この圧倒的な不平等を越えて 『大地を受け継ぐ』鑑賞記


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2016年2月27日、シネマスコーレ(名古屋市 中村区)はの観客席は、朝から大入りとなった。地元・犬山市の出身の上、学生時代から若松孝二監督に師事していた、シネマスコーレには大変縁の深い井上淳一監督が、新作ドキュメンタリー映画『大地を受け継ぐ』を引っ提げて“故郷”へ帰ってきたのだ。

『大地を受け継ぐ』解説:
2015年5月、東京を出発したマイクロバスには、11人の学生が乗っていた。ほとんどが初対面である彼らに、バスに同乗した馬奈木弁護士は目的地を説明する。
「原発から、距離にすると60~65kmくらいの所になります」
到着した家で迎えてくれたのは、農業を営む母と息子、そして愛猫。笑顔を交し合う一同であるが、若者たちはまだ知らない――“3.11”が、その後の人災が、この家に何を齎したのかを。
父の跡を継いで農業を生業とする樽川和也は、震災の翌日からの様子をゆっくりと語り始めた。家の中の有り様を、屋根の上の被害を、そして……父の自殺を。全員が卓袱台を囲む居間の空気が、一変した――。

――『大地を受け継ぐ』、素晴らしい作品でした。先ず、作品を撮り始めたきっかけをお願いします

井上監督 僕の本業は脚本家で『あいときぼうのまち』(監督:菅乃 廣/2013年)のシナリオを書いたんですけど、東京の上映で連日トークショーをやりまして、その時のゲストの一人がこの作品にも出てた馬奈木巌太郎弁護士だったんです。彼は、福島で4000人の原告団を抱える【生業を返せ、地域を返せ!】福島原発訴訟の事務局長をやってるんです。彼に言われて原告団の方々と触れ合ったら、一回だけとはいかなくなりまして、2ヶ月に一回の裁判に行くようになったんです。あんまり通ってたんで馬奈木さんが悪いと思ってくれて、一泊した次の日に色々と連れて行ってくれるようになりまして……例えば、立入禁止区域とか。その中で、去年の3月にこの樽川さんの家があったんです。話を聞いて、即決でしたね……単純に、「この話、僕だけが聞いてたんじゃ勿体ない」と。

――ドキュメンタリーと言うのは、初めてですよね?

井上 はい、全く初めてです。

――日数を掛けて寄り添って撮る。また、監督自らがインタビュアーとして作品に仕上げていく……ドキュメンタリーと言うと、そんな想像をするんですが、これは手法が違いますよね?
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井上 取材対象者に「ここまで話しても大丈夫だ」って思わせる時間は、もう馬奈木さんが4年間掛けてやってくれてたんですね。僕はもう、それに乗っかれば良かったんです。もう一つ、僕もシナリオ学校とかで教える時に、一番最初の授業でよくこう言うんです、「シナリオとは、何を、どう、書くかだ。学校では“どう”は教えられる。だけど、大切なのは“何を”だよ。残念ながら、“何を”は自分で見付けるしかないんだよ」って。全ての表現は同じだと思うんですよね。振り返って日本映画を見ると、“何を”がある映画が、どこにあるのか、と。圧倒的な“何を”がある樽川さんのことを語ることによって、今の日本映画に対する僕なりのアンチテーゼにもなるんじゃないかと。で、手法に関しては、もうこの時代で、フィクションだノンフィクションだって拘っても仕様がないだろうとは、ずっと思ってました。今回は偶々ドキュメンタリーですが、次はまたフィクションでやるでしょうし。

――若い人たちに聞かせると言うのは、最初から構想されてたんですか?

