俺もお前も人生了わってんだよ『ヒメアノ~ル』(R15+)レビュー


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古谷実は、不思議な漫画家だ。
活動期間を経る内にデビュー当時と比べて絵のタッチが変わるのはよくあるケースと言えるが、彼のようにある時期を境に作風をガラッと変えてしまう漫画家はレアである。
デビュー作『行け!稲中卓球部』が一世を風靡した古谷実のことは、凄まじいセンスに溢れた“ギャグメーカー”として認知した。事実、『僕といっしょ』『グリーンヒル』と『稲中卓球部』に続く作品は、キャラ造形が徐々にリアル路線に変化し、独特の心理描写が作品の根幹を成す展開になってはいたが、飽くまでギャグ漫画の体裁を逸脱するものではなかった。
だから、『ヒミズ』を読んだ時は、呆気に取られた。古谷実最大の武器(だと、勝手に思い込んでいた)ギャグは一コマも表出せず、コメディを匂わせる展開は一切封印された陰鬱なストーリーであったからだ。『ヒミズ』の連載が始まったばかりの数週間は、笑う要素が皆無なネームも、前作から一気に暗くなった絵柄も、これこそがギャグなのではないかと疑っていたほどだ(実は、今でも心の片隅でその疑念を晴らせずにいる)。
救済のない人物像、容赦のない舞台設定、そして、“ジブン”と向き合うと必ず起こる絶対的破綻――『ヒミズ』以降の古谷実は、シリアスでダークな漫画を描く陰鬱なストーリーテラーとなった。

そんな暗澹たる世界観を踏襲したシリアスな物語である『ヒメアノ~ル』を原作とした実写映画が、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013年/119分)『麦子さんと』(2013年/95分)『銀の匙 Silver Spoon』(2014年/111分)の吉田恵輔監督によって完成した。(注:吉田監督の“吉”は、正式には“土吉(つちよし)”を使用)

『ヒメアノ~ル』ストーリー:
岡田(濱田岳)は、清掃会社で働くパートタイマー。都会のボロアパートに独り暮らし、彼女なし。将来の展望は皆無に等しく、碌な趣味も持っていない。何気なく発した言葉を聞いて、自分よりも更に社会の底辺にいると見做していた先輩社員を少し見直す。
「俺と、同じ苗字……」
安藤(ムロツヨシ)は、恋をしている。“運命の人”の働く姿を眺めるうち、彼女の悩みを察知する。面が割れていることを言い訳にして想い人の調査を他人に依頼してしまう辺り、リア充への道程は遥か遠いと言わざるを得ない。
「君の代わりに怒られたんだから、それくらいのことしてくれても良いだろう」
ユカ(佐津川愛美)は、オープンカフェで働いている。一ヶ月前ある男が客として現れてから、身辺で妙なことが起こり始める。自宅の近くで男を見掛け、疑念が真実であることを知ったユカは戦慄する。
「じゃあ……バレなければ、問題ないってことですよね」
森田(森田剛)は、定職にも就かず毎日を無為に過ごしている。高校時代に酷いいじめを受けたことがあり、自身と同じくターゲットになっていた同級生からの施しで、どうにか糊口を凌いでいる。
「何も持ってない奴が、今さら底辺から抜け出すことなんか無いんだぜ」

