うらはらで、からから、なのだ。『はらはらなのか。』レビュー


酒井麻衣――長野県出身の25歳、若手NO.1映画監督との呼び声も高い、今をときめく俊英である。
だが、そんな肩書とは裏腹に、酒井麻衣監督は“映画界のまいやん”と呼びたくなるようなキュートな女性である。
彼女と会う者は、まず過去作の実績に畏怖する。そして、可憐な実像に吃驚する。さらに、新作の出来に驚嘆するのだ。
酒井監督が若手NO.1と呼ばれる所以、それは常に成長し続ける底なしの才能である。実際、彼女の代表作は、常に最新作なのだ。

だから、4月1日(土)公開の『はらはらなのか。』は当然のように、酒井麻衣監督の最新作にして、最高傑作である。

『はらはらなのか。』ストーリー:
原ナノカ(原菜乃華)は、都会から引っ越してきたばかりの中学1年生。父・直人(川瀬陽太)と二人暮らしだが、実は透明ナノカ(原菜乃華:二役)という友達が淋しい時に現れる。引っ越しを機に中々芽が出ない子役を辞めさせたい父の思惑とは裏腹に、ナノカには絶対に受けたいオーディションがあった。それは『まっ透明なAsoべんきょ~』という演劇で、今は亡き母・マリカ(松本まりか)が出演した舞台の再演だ。
転入した中学校には歌手を目指す生徒会長・凜(吉田凜音)もいて、ナノカは女優業への思いを新たにする。そんなある日、透明ナノカの悪戯で足を踏み入れたカフェで、ナノカは店を営むリナ(松井玲奈)という女性と出会う。初めて会ったはずのリナだが、ナノカには見覚えがあった。実は、それもそのはずで――。

まずは、ナノカ役の小さなヒロイン、原菜乃華が素晴らしい。
『はらはらなのか。』というタイトルからして“原ありき”で作られた映画であることは明白であるが、ナノカという役自体も等身大の“菜乃華”を彷彿とさせるキャラクタ造形である。そんな酒井監督のシナリオに原も熱演(実に!)で応えてみせ、観客はハラハラしながら菜乃華の成長物語を追体験することとなるのだ。
あたかも劇映画でなくドキュメンタリーを観ているかのような錯覚に陥りそうになる場面が何度も何度も銀幕に映し出され、観る者はただただ圧倒されることになる。

これは、『はらはらなのか。』誕生の経緯と大いに関係がある。
そもそも今作が製作される切っ掛けは、酒井監督が直井卓俊プロデューサー(【SPOTTED PRODUCTIONS】代表)から原主演の舞台『まっ透明なAsoべんきょ~』を勧められたことだったとか。そこから劇中劇という形で作品に落としこんだ酒井監督の発想力が、一人の少女の成長物語を生み出し、夢を実現する過程の大いなる輝きをスクリーンに体現させたのだ。
そして、原ナノカという虚像との狭間を放蕩う原菜乃華という実像を得たからこそ、『はらはらなのか。』はドラマにもドキュメントにもない“リアルな夢物語”に辿り着いたのである。酒井麻衣監督の才能の源は、物事の本質を見抜く眼力なのだ。

そんな小さな大ヒロインの好演に、共演者たちも全力で応じる。
川瀬陽太の“格好悪い父親像”を存分に引き出したのは、まさしく酒井監督の手腕だ。愛するがゆえに衝突してしまう親子、裏目に出てしまう娘への想い……父の愛は、時に無様なものである。川瀬がナノハを送り出す時の台詞は、『はらはらなのか。』最大の感涙ポイントなのだ。
また、吉田凜音の存在感が素晴らしい。ライバルでも先輩でもない独特の“戦友感”は、主人公ナノハ同様に真っ直ぐ夢を追っているという人物造形が確りと成立しているからである。『女子の事件は、大抵トイレで起こるのだ。』(監督:白石和彌/2016年)でラップを聴かせてくれた吉田は、『はらはらなのか。』では優しく力強い“応援歌”を歌い上げる。
そして、特筆すべきは松井玲奈の演技である。元アイドルに似つかわしくない実力派である松井とはいえ、まだまだ若い彼女に“母性”を感じさせてしまう酒井監督の演出は、ちょっと鳥肌ものである。

酒井麻衣は、作品を支える大いなる力の源泉を二つ持っている。

その一つは、伝播力……表現を伝える力である。
酒井監督は、いつも特定の誰かをターゲットにして映画を作るそうだ。
自分自身のために撮った『棒つきキャンディー』(2012年/28分)、妹に向けての懺悔『神隠しのキャラメル』(2013年/35分)、映画を通して親友になった脚本家のための『金の鍵』(2014年/61分)、原作者に捧げた『笑門来福』(2014年/30分)。
だが、いつしか酒井監督の表現は、思いを飛び越え、広く深く多くの人々に伝播する映画を生みだすに至った。
『いいにおいのする映画』(2015年/73分)は、夢を追いかける全ての人々が、「自分のための映画だ!」と感じるであろう。
『はらはらなのか。』は、夢を追いかける全ての人々と、かつて夢を追いかけた全ての人々が、自身に向けて作られた映画だと信じるに違いない。

そして、もう一つは、ハングリーさ……貪欲な上昇志向である。
かつて酒井監督は、SNSで自身の短編映画がランクインした個人映画評を目にして、「1位じゃないのか」と悔しがったという。また、『いいにおいのする映画』の舞台挨拶で“こだわりの画角(スタンダード)”について話した時、「でも、グザヴィエ・ドラン監督に、まさか1:1をやられちゃうとは……」と俯いてみせた。
そんなハングリーな酒井監督のこと、公開時期の近い某ハリウッド大作と比較されてしまうことを悔しがるかも知れない。
でも、大丈夫。
『はらはらなのか。』で歌って踊るのは、【ゆかいなカンカンバルカン】を引き連れた【チャラン・ポ・ランタン】なのだ。物語の語り部は、なんと【Vampillia】のmicci the mistakeなのだ。
どんなミュージカルにだって、負けることはない。

また、劇中のミュージカル・シーンで歌われる楽曲の歌詞にもご傾聴を。流石は『彌勒 MIROKU』(監督:林海象/2013年/87分)で『Pons-Winnecke Comet Song(ポン彗星の歌)』を作詞した酒井監督、今回も良い詞を書いた。
酒井監督は、本当に言葉を大切にする作家だ。その姿勢は『はらはらなのか。』でも貫かれているので、どうか残さず汲み取ってほしい。くれぐれも、エンドロールが始まった途端に席を立ったりせぬよう。

『はらはらなのか。』により新たな代表作を手にした酒井麻衣監督だが、きっとまた次回作で『はらはらなのか。』を凌駕する傑作を作りあげてくるのであろう。
これほどの作品を生みだしても尚、飽くなき創作欲は、からからなのか――。

文:高橋アツシ

『はらはらなのか。』
2017.4.1(土)新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
http://haraharananoka.com
©2017「はらはらなのか。」製作委員会

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