若き執念が生み出した、神々の視線『祖谷物語―おくのひと―』鑑賞記


iyamonogatari_001若き執念が生み出した、神々の視線 --『祖谷物語―おくのひと―』鑑賞記--

美しくも厳しい大地に根をおろし、時代に翻弄されながらも逞しく生きる人々がいる。
『祖谷物語(いやものがたり)―おくのひと―』は、日本三大秘境の一つに数えられる徳島県三好市・祖谷の四季を35mmフィルムに焼き付け、ドキュメンタリーかと見紛う程の繊細な描写でそこに生きる人々を映し込めた意欲作である。

169分もの長尺フィルムは自然に身を置く人々の営みを、真摯に、雄弁に語る。美しい、されど厳しい大自然の中で、人間は時に傷つけ合い、時に手を取り合う。様々な立場の人々を追うカメラはいつも冷徹で、どこか暖かく、決して偏ることがない。それは、祖谷を取り巻く自然の……“神々”の視線を思い起こさせる。

ある夏の日、川を遡るようにボンネットバスに乗って東京から青年・工藤(大西信満)がやってくる。自然豊かなこの田舎村で、工藤は自給自足生活を始めようとしていた。ところが、一見平和な村では、地元の土建業者と自然保護団体との対立や、鹿や猪といった害獣から畑を守ろうとする人々と獣の戦いなど、様々な問題が起こっていた……。

そんな中、工藤は人里離れた山奥でひっそりと暮らすお爺(田中泯)と春菜(武田梨奈)に出会う。電気もガスもなく、物もほとんどない質素なこの家の生活は、時間が止まったかのようにゆっくりしている。お爺は毎朝、山の神様が祀ってある社まで山を登ってゆき、 お神酒を奉納する。春菜は一時間かけて山を下って学校に通い、放課後はお爺の畑仕事を手伝う。効率とは無縁の2人の生活は、工藤の心をゆっくりと浄化していく。

しかし、季節が巡るにつれ、おとぎ話のようなお爺と春菜の生活にも変化が起きる。進学に悩む春菜と体調が悪化していくお爺。ずっと続くと思っていたお爺との生活がズレ始めたことに不安を抱く春菜だが、お爺は春菜の心配を余所にいつものように山に出掛けていく。田舎での生活に期待を寄せていた工藤も、 厳しい自然との共存に限界を感じ、自分は所詮文明社会の下でしか生きられないということに絶望を隠せないでいた…。

2014年3月29日シネマスコーレ、『祖谷物語―おくのひと―』公開初日は満席となった。
上映前には、大西信満・武田梨奈・蔦哲一朗監督の3人による舞台挨拶があるとのことで、補助席を出すほどシートを埋めた観客は期待に胸を膨らませていた。

蔦哲一朗監督「今日、無事名古屋での公開を迎えることが出来まして個人的には凄いホッとしてます。これも大西さんとシネマスコーレの皆さんのおかげだと思いますので、本当にありがとうございます」

武田梨奈「皆さん、今日はありがとうございます。1月にここで舞台挨拶させていただいて、その時に「『祖谷物語』で来ます!」って無責任なことを言ってしまって心配だったんですけど…来れて、今日は嬉しいです。短い時間ですが、宜しくお願いします」

大西信満「みなさん、どうもありがとうございます。こんなに宣伝も何も行き届かない作品にも係わらず満員で、嬉しく思っております。上映前なので喋れることも限られてしまうとは思いますが、どうか宜しくお願いします」

--この作品、祖谷で撮影に至る過程を教えてください(MC:シネマスコーレ木全(きまた)純治支配人)

蔦「この祖谷と言う所は、徳島県の三好市って言う所にあるんですが、日本の三大秘境と言われるようなかなりの山奥です。僕の出身が近くの池田町って言う池田高校で有名になった所なんですけど、僕は元々“人間と自然の共存”みたいなことをテーマに映画を創り続けていたので、地元でそう言うのを撮りたいと市長さんに企画書を持って行ったのが始まりです」

--ちょっと、お祖父さんのことも是非言ってください

蔦「そうですね(笑)。皆さん御存知の方もいらっしゃるとは思うんですけど…自分の祖父が、池田高校の野球部監督をやっていた蔦文也と言う者なんですけれども…その影響で“蔦”って名前はかなり通用して(笑)。全然実績が無い僕にも、町全体がバックアップしてくれたような感じで」

--武田さんが出ることになった経緯は?