6作目の連載漫画『ヒメアノ~ル』は、『ヒミズ』のギャグを廃したダークな作品世界から、『シガテラ』『わにとかげぎす』と経て徐々に“サスペンス・コメディ”(もしくは、“ユーモア・スリラー”)へと変遷する古谷実の作家性を踏襲し、陰鬱な世界観の中にもコミカルな日常が描かれていた。
実写版『ヒメアノ~ル』(敢えて、こう言う表現を用いるが)は、こうした原作の雰囲気を見事に映像化している。観客は、コミカルな台詞や軽快な会話劇に浸りつつ、心の何処かで“本当に笑って良いのか戸惑う”奇妙な心理を味わうことになる。
人気コミックの実写化となれば、原作ファンからの批判は避けられない。益して、劇場公開作品ならば、時間の制約等で物語の改変は免れないところであるから、どうしたってネガティブな意見に塗れることになる。
今作品も例に違わず、原作から変更されている箇所がある。ネタバレに直結することになるので言及は自重するが、物語のコアとも言える重要なエッセンスである。
だが、鑑賞し了えたファンからの酷評は、『ヒメアノ~ル』に限っては少ないと思っている。吉田監督の脚本は、古谷実の漫画を原作にしながら、凄まじい力を持った映像作品を生み出した。何とも憐れで、何とも可愛らしく、何とも滑稽で、何とも残忍な、傑作映画に昇華させたのだ。
『ばしゃ馬さんとビッグマウス』、『麦子さんと』、そして『銀の匙 Silver Spoon』――ハートフルな作品を立て続けに発表してきた吉田監督だが、遂に本領を発揮してしまった。映像化不可能と謳われていた原作の過激な表現は、想像の遥か上を行くR15+作品となった。吉田監督に、“安住の地”は似合わないのかも知れない。

IMG_20160429_164734出演者も、吉田監督の妥協なき演出に全力で応える。
濱田岳は、冴えない青年として見事な燻ぶりっぷりを見せる。岡田が“普通”でないと『ヒメアノ~ル』は物語が安定しない、観客の道標とも言うべき難役である。
ムロツヨシは、天才ぶりを如何なく発揮する。映る度に堪らない悲哀が画面を覆い、否応なく笑わされてしまう。しかも、今作品では“泣かせる演技”も見せるのだ。
佐津川愛美は、文句なしの可憐さで観る者を捉えて放さない。そもそもユカが可愛くないと物語が成立しないので、堂々たるヒロインぶりは賞賛に値する。
森田剛は、今作で新境地を切り拓いた。舞台で覗かせる狂気をスクリーンでも存分に披露し、しかも今までにない狂いぶりは“深淵の狂気”とでも表現したいほどの怪演だ。口幅ったい話ではあるが、怪演と言えばどうしても思い出してしまうのが、『十三人の刺客』(監督:三池崇史/2010年/141分)で松平斉韶を演じた稲垣吾郎。そんな先輩に負けず劣らずの怪演を、森田は森田役で見せるのだ。単なる事務所の先輩・後輩つながり……と高を括っていると、森田の行動に符牒めいた点があることに思い当たり、戦慄が走った。単なる偶然だろうが、気になった方は“犠牲者”の数に気を配ってみて頂きたい。
そして、『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(監督:入江悠/2010年/96分)の駒木根隆介・山田真歩が、『アフロ田中』(監督:松居大悟/2012年/114分)以来のコンビ出演で、ダークな作品世界を決定付ける圧倒的な存在感を放っている。
また、土居志央梨の熱演をお観逃しなく。彼女の体を張った演技がなければ、映画『ヒメアノ~ル』が纏う“禍々しさ”、“邪悪さ”は半減していたことだろう。

哀しくも愛おしい“日常”、残酷で無慈悲な“非日常”――交じり合うことはないはずだった二つの平行世界が接する時、狂喜の饗宴が幕を開ける。
それは、堪らなく残虐で、堪らなく憐れで……堪らなく、美しい。そして、一陣の救済が降り注ぐのだ。
5月28日より全国ロードショーが始まる、映画『ヒメアノ~ル』。期待に恐怖して、不安に歓喜して――震えて、待て。

文 高橋アツシ

『ヒメアノ~ル』R15+
2016年5月28日(土) TOHOシネマズ 新宿、TOHOシネマズ 名古屋ベイシティ、センチュリーシネマ、他全国公開
配給:日活
©2016「ヒメアノ~ル」製作委員会
http://www.himeanole-movie.com/

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