僕だけは、僕を信じ抜く『インスペクション ここで生きる』レビュー
『ムーンライト』(16)、『レディ・バード』(17)、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(22)など数々の独創的な作品を制作・配給してきた、気鋭の映画会社A24が新たに公開するのは監督自らの体験に基づいた一人の若者の物語だ。
イラク戦争のさなかにある2005年のアメリカ。ゲイであることで母親に捨てられ、16歳から10年間ホームレス生活を送ってきた青年エリス・フレンチ(ジェレミー・ポープ)。
自らの人生を切り開きたいと願う彼は海兵隊への入隊を決意する。苛烈な訓練と教官の厳しいしごきに耐える中、ゲイであることが周囲に知れ渡ってしまいフレンチは激しい差別にさらされてしまう。理不尽な扱いに何度も挫けそうになりながら、その都度奮起し自分の信じた道を貫こうとするフレンチは周囲を、そして自分自身の人生を変えることが出来るのだろうか。
フレンチの人生は他人に存在を否定され、蔑ろにされることの連続だった。母親はゲイであるという理由でまだ少年の息子を容赦なく切り捨て、フレンチは10年もの間ホームレスとしてひとり生き抜いてきた。海兵隊への入隊を知らせに母を訪れた際にも、彼女は息子を自宅へ上げようともしない。人生を変えるため飛び込んだ海兵隊でもゲイであることが判明するや、同僚や教官の態度は一変する。侮蔑と嘲りの対象となり、容赦の無い暴力を受けついには死の危険を感じる事態に発展してしまう。日々の過酷な訓練と差別、そして何より、自分は誰にも愛されず、受け入れられないという孤独がフレンチの前に立ちふさがる。
苦しく過酷な物語ではあるが、本作には何故か陰鬱さが漂わない。それは恐らくフレンチの自分を決して諦めず信じぬく姿が、一筋の希望の光を作品に照らしているからだ。差別や暴力に毅然として立ち向かい、決して屈しない彼のまなざしはいつも真っ直ぐで誇りに溢れている。同時にフレンチは他人に拒絶されたとしても相手に対する思いやりを捨てることはしない。母親や同僚、そして恋した相手、他人に寄り添い共にあろうとする彼の生き方は気高く美しい。
エレガンス・ブラットン監督の長編デビューとなった本作は、海兵隊在職中に映像記録担当としてキャリアを始めた自身の体験に基づいている。俳優・歌手のジェレミー・ポープが主演を務め『第80回ゴールデングローブ賞』の最優秀主演男優賞(ドラマ部門)にノミネートされた。愛されないことで卑屈になる必要はない、自分が自分を愛し信じる道をひたむきに前へ進む。それこそが辛い日々を乗り越え、未来を掴みとるための何よりも強い武器なのだとフレンチは観る者に教えてくれる。
文 小林サク
『インスペクション ここで生きる』
8月4日(金)TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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