それでも尚、言えるのか?『戦争と一人の女』舞台挨拶@シネマスコーレvol.2


それでも尚、言えるのか?
--『戦争と一人の女』舞台挨拶@名古屋シネマスコーレvol.2--

2013年5月3日、憲法記念日。
シネマスコーレ『戦争と一人の女』10:40の回上映後、井上淳一監督は舞台挨拶に登壇した。この回で、井上監督のシネマスコーレでの舞台挨拶は実に5度を数える。

この日は時間の制約が厳しいとのことで、ほぼ井上監督の独り語りとなった。その為か、図らずも『戦争と一人の女』の解説の決定版と呼べる内容と感じたので、異例ではあるものの舞台挨拶レポート“vol.2”を書きたいと思った。
以下、井上監督の言葉を再現する。
文脈として意味が 取り辛い部分は補筆した箇所もあるが、ほぼ井上淳一監督の“ナマの声”である。

今日はゴールデンウィーク中にも係わらず、不埒で不謹慎な映画に来ていただきありがとうございます。時間厳守と言われておりますので、いつもは質問形式でやらせていただくんですが、僕ひとりで話させていただきます。
こう言う映画がこの時代にどうして出来たかと言いますと…
今ここにクレジットされました企画・統括プロデューサー寺脇研と言う…映画評論家と二足の草鞋を履いてた“ミスターゆとり教育”と言われた官僚が、詰め腹を切らされて首級になって映画評論家オンリーになった時なんか映画がつくりたい、と。この人は文科省の役人 だった頃からピンク映画を偏愛しておりまして、「ピンク映画がつくりたいんだ」と。ただ、「自分がつくるからにはただのピンク映画は嫌で、戦争ものを、戦時中のピンク映画をつくりたい」と、そう言う呼び掛けから始まった作品です…史上最低予算の。

彼が言うには、ベトナム戦争ものやイラク戦争ものなんかを観ると、戦争から帰還した兵隊たちが心を病んで…PTSDと言われる…日常生活に溶け込めないと言った映画が沢山あるんですけど、きっと太平洋戦争の時も、PTSDって言葉は無かったけどそう言う人はいっぱい居ただろう、と…日中戦争から数えれば、15年も戦争をやってるんで、例えば普通の八百屋の親仁さんみたいな人が中国で女の人を犯してきたりして戻ってきて、その日 常の中でどう言う夫婦生活を送っていたんだろう…そう言う話をやりたい、と。それだったらまぁ四畳半一間で出来るんじゃないかと言われまして。僕が監督をやることになりまして、男と女のメンタリティが僕は解らなかったので、とにかく戦争文学を読み漁ってたんですよ。そしたら、坂口安吾のこの『戦争と一人の女』と言う原作に出会いました。坂口安吾は、なんと敗戦の年の11月に『戦争と一人の女』と言う短編を書いてるんです。

自分のような売れない作家と飲み屋の女が、色々不満はあるんだけど「どうせ戦争で死ぬんだからいいじゃないか」と関係を続けてたら、ある日戦争が終わっちゃいましたって言う話なんですよ。多作な安吾でもこう言うことをやったのはこの作品だけなんですけど、翌年『続戦争と一人の女』と言う作品を書いてるんです。普通、『続』だったら、物語が終わったとこから始まるものなのに、なんと最初のやつとまったく同じ時間軸で、今度は“女”目線で一人称で書いたんですよ。

ここで初めて、映画で出てくる『私戦争が好き』『全部燃えたら、すべてが平等になるから』って台詞が出てきまして。ただ、当時日本は占領されてたんでGHQの検閲に遭いまして、そう言う部分を全部削除されてるんですよ。あまりにも削除されすぎて、安吾の中ではあまり良い作品と思われてなかったくらいで。それが、無削除版が出たこともあって、これだったら僕たちが知ってるようなここ30年くらいの戦争映 画の女の人じゃないって。夫や恋人や子供が戦地に行ってて「欲しがりません、勝つまでは」じゃないけど…なんか耐え忍ぶだけの、そう言う人じゃない。戦時中、爆弾を落とされようが何しようが、食欲はあるし性欲はあるに決まってる、と。そう言う視点から何か描けないか、と。

