沈没船が浮上するとき、再び君に出会う『海にしずめる』レビュー


tasaki1
東京で暮らす涼(三浦英) の元に、ある日一人の少女(遠藤新菜)が訪ねてくる。
かつての幼馴染の女に瓜二つであることに驚く涼に、その少女、未華子は驚くべき事実を告げる。
彼女の父親は涼か、涼の兄の蓮(石橋征太郎)であり、どちらが父親か確かめるためにやってきたのだと。
動揺しながらも、涼は未華子を自分の実家へ連れていき、蓮とも引き合わせることにするのだがー。

戸惑いながらも未華子に向き合おうとする弟・涼に対し、地元で漁師となり、結婚して幸せに暮らす兄・蓮は、今さら父親にはなれないと彼女を拒絶する。忘れていた、いや、忘れようとしていた過去と対峙するのは楽じゃない。ましてや、16歳の少女が娘だと名乗り出てきたらーー。男性には恐怖体験以外の何物でもないかもしれないが、真っ直ぐで物怖じしない未華子の一挙一動にどきまぎし、慌てふためく父親候補の男たちの姿は生々しいし、いじらしい。

一方、女性の登場人物たちは、兄弟とまるきり反対の反応を見せる。
未華子の突然の訪問にも動じない涼の恋人、息子たちの笑えない過去を笑い飛ばし孫が出来たと喜ぶ母、夫の子かもしれない未華子を受け入れる蓮の妻。男たちがまごまごしてる間にも、彼女らは現実を受け止め、たちまち吸収してしまう、この対比が実に清々しく愉快だ。

印象的なシーンの一つは、自転車に乗れないという未華子に涼と蓮が二人で乗り方を教える場面だ。
かつて、こんな親密な時間を彼らは未華子の母と過ごしたに違いない、だがそれは既に形のない過去であり、兄弟が目をそむけてきた歳月に成長した16歳の未華子がそこにいる。父と娘かもしれないというキュンとする甘酸っぱさと、決して取り戻せない空白の年月を感じて、無性に切ない。

本作では、海が重要なモチーフとして登場する。
涼と蓮の実家があるのは漁港を臨む港町、そこでの海は未華子の母の記憶、未華子との淡い数日間を内包する存在であり、どこか優しくもある。他方、消し去った過去のメタファーともいうべき沈没船が沈んでいる海は、都合の悪いものを葬り去る場所として描かれる。

うっかり甘い感情だけに埋没していると、沈没船がそっと囁くー「なかったことには、できないよ」と。深くに沈めてもきっといつか浮かび上がってくる、だって、そこに在るんだから。

切なさと共に、存在の確実さという現実を突き付けられ、上映時間が53分とは思えない深みを持っている。鑑賞後、登場人物たちの「これから」が気になるに違いない、いつだって未来は今と、そして過去とつながっているのだから。

文 小林麻子

『海にしずめる』は田崎恵美監督の最新作で、名古屋市大須のシアターカフェにて4月16日まで上映。今後の上映予定は未定。田崎監督の他作品『ハイランド』『ふたつのウーテル』は同カフェにて4月17日まで上映。(画像:田崎恵美監督と『海にしずめる』蓮役の石橋征太郎)
シアターカフェ3周年記念特別プログラム「海にしずめる」ほか田崎恵美監督大全

記事が気に入ったらいいね !
最新情報をお届け!

最新情報をTwitter で