その緑なすアトラス越えて『さよなら歌舞伎町』レビュー
――その緑なすアトラス越えて―― 『さよなら歌舞伎町』レビュー
映画を観ていて、つい気になってしまうシーンがある。その一つは、歯磨きのシーンだ。
私達が日に数回こなす歯磨きは、映画のそれとは大きく異なる。口の周りを白く汚す歯磨き粉は涎と共に容赦なく垂れてくるし、歯ブラシを咥えたまま明瞭に話すことなど出来はしない。
映画の中の歯磨きは、どこまでも爽やかで、どこかエロチックで、堪らなく絵空事である。
だが、それがいい。
『さよなら歌舞伎町』は、そんなシーンで幕を開ける。
時間は、9:34――恋人達の一日が、今日も始まる。
『軽蔑』(2011年)、『100回泣くこと』(2013年)など“恋愛映画の名手”と称される廣木隆一監督の最新作である『さよなら歌舞伎町』は、『ヴァイブレータ』(2003年)、『やわらかい生活』(2005年)に続き荒木晴彦の脚本と3度目のコラボとなる。意外にも、廣木監督が手掛ける初の群像劇であることも注目である。
チョンス(ロイ)とヘナ(イ・ウヌ)の韓国人カップルは、別れの危機に直面している。開業資金が貯まり帰国間近のヘナだが、チョンスは思うように貯金できず一緒に帰れない。「ホステスって、そんなに儲かるのか?」チョンスは疑問をぶつける。
鈴木里美(南 果歩)は、アパートに一人寂しく住んでいる――と、世間を欺いて暮らしている。カーテンの締め切った部屋の中、押入れの中には池沢康夫(松重 豊)が息を潜めている。「あと38時間、辛抱して」と言い残し、里美は仕事に出掛ける。
女子高生・雛子(我妻三輪子)は、温かい部屋とジャグジー付きの風呂を満喫する。「ナゲット全部一人で食べるの夢だったんだよね」と笑顔で話す言葉に涙が交じると、風俗スカウトの正也(忍成修吾)は目的を忘れつつある自分に気付きはじめる。
警察官カップルの理香子(河井青葉)と新城(宮崎吐夢)は、歌舞伎町のラブホテル『アトラス』で逢瀬を重ねる。指名手配中の柏木桐子を発見し思わぬ手柄を喜ぶ理香子だが、不倫関係の発覚を恐れる新城は署への連絡を逡巡する。
ミュージシャン志望の飯島沙耶(前田敦子)と暮らす高橋徹(染谷将太)は、ラブホテルの雇われ店長。売春婦(山崎えり)を追い払い従業員(リカヤ)に毒を吐く冴えない日々だが、周囲には「一流ホテルに勤務してる」と嘘を吐いている。撮影中のAV女優アズサ(樋井明日香)に説教するつもりが逆に諭され、利用客・谷口(大森南朋)は徹にとって悪魔の如き存在となる――いつもと同じだと思っていた、特別な長い長い一日が、始まる――。
『さよなら歌舞伎町』では、とにかく女性が強く、逞しい。そして、美しい。
この脚本に元トップアイドルの前田敦子を起用したキャスティングは、見事としか言い様がない。『メビウス』(2013年/キム・ギドク監督)で熱演を魅せたイ・ウヌが、この作品でも負けず劣らぬ体当たりの演技で女優魂を見せる。樋井明日香の凛とした覚悟に、息を呑まされる。そして、南果歩の堂々たる躍動感に、心躍らされる。
対して男性陣は、弱く、脆い。そして、可笑しい。
その筆頭は染谷将太演じる徹であるが、役どころで謂えば単なる“狂言廻し”であるはずの彼が、流石の存在感を放っている……輝いているのだ。これに呼応してか、他の男優の演技も熱量を帯びる。忍成修吾は素敵な笑顔を見せ、川瀬陽太と小林ユウキチは息の合った芝居で観る者を唸らせる。そして、村上淳が堪らなく愛おしいコメディー・リリーフを魅せる。
前田敦子の歌唱を通して下田逸郎の楽曲が作品に漂う哀しみに寄り添い、つじあやのの音楽が登場人物を明るく鼓舞する。終盤、二人を乗せたバスをウクレレの音色が優しく包み、踏み出した一歩に大いなるエールが送られる。
些か長尺かと思ったが、最後まで弛むことなく楽しめた。135分は、群像劇として相応しい絶妙な時間配分であった。
震災絡みのエピソードや(ルームナンバーにも、ご注意を)、当地ならではのヘイトスピーチなど、さり気なく時代性を織り込んでくる廣木監督×荒木脚本の作家性も観逃せない。『さよなら歌舞伎町』は、正に“今の歌舞伎町”を写し込んだ作品なのだ。それでいて、温かい掌でそっと背を押されるような爽やかな観後感が、何ともくすぐったく感じる。
だが、それがいい。
文・高橋アツシ
『さよなら歌舞伎町』
出演:染谷将太 前田敦子 イ・ウンウ / 大森南朋 / 松重豊 南果歩
監督:廣木隆一 脚本:荒井晴彦 中野太
(C)2014『さよなら歌舞伎町』製作委員会 R15+
『さよなら歌舞伎町』公式サイト
2015年1月24日(土)、テアトル新宿ほか全国順次公開!