音楽に高尚もへったくれもない『オーケストラ・クラス』レビュー
『オーケストラ・クラス』はパリの小学校を舞台とした音楽映画。
演奏者として仕事に恵まれない中年バイオリニスト・ダウドは、小学校の音楽クラスへ講師として赴任する。生徒は様々なルーツを持つ移民の子どもたち。彼らはクラシック音楽にほとんど触れたことがなく、興味もなかった。水と油の両者は衝突ばかりで、練習は思うように進まない。
しかし一目でバイオリンの虜になった少年・アーノルドを接点に、ダウドと子どもたちの関係は少しずつ変わり始める。
やがて心を一つにしたクラスは、年度末の発表会に向け、力を合わせて練習に励んでいく。
本作はフランスに実在する、子どものための音楽教育プログラム「Démos(デモス)」に着想を得ている。
「Philharmonie de Paris(フィルハーモニー・ド・パリ)」が運営するこのプログラムでは楽器を子どもに贈呈し、プロの音楽家を講師に招く。保護者に大きな経済的負担がかからないため、普段クラシック音楽に触れる機会のない子どもたちにも、そのすばらしさを体験してもらうことができる。
クラシック音楽を一部の裕福な人のものではなく、誰でも楽しめる存在にする……文化振興として、こうした試みはとても頼もしいものだ。一方で、ミスマッチを感じる人もいるのではないだろうか。「クラシック音楽って子どもが習いたがるの?」と。
これがポップスなどの「楽しい」イメージのある音楽なら、ヤンチャ盛りの子どもも夢中になるだろう。しかしクラシック音楽のイメージは「楽しい」からやや遠い。むしろ高尚、厳格、教育熱心なママ&パパが習わせたがる……など、子どもが嫌煙しそうなイメージばかりである。
実のところ、本作の主人公のバイオリニスト・ダウド自身が、クラシック音楽をそう捉えている一人。
当初のダウドはバイオリンでチャンバラを始める子どもたちを見て、露骨にうんざり顔をする。真面目に練習するアーノルドには親身になるが、問題児は「意欲ある生徒の邪魔だ」とクラスから追い出そうとする。「悪ガキなんかにクラシック音楽がわかるか」と言わんばかりだ。
そもそもプログラムの講師になったのも、志あってではなく単に生活のため。これまで身を置いていた高潔なクラシック音楽の世界とはかけ離れた環境に、不満タラタラなのだ。
ところが講師を続けるうち、ダウドは子どもたちの変化に気づく。
30秒もじっとしていられない彼らが、初めて目の当たりにするプロの演奏に息をのんで聴き入る。クラス以外でも自主的に練習し始める。教室が火事で焼けてしまうと、保護者も巻き込んで一丸となり、新しい練習場を作る。
そう、ブツクサ言ってるダウドをよそに、子どもたちはどんどんクラシック音楽の「楽しさ」を発見していっていたのだ。
そんな子どもたちの姿に、ダウドの考えが変わり始める。
演奏者への復帰を切望していた彼が、上品な音楽会に出演するチャンスに恵まれたにもかかわらず「演奏が楽しくなかった」と語るシーンは必見だ。
そして「音楽はそもそも楽しむためにある」ことを思い出していく。
本作はクラシック音楽の映画だけど、時折クラシック以外の音楽も用いられる。
その中でもラストに流れる音楽は印象的だ。アーノルドのルーツ、アフリカを思わせるノリのいい音楽である。
こうしたジャンルを超えた音楽の共演からも、本作が決してクラシック音楽を賛美するだけの映画じゃないことがわかる。本作はもっと大きな視点から「音楽とは何なのか」、そして「芸術とは何のために存在するのか」を描く映画なのだ。
芸術には力がある。人の心を結びつけ、希望や意欲を与える。そこにはジャンルの垣根も、クラシックも高尚もへったくれもない。
言葉にすると気恥ずかしいそんなメッセージを、本作は言葉ではない方法で伝えてくれる。
文 澤田絵里
『オーケストラ・クラス』
(c) 2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE – PHILHARMONIE DE PARIS
2018年8月18日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開