蔦「祖谷に住んでる女の子っぽい娘を選ばなきゃいけないってことで…身体能力で(笑)、武田さんに期待したと言うか…。東京で色んな人をオーディションさせていただいたんですけど…ちょっと、都会的過ぎると言うか…祖谷に住んでる感じじゃないって、僕は思ってしまったんです。武田さんの忍者の映画(『女忍 KUNOICHI』)がありまして(場内笑)、それを観た時に「コレだ!」って思いまして、もう本当にすぐ事務所のほうに電話させていただいて、お会いさせていただいて、即決したと言った感じですね」

--武田さんにとっては初めて(の演技プラン)だと思うんですけど…このシナリオを読んで、どうだったんでしょうか?iyamonogatari_003

武田「そうですね。全くアクションが無い作品って言うのは初めてに近かったので、「なんで私を選んでくれたんだろ?」って最初は疑問があったんですけど…実際現場に行くと、「武田さん、この崖からちょっと落ちてくれませんか?」とか(場内笑)…「あ、こう言うことか!」って思いました(笑)」

--辛いシーンが一杯あったのでは?

武田「雪山でのシーンは、その雪山に行くまでに登山を片道1時間・往復2時間するので、撮影する前と後が大変だったんです。やっぱりスタッフさん達も機材を運んだりするので、そこも含めて…ああ言う映画を撮れたのは祖谷だったからこそなので…凄い貴重な撮影だったな、と思います」

蔦「武田さん本当に雪山で、ずっと寒い格好のまま…セーター1枚とかって感じで…ずっと居ていただいて。本当に登山もずっとそんな格好で登って…寒い中ずっと辛抱していただいたんです。僕の方は一番温かいダウン着てずっと登ってたような感じだったんで…済みません」

武田「でも、そう言う“訓練”みたいなのがあったからこそ、春菜を演じられたのかなって思いますね(笑)。大自然に慣れてる女の子なので、実際に映画と同じ体験をさせてもらえたって言うのは凄い大きかったです」

--そして、大西さんが出るって言うのは、これまた…。大西さんは蔦監督のことを御存知なかったと思うんですが、何故この映画に出ようと?iyamonogatari_004

大西「最初は、ホン(台本)になる前のプロットとかを監督から送っていただいて…その企画書の熱量が、物凄いものがあったんですよね。もちろん彼(蔦監督)もデビューしてない訳だから、どんな監督なのかも分からないし…だけど、その企画書と簡単なプロット--35mm(フィルム)でお金も無いけど1年掛けて撮る、イメージキャストは○○、と言った--それを見た時に、これはやらないと何か凄く後悔するんじゃないかと思って、やりました。だけど…やって、後悔した部分もあります(場内爆笑)」

--それは、どう言うことでしょう?

大西「監督の人柄ですかね(笑)。なかなか通常のやり方でやろうとしても、みんな…スタッフたちも本当に若いチームだったんで、田中泯さんであったり百戦錬磨の人たちを動かすには余程のこう…面の皮の厚さと言うか…根拠が無くてもちゃんと貫く意志が無ければ、なかなか蔦組を率いることは出来なかったと思うので。そんな監督の意志の強さと言うものがちゃんとフィルムに焼き付いてると思うので、その辺を楽しんでいただければと思います」

--田中泯さんについても聞かせてください

蔦「他の映画でも僕が拝見させていただいて、この『お爺』と言う役が…観ていただいたら分かると思いますけど、ちょっと異質な役で…どうしてもちょっと普段役者さんをやっている方だと無理かなって言う僕の判断で、泯さんの威圧感と言うか、普通の役者さんの持っていないオーラをどうしても出していただけたらなと思って、選ばせていただいたんです。それと併せて、泯さんが山梨の方で自給自足生活…畑をやって生活されてるってことで、お爺のリアリティみたいなものを泯さんなら出せると思って、声を掛けさせていただいたんです」

--実は昨日(3月28日)、この映画が2度目の海外での賞を獲りました(場内拍手)

蔦「今年の1月にあったノルウェイのトロムソー国際映画祭でグランプリを頂きまして、昨日と言うか…僕も武田さんから聞いて知ったんですけど(笑)、ロンドンのパンアジア映画祭で最優秀作品賞を頂きました。本当に、皆さんのおかげです。ありがようございます」(場内拍手)

--そんなに経験が無いのに、35mmフィルムで撮る…もう本当、信じられません。どうしてでしょうか?