井上 一番最初は、東京の劇団の子たちと行ったんですよ。それが、樽川さんのお父さんの命日の次の日で、劇団の若い女の子たちがボロボロ泣いて、樽川さんも泣く、みたいな感じでした。カメラ5台回してるんですけど、インタビューにならなくても樽川さんは語る決意をされてるんで語ってくれる。でも、聞き手は要るだろう。じゃあ誰をと思った時に……“SEALDs”とかまだブームになる前だったんですけど、やっぱり心の若い、どうせなら若い子に聞かせたいと言う……それだけです。でも正直、彼らがここまでの表情をするとは思ってなかったです。だから、それは本当のドキュメンタリーだったんですよね。何か説明的なカットを入れようかと思った時もありましたけど、決断としては「彼らが見たもの以外は一切写さない」と。結果、彼らによって僕自体が凄く育てられた感じです。

――86分でそれを語るのは、凄く難しいと思うんですが……

井上 今日みなさん多分、樽川さん家の居間で一緒にお話を聞いてる感じだったと思うんです。樽川さんは、よくマスコミに出てます。でも、テレビで取り上げられたとしても、精々3分。新聞だと、囲み記事。例えば80分喋ってるとすると、残りの77分の中にも現実はあるし、真実もあるだろう。それを撮れるのは、映画しか無い。樽川さん、時々深い沈黙をされるじゃないですか。もしかしたら、僕はその沈黙を撮りたかったのかなと言う気もしてます。樽川さんは語ってるけど、その後ろや横に黙して語らない人が福島には一杯いると思うんですよ。

――福島で上映されたんですか?

井上 しました。もう3週間前ですね。吃驚したんですけど、サイン会の時、ほぼ全員の人が僕に語りかけるんですよ……自分の5年間の、悔しかったり悲しかったりと言った想いを。多分その人たちは普段、黙して語らなかった“沈黙の声”の主なんです。僕はその時、綺麗事じゃなく“沈黙の声”を聞いてるんだなと思いました。僕はご存知のように愛知県犬山市育ちなんですけど、福島で上映して、「やっぱりこの声を伝えなきゃいけない」って使命感は一寸だけあります。ただ、ひとつ悪い事も言いますと、福島の映画館の支配人は、この映画に批判的だったんですよ。彼は福島で生まれ育って、娘さんと奥さんを京都に避難させてるんです。原発事故の為に家族バラバラで、それを東京から来た人とか色んな人に話すんですって。ほとんどの人は一緒に憤って、中には涙を流す人も居るそうです。しかし、「彼らが東京に帰って日常生活の中に紛れると、結果、忘れる。この映画も、結局彼らだって忘れるでしょう。そう言う事に意味があるのかと、僕は思う」と、彼は言ったんですよ。僕は、その時にこう言いました。「それでも、良いんじゃないか」と。多分、彼らの中にも“引っ掻き傷”くらいは付いてる。11人のうち一人でも、引っ掻き傷が時々疼いて思い出せば、それで良いんじゃないか。そう言う事でしか、僕たちは伝えられないし、受け継げないと思うんですよ。よく「想像しろ!」って言うじゃないですか。僕は福島に行ってるから少しは想像できますけど、じゃあ自分で捉え返しても、今シリアの難民のこと想像できてるのか?最近報道されなくなったパレスチナのことを想像できてるのか?もっと言うなら、報道されないスーダンの虐殺のことを想像できてるのか?……出来ないんですよ。限界がある。でも、そこで「出来ない!」と言わずに、少しでもそれを忘れず、更にその先を想像することでしか、今この世の中に存在する圧倒的な不平等……例えば、福島に生まれたと言うだけ、貧困層の親の元に生まれたと言うだけ、イスラムに生まれたと言うだけで受ける、この圧倒的な不平等は、無くならないと思うんですよ。僕は、何かそのきっかけになればと思ってます。それこそ、これは紛れもないノンフィクションですから。
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舞台挨拶後のサイン会の列に並ぶ一人ひとりが、井上監督に語りかけていたのは、“その先を想像する”ことに他ならなかった。
映画は、映画館と言う空間は、出来る――観る者の心に、“引っ掻き傷”を付けることが。
そして、私たち観者は、出来るのだ――そんな心の傷を、“伝え”、“受け継ぐ”ことが。

取材 高橋アツシ

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