映画監督、詩に挑む『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』レビュー


きみが好きです。
死ぬこともあるのだという、
その事実がとても好きです。
(『死んでしまう系のぼくらに』収録「望遠鏡の詩」より抜粋)

詩人・最果タヒの詩の、いったい何に衝撃を受けたのか、言語化することは困難だ。
彼女が紡ぐ言の葉の中に見出したもの――それは、遠い過去の記憶の中に忘れ棄てた残虐性なのかもしれない。いや、ブランコが描く弧の中に揺蕩う絶望感なのかもしれない。もしくは、妄想と決めつけて鼻白んでしまいたい恋情なのかもしれない。はたまた、老いさらばえし脳髄が作りあげた極彩色の現実逃避なのかもしれない。
必死で捻りだした考えは、全てが正解にも思えるし、全てが不適とも思える。平易な文章で広い戸口を持ちながら、一切の理解を拒むような孤高の精神を湛えている……最果タヒを最果タヒたらしめているのは、「魂の反撥力」なのかもしれない。難解で在ることがマストとなったような感のある現代詩において、彼女の詩は異端で在りながら先端なのだ。難解さを激しく拒みつつも、理解とは一線を画す――これは、現代に生きる私たちの生き様(もしくは、死に様)そのものでは在るまいか。

説明責任などという野暮な言葉は、端から在りもしなかったかのように屹立する……最果タヒの詩は、そんな存在であるものだから(本来すべての詩人から発せられる言葉とは、そういうものなのだろう)、彼女の詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を原案に映画が作られることに、それほど違和感は覚えなかった。
誰かに受け取られることによって、初めて成立する――そんな詩の存在意義を体現する最果タヒにとって、詩を読んだ者が映像作品としてアウトプットするのは、受け取り方としては極めて歓迎すべき表現であろう。
作者としては気になる作品の出来栄えについても、製作側の布陣を聞いて安心したことだろう。監督、脚本は、『川の底からこんにちは』(2009年/112分)『舟を編む』(2013年/133分)の石井裕也監督なのだ。

『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』ストーリー:
「俺って、変だから」と慎二(池松壮亮)が言うと、「じゃあ、私と同じだ」と美香(石橋静河)が呟く――
看護師である美香は、勤務する病院で日常的に死と向かい合っている。忙しい日々だが、職場と住居である女子寮を往復するだけの毎日ではない。彼女は夜、都会を自転車で走り抜ける。行く先は、アルバイトしているガールズバーだ。
日雇い土木作業員の慎二は、同僚の智之(松田龍平)、岩下(田中哲司)、アンドレス(ポール・マグサリン)といつも連んでいるが、虚無的な毎日に不安を抱えている。左眼が殆ど視えない彼は、漠然とした暗闇を見つめて生きている。

「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。」
「きみに会わなくても、どこかにいるのだから、それでいい。」
『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の何%かは、直接的に最果タヒの詩から出来ている。映画全体が「死」のイメージを強く纏っていることも、最果タヒの詩を思い起こさせる。
石井裕也監督が詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を読んで、想いを巡らせたことは想像に難くない……こんな言葉を吐くのは、どんな人物なのだろう、と。
美香が、慎二が生み出され、彼らの生活環境が作り出される。
美香の職業が決まり、人となりが設定される。母(市川実日子)を亡くしているかもしれないし、付き合った人(三浦雄大)もいるだろう。やるせない日々をペットのリクガメで癒しているのかもしれない。
慎二の周囲に様々な人々が配置される。希望の振りをした絶望をもたらす兄貴分(松田龍平)、絶望の振りをした希望をもたらす齢の離れた同僚(田中哲司)、国籍を隔てた友人(ポール・マグサリン)、世代を隔てた隣人(大西力)。
やがて、彼らは出会う。人が犇めきあう都会で、「どうでもいい奇跡」が二人を近付ける。物語は動きだし、最果タヒの詩は台詞の中に埋没する。会話の中に忍びつづける言の葉が何てことない台詞をも詩歌に変容させ、物語が躍動する。作品の中に最果タヒの詩を探していたはずの鑑賞者は、いつしか言葉の探索を放棄する。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』とは、詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』の「劇場版」ではなく、「石井裕也版『夜空はいつでも最高密度の青色だ』」なのだ。
最果タヒは、自身のBlogで「私はずっと、レンズのような詩を作りたいと思っていました」と書いていた。最果の詩がレンズなら、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』はプリズムである。詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』というレンズを通して石井裕也の内部に結んだイメージは、石井監督自らの手で実像となったのだ。

物語にそっと寄り添う渡邊崇の音楽が素晴らしい。繰り返し劇中で歌われる「Tokyo Sky」は作詞が石井裕也監督、作曲が渡邊崇で、野嵜好美による味のある歌唱と相俟って、美香に、慎二に、そして映画を観る者に、様々な感情を喚び起こす。
エンディングを飾るThe Mirrazの「NEW WORLD」も素晴らしい。最果タヒの『夜空はいつでも最高密度の青空だ』とは全然合っていないようにみえて、『映画 夜空はいつでも最高密度の青空だ』とは絶妙に同調しているようにも思える。まるでこの映画を象徴するような楽曲にピタリとハマるエンドロールも、実に心地好い。

詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を鑑賞した読書家は、好運である。
読者の頭の中に例外なく存在するであろう「私的『夜空はいつでも最高密度の青色だ』」と『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』、両者の相違点と相似点に驚愕することが出来る。
そして、映画という娯楽作品の表現の豊かさを、総合芸術の圧倒的な説得力の大きさを、五感で体験することが出来るのだ。

詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を読んでいない映画ファンは、好運である。
『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』で存分に感受した鮮烈なイメージの源泉を、最果タヒの詩を読むことによって知ることが出来る。
そして、詩という芸術が持つ表現の自由さを、鑑賞者に与える影響の多様さを、じっくりと味わうことが出来るのだ。

鑑賞者の人生を変え得るほど卓越した芸術作品に、一度で二度出会える――『夜空はいつでも最高密度の青色だ』とは、そんな作品である。

石井裕也監督『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』は、5月13日(土)より新宿ピカデリー(新宿区新宿)、ユーロスペース(渋谷区円山町)にて先行上映、5月27日(土)より全国公開となる。

文:高橋アツシ

©2017「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」製作委員会

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