蔦「本当に、その…経験が無いから、と言うか…このデジタルの時代でフィルムに触る機会が無いって言うことで…。僕も含め、カメラマンの青木(穣・撮影監督)ってのが居るんですけど、大学時代からずっとフィルムを扱ってて…16mmとかで撮ってて、「35mmで撮りたいよね」ってずっと言い続けてたので。僕は正直撮る実力は無かったかも知れないんですけど、挑戦したいって言う意志だけで突き進んだ感じです」

--撮影は、行ったり来たりした訳ですか?

蔦「1年間と言うことで四季ごとに撮影をやってまして…武田さんは、4回とも行ってますよね…?」

武田「はい、行きました」

蔦「大西さんは…4回とも行ってましたっけ…」

大西「行きましたよ!!」(場内爆笑)

蔦「そうです、そうです。ごめんなさい(笑)。泯さんが、3回ですかね。皆さん移動してもらって、祖谷のキャンプ場みたいな所で泊まっていただいたりもしながら…かなり、ご無理をお願いした感じですね」

--武田さん、泯さんとご一緒されて如何でしたか?

武田「最初台本を頂いて見た時に、泯さんの科白が一言も無くて…春菜がひたすら喋ってるんですよ、お爺に向かって。最初凄い違和感を感じたんですけど…実際現場で演ると、何の違和感も無く…。本当にお爺の背中を見て、一緒に会話してる感じがしたので、凄いなって思いました。やっぱり泯さんの存在感だったり…そう言う物は他の人には出せないものなので…私も引っ張られた部分は沢山あります」

--4回も山奥へ行って撮影って言うのは、多分考えられないと思うんですけど…

大西「まあ…そうですね」

--四季を体験されて、どうでした?

武田「四季1回行くごとに2週間くらい泊まって撮影してたんですけど…。何も無い場所でもあって…電波も無ければ、人もそんなに…」

大西「商店とかも、ほとんど無いんで…」

武田「山奥にポツンと…マネージャーさんも来てなかったので…ポツンと、山奥に棄てられた気分で(笑)」

蔦「でも、温泉はありましたからね…毎日、温泉に入れる…」

武田「(笑)。でも、最初は電波も無いし何も無いしって言うので不安もあったんですけど…逆に2週間も居ると、東京に帰った時に東京の街並みが怖くなってしまって。祖谷に慣れたと言うか…。そう言うのが、4回続きましたね。2週間居ると、東京に帰って、人込みもそうですし、すぐに電話とか出来ちゃうのも、なんか不思議と言うか…当たり前の生活が怖くなった時期もありました」

大西「…多分、自分、5回行ってるんですけど(笑)。正直言って、2回目の帰りぐらいからもう景色には飽きてる訳ですよ(笑)。最初は移動の時もワクワクしてたんですけど…「また、ここか」って…「また、あの山奥行くんだ」って(場内笑)。そう言うのが役柄として上手くリンクしてるはずなんで、「これはちゃんと役に入ってるってことだな」と、自分の中で言い訳をしながら(笑)。移動も何も出来ない交通手段も無いし飲み物一つ買えないような山奥で、結構この方(蔦監督)は俳優を忘れちゃうんですよね…放置して、自分たちだけ撮影行ったりとか。そうすると、もう何にも身動き取れなくて。3回目の時だったか、「これはもう、さすがにダメだから」って自分で車を出しまして…東京から四国の山奥まで。それで、(撮影中)一緒にコンビニ行ったりとかラーメン食べたりとか…監督の悪口を言いながら(場内爆笑)、過ごしたりして。そんな状況でした」

--監督は、俳優さんのそう言う視線を感じていたんですか?

蔦「…感じてましたね(苦笑)。それはまあ、色々」

--その中で、やり抜く原動力…それは、何なんですかね?

蔦「多分、シンプルに「この映画を創りたい」ってことだと思います。この作品を一番観たかったのは、やっぱり僕自身だったんで。本当に、地元の方にもかなり協力していただいてるんで…冬が終わった辺りが一番精神的にも体力的にも(限界に)来てたんですけど…そこで「辞めます」とはとても言える状況じゃないんで…地元の本当に多くの方に協力していただいて。もちろん、助成金と言う形で力も頂いていたんで。まあ、「後に退けない」ってことだと思うんです」

--撮影で一番辛かったことは?

