリーの無いストーリー”を創ろうと、そこから始めました」
2014年4月29日、下手大輔監督はデビュー作をこう述懐した。
この日、国内外問わず映画祭で引っ切り無しに上映されている話題作『はなればなれに』の舞台挨拶を聴こうと、シネマスコーレには大勢の映画ファンが詰め掛けた。
「先ず脚本を書きまして、この映画館にも縁のある若松組の、大日方(教史)さんと言うプロデューサーと一緒に作品を創ることになりました。大日方さんは大きな映画から小さな映画まで沢山やってらっしゃる方で、企画を持っていった2011年2月はお忙しいと言う事で8ヶ月くらい待って撮影になりました」
カメラマン英斗(斉藤悠)は、暗室に籠ってネガを焼く。婚約者ナナ(松本若菜)からの距離を取りたいかのように。
クロ(城戸愛莉)は仕事に身が入らない。サボって煙草を燻らせ、ブラスの音色で戯れに躍り、常連客に秋波を送る。
豪(中泉英雄)は、演出家。浮気な癖が災いし、主演女優に薔薇の折檻を喰らった挙げ句、舞台は開幕の危機に陥る。
--この映画のタイトルは、ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに(1964年)』と同じですね(司会進行:シネマスコーレ スタッフ大浦奈都子さん)
「最初、脚本上は『FIVE to EIGHT』…豪は5、クロは6の逆で、ナナは7、英斗はエイト…そんなタイトルだったんですが、この映画自体がオマージュと言うことで、タイトルもオマージュにしたい、と。あと、3人が旅から戻ってくると離れ離れになるって言うことで、このタイトルになりました」
衣装も小銭も大金も寸借したクロが、全力で街を疾走する。
スカウトと称するナンパに勤しむ豪が、ラッキーアイテムで女優を掴まえる。
乗っていた車が立ち往生した英斗が、馴染みの売り子に拾われる。
--オマージュと言う話が出ましたが、ゴダールの『はなればなれに』から直接受けた影響は何かありましたか?
「ゴダールの『はなればなれに』で皆さん思う一番印象的な部分と言うのは、やはりダンスのシーンだと思うんですね。だから今回、全く違う形ではあるんですが、ダンスシーンはそんなイメージで創りました。例えば小津(安二郎)だったら、卓袱台とお父さんと娘とで映画になると思いますし…ゴダールだったら、男が居て女が居てオープンカーがあれば映画になるのかも知れない…3要素みたいなものがあると思うんです。僕の場合は、海であったり、バカンスであったり、男性2人に対して女性1人…そう言うものなのかなと思います」
3人の旅が始まると、物語は現実と幻想の境界線が曖昧模糊となってゆく。
“バカンス”と言う名のワンダー・ランドに足を踏み入れた観客は、“ストーリーの無いストーリー”の本領が発揮し出したことを識る。
--主演の城戸愛莉さんは、撮影の時17才と言う年齢だったとか。どんな印象でしたか?
「キャスティングに関しては色々な資料が来まして沢山の方とオーディションをしたんです。劇中パンを咥えるシーンがあるんですけど、彼女だけパンを持ってきたんですね…「実際、咥えていいですか?」って。宮崎から出てきてちょうど3ヶ月の子で、ちょっと面白いなと思いました。彼女に決まったのが撮影1週間前で顔合わせはその3日後くらいだったんですけど、基本的に脚本全部憶えてきたんですね…もう、脚本持ってこなかったので。非常に能力の高い方だと思いました」
クロは職人になりたい。英斗は銀塩フィルムに拘る。豪は原稿を鉛筆で書く。主人公たちは、どこかしら古風な一面を持つ。
とは言え、作品が古色蒼然としている訳ではない。ゲームに興じる彼らが部屋を飛び出すシーンは、今も色褪せない名画を現代的に解釈した名場面である。
ゴダールを、フェリーニを、アントニオーニを汲み取るのも良いが、“下手大輔版『はなればなれに』”はよりフラットな心境で作品世界に浸るのが鑑賞法としては相応しいと思う。
--撮影中のエピソードを教えてください
「新宿で撮影した時、許可は取ってたんですがゲリラ的に撮ったので、イメージとは違ったんです。そこでキスシーンを撮るはずだったんですが、現場で「何か違うな」と思い急遽脚本を変えたんですね。その日は午後からの撮影だったんですけど、昼ご飯食べてトイレに行ったら、中泉さんが凄く歯磨きを入念にしてて(場内大笑)…電動歯ブラシまで待ってきてもらったのに済みません、とか思いながら(笑)。まあ、映画はそんな色んなハプニングですとか沢山のエピソードがあって、面白いなと(笑)。僕の映画って言うのは、サッカーで言うとフェイントみたいな感じで…目線的には興味ある方を前に出してるんですけど、やりたいことが奥にあると言うか。普通だったらカットを割って必ずアップを入れるんですけれど、うちの場合はそう言うのを入れないって言うのが基本と言いますか…。また2回3回と観て頂ければ幸いです(笑)」
下手監督が遊び心たっぷりに残してくれている作品の余白部分を、観客は好き勝手に埋めればいいのだ。
そう言えば、登場人物の一人は時間泥棒と戦う女の子を彷彿とさせる名前だった。なるほど……『はなればなれに』は、主人公たちが失くしそうになった時間を取り戻す物語とも言える……解釈は当たっていないだろうが、鑑賞者が自由に思索することは監督が意図していた事のはずである。
上映後、監督とお話しをする機会を得た記者は、不粋と知りつつも一つ質問をぶつけてみた。
主要キャラのうち1人だけ語られない人物が居るのだが、これは意図があるのか否か?
「100分バージョンって言うのがありまして…東京国際(映画祭)なんかがそのバージョンなんですが、そこには(そのキャラのシーンも)あるんです。ちょっとバランスが悪いかなと思って、86分バージョンに切ったんですよね。ですが、リバイバル上映であったりDVDの特典であったり、何らかの形で100分バージョンも観ていただきたいと思っています」
これは興味深い話を聴けた。現在公開中の86分バージョンを観た鑑賞者は、是非100分バージョンも観たいと思うに違いない。下手監督自らが用意していた物語の余白部分と、観客が頭の中で拵えたミッシング・ピース……擦り合わせて観ることが出来るなら、何と贅沢な“連歌”であろうか。
オマージュの振りをして、新たな映画的文法を観せつける……『はなればなれに』は、そんな作品である。
摸倣でもなく、パロディでもない。これはまさしく、“本歌取り”である。
取材 高橋アツシ
『はなればなれに』公式サイト :http://www.hanarebanareni.com