喪失を越えて生まれ変わる、走馬灯『ちかくてとおい』レビュー
無数に取材をしていると、忘れられない取材もあるものだ。
日本中の誰もが何ができるかを考えた、2011年3月11日の東日本大震災。岩手県大槌町で生まれ育った大久保愉伊監督は、震災の2週間後に東京から実家へと向かい、その時の様子を収めた『槌音(つちおと)』(2011年公開)上映時にインタビューに応じてくれた。正直、何を聞いていいのか戸惑うばかりだったが、ただただ頷くことしかできない記者にとって印象深い時間であった。
津波で大きな被害を受けた大槌町は、町民の約11人に1人が死亡・行方不明となった。
あれから6年。大槌町は、かさ上げ工事のために土に埋もれようとしている。
『槌音』の続編ともいえる『ちかくてとおい』は、震災前後の町の風景映像で綴られたドキュメンタリーだ。“震災から30年後、2041年に28歳になる姪へのビデオレター”と題されている本作は、震災後に生まれた姪が大人になる頃には見れなくなってしまう風景を残すために撮られた、監督が育った町の記憶と記録。しかし、インタビューもなければ登場人物もいない。映るのは大槌町の過去と現在、そして監督の声だけ。
共存してきた海が、一瞬にして町を飲み込む凶器となったあの日。家も家具も思い出の品もガレキと呼ばれる見知らぬ町のような町を歩き、あったはずの景色は見る影もなく違う形へと変わっていく。どれだけ想像しても想像しきれない恐怖を体験した人たちは、忘れたくても忘れられない思いを抱えながら生きてゆき、変わり果てた地で何を思うのだろうか。
映像とともに語られる言葉が心に鈍く突き刺さる。しかし不思議なことにじんわりと温かい。それはきっと、何の偽りもない誰かの思いや記憶に触れる事で、自身への疑似として重ねずにはいられないからである。たった一人に向けた映像は、生きているすべての人にとって、いつ訪れるか予測できない“遠くて近い”未来の断片なのかもしれない。
『槌音』の上映を悩んだと言っていた青年は、その後に1つの目的を持って撮り続ける道を選んだ。
喪失を越えて生まれ変わる、大槌町の走馬灯と呼べる作品。
文・南野こずえ
『ちかくてとおい』
©Revolving-Lantern
4月29日より下北沢トリウッドにてロードショー公開