蔦「辛かったのは色々あるんですけど…冬のシーンで、不法投棄を祖谷の山奥でしている場面がありまして…。祖谷で廃品を集めて崖から落としたんですけど…また崖に上げなきゃいけないんで、それが一番大変でした…撮影が終わった後、僕一人でやったので(笑)。それが本当に修行と言うか…2日か3日くらい一人でやってたのが、一番しんどかったですね」

武田「辛かったのは…ほとんどなんですけど(場内爆笑)…。でも一番は、トイレに行けないって言うのは大きくて。雪山ですと寒いんで、飲み物はあるんですけど、飲んでもトイレに行けないので…そこは一番女性陣は大変だったかなって思いますね(苦笑)」

大西「何が大変だったかって言うと、自然と対峙するってことが一番大変だったんですけど…。ちょっと質問の主旨とは逸れますけれども…ここの映画館(シネマスコーレ)を創られた若松(孝二)監督…僕は大変お世話になって、そのおかげでここに立たせてもらってる訳ですけれども…その若松監督が「志があれば、映画は創れる。技術がどうのこうのじゃなくて、金じゃなくて、志だ」って常々言っていて、それを身を以って体現したのがこの蔦哲一朗監督じゃないかって思っています。その彼がこのスコーレで舞台挨拶をしていることをとても嬉しく思っております」

--ところで監督、その格好は?iyamonogatari_002

蔦「僕が着ると全然着こなせてないんですけど…田中泯さんの演じてる『お爺』と言う役の衣装…昔ながらの衣装です。元々はこれ、服じゃなかったんですけど…布切れみたいなのを祖谷から集めて、僕の母がちょっと裁縫やってたんでお願いして作ってもらった衣装です」

--『祖谷物語』は、かなり長尺のですよね?

蔦「シナリオをお渡しした時、こんな長い作品になるとは皆さん多分思ってなかったと思うんですけど…。一言で言うと、撮りたいものが次から次へと…祖谷の風景も含めて…出てきてしまって。商業的な所で映画を創ってると、編集の時点でカットする破目になることもあると思うんですけど…自分が編集もしてて、配給も今回自分たちでやってまして…何て言いますか…圧力が掛かってなかったって言うことだと(笑)。自分のやりたいことはとにかく貫き通したって言うか。この映画を観るには、程よい時間だと思ったので」

--最後に、この作品の観所をどうぞ

武田「現場行ってもそうですし、作品観た時もそうだったんですけど、今の日本でもこう言う町があるんだってことが(観所です)。あと、自然は美しいだけじゃなくて本当に恐ろしいものなんだなって言うのを学べた作品なので、そんなことを感じていただけたらいいなって思います。この作品は予算も無い作品なので宣伝とかも限られてきちゃうんですけど、今皆さんがツイッターとかで呟いてくれてるのを私毎日見て凄いありがたいなって思ってるので、観たお客さんは一言でも呟いてくれたら嬉しいです。一緒に『祖谷物語』を盛り上げていってください。宜しくお願いします」

大西「監督の執念で、通常では凡そ撮り切ることが出来ない…あるいは撮り切ったとしても自己満足で、なかなかお客さんの前まで届けることが難しいと誰もが思うのを、こうやって皆さんの前に届けることが出来ていると言う状況を凄く嬉しく思ってます。宣伝力とか全くありませんので、皆さん一人ひとりが口コミで広めていっていただければ、それがまた新たなお客さんを呼んで、また新たな劇場で公開する機会を得られるかと思いますので、どうかお力添えの程を宜しくお願いいたします」

アクション女優・武田梨奈から“アクション”の冠を早急に外さないと、映画ファンは今後もっともっと彼女の演技に驚かされることになるだろう。女優・武田梨奈開眼のターニングポイントとして後々まで語られる映画……『祖谷物語』は、そんな作品である。そして、彼女を確りと輝かせているのが、大西信満の振り幅の大きな包容力溢れる演技と、田中泯の背中で語る圧倒的な存在感である。

終盤、月夜のシーンを境に物語は急展開する。自然に、他者に、生活に、人生に、悩む人間は、何を見るのか。静謐で重厚なカメラが35mmフィルムに焼き付けた“一つの真実”を刮目して御覧あれ。
『祖谷物語―おくのひと―』……観る者に素晴らしく充実した169分を約束してくれる、執念が生み出した傑作である。

『祖谷物語―おくのひと―』公式サイト:http://iyamonogatari.jp

 取材:高橋アツシ

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