それと、今日は憲法記念日ですが…これをつくった時は自民党がこんなに圧勝して憲法が変わるかもなんて思ってなかったんですけど…。過去はただ過去のためにあるわけじゃなくて現在のことに如何フィードバックさせるかと言うことで、僕は凄く戦争と言うことに拘ってきたんです。そう言うことがありまして、この話が出来ました。脚本オリジナルの殺人犯“大平”を入れたこ とによって、坂口安吾ファンからは『原作レイプのレイプ映画』と揶揄されているんですが、特に女性の方からは「何故あそこまで執拗なレイプシーンを描く必要があるんだろうか」といつも言われることなんで、短い時間ですがそれだけは語らせていただきます。

何年か前にフリーターの赤木智弘さんと言う方が『希望は、戦争。』と言う評論集を出して、その中で彼はこう言ったんですよ。「格差社会の底辺に生きる我々若者にとって、唯一の希望は戦争である」、と。戦争が起こったら、すべからく平等になる、と。“女”と同じことをいっていた。ただそれを聞いた時、僕は強烈な違和感があって…「だって、戦争って人死ぬじゃん」と。

広島の原爆で30万死にました、東京大空襲で10万死にました、最近ではシリアの内戦で10万近く…。ただそんな68年前とか、遠いアラブの戦争じゃなくたって、3.11で津波に流された人2万弱…。要するに、どうも数字でしかそう言うことを判断しない、判断するって言うか、数字で捉える。でもちょっとだけ想像力を働かせると、そこで死ぬ人たちはみんな我々と同じ、親もいて子供もいて兄弟もいて、夢もあって絶望もあって、喜びも悲しみもあって、普通に飯食っててそこにボーンと爆弾が落ちてきて死んじゃうんだ、と。そう言うことの個々の具体性を描かないと、と思ったんです。そんな人たちがそう言う死に方をしてるのを知って、それでも尚「燃えろ、燃えろ」と言えるのか、と。それが、 最低限創り手としての礼儀であると。史上最低予算の戦争映画なんで、戦闘シーンは描けない。空襲で燃える人も描けない。

それならば何をやろうかと言う時に、大平にレイプされる女の人たちは、戦争の一次被害者ではないですけれど、戦争で壊れた人によってレイプされ殺されると言う、二次被害者。この二次被害を、レイプされ首を絞められて殺されるのはこんなにも無残で、無慈悲で、残酷なんだと言うことを、しっかりそれだけはやろうと思って。決して、過激に煽った訳でもありません。ここ最近の日本映画って、上辺だけは面白いけど、本来ならそこに下を流れる作家の怒りだったり情念だったり現実への異議申し立てだったり、そう言うものが欠けて ると僕は思ってたんで、そう言うものを観ていただけると嬉しいです。

如何だったであろう。
井上淳一監督は、この後14:45の上映後にシネマスコーレでは6回目の舞台挨拶を行った。

井上監督の言う
怒りとは?
情念とは?
現実への異議申し立てとは?

ご自身の目で、是非とも確かめてみて欲しい。すべての答えは、きっちりと映像に焼かれている。私たち大人は、銀幕に映し出される口当たりの好くない過去を咀嚼し、伝えねばならない。
今はまだこの映画を観る事が出来ない、子供たちに。

2013年5月3日@名古屋シネマスコーレ 取材:高橋アツシ

『戦争と一人の女』
キャスト:江口のりこ 永瀬正敏 村上 淳 柄本 明 監督:井上淳一
(c)戦争と一人の女製作運動体  テアトル新宿他全国順次公開

記事が気に入ったらいいね !
最新情報をお届け!

最新情報をTwitter で