詩篇を繋ぐ蜃気楼の星座 『蜃気楼の舟』鑑賞記


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「7年ぶりに、名古屋シネマテークに戻ってきました」
2016年3月26日、新作『蜃気楼の舟』(2015年/99分)初日舞台挨拶に立った竹馬靖具監督は、感慨深げにこう言った。7年前自ら監督・主演を務めた『今、僕は』(2009年/87分)上映で立ったスクリーン前に、今回は『蜃気楼の舟』主演・小水たいがと共に登壇した。

竹馬監督 『蜃気楼の舟』の脚本は、2011年の震災の直ぐ後から書き出しまして、半年で書きあがりました。実は原型となる『嘔吐』と言う脚本を書いていたんです……同じように、囲い屋の話でした。中盤までは一緒だったんですけど、作る気になれなくて脚本は寝かせてたんです。震災があった後、もう一度引き出しから引っ張り出して、今作の脚本になりました。撮影は1年掛かりで、編集は半年掛けました。ちょうど1年くらい前に完成しまして、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で世界初上映されました。囲い屋は、自分を含めた現代を生きる感覚って言うものを表してると思ったんです。冷たさだったり、感覚が劣化していく感じとか。囲い屋は酷い悪徳ビジネスですが、自分もそう掛け離れた感覚ではないんじゃないかと……自分にもああ言う感覚が、無意識のうちに育ってるんじゃないか、と。それと同時に、何か欠落して、悪化していってるものがあるんじゃないかと……何と言うか、人間が持つ大事なものが失くなっていくような。『嘔吐』は展開も主人公に感情移入できる物語だったんですが、それが強すぎたので、『蜃気楼の舟』は全く逆の方向にしたんです。

『蜃気楼の舟』Story:
男(小水たいが)は、囲い屋で働いている。街でホームレスを拾い、劣悪な環境に監禁同然で押し込めては生活保護費をピンハネする。囲われたホームレスの死も、珍しい事ではない。
ある日、男はいつものように訪れた雑踏の中に自らの父(田中泯)を発見する。父に捨てられた男と妻子を捨てた父親は、囲い屋とホームレスになって再会した。
男はいつも現実と異世界を揺蕩っていた。樹海を彷徨う人の列、岸辺で佇む人々、水面に足首まで浸かる男――。父と出会ったことで、男は父と二人で異世界を徘徊することになる。訪れた廃墟で待っていたものとは。そして、父を呼ぶ“舟”とは――。

――たいがさんは、どの辺りからキャスティングとして考えられていたんですか?

竹馬監督 脚本を書いてから、リサーチをし始めたんです。色々観た中で、河瀬直美監督の『朱花の月』(2011年/91分)にたいが君が出てて、凄く良いなと思ったんです。
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小水 僕は特に演者としての活動をしてない状況の中、兄(こみずこうた)のトークイベントの時に「おたくの弟と仕事がしたいんだけど」と兄の所に訪ねてきたそうで……なかなか変わった人もいるもんだな、と(笑)。僕個人としては、脚本を読んで(主人公の男が)感情が欠落した人間って印象は無かったんですね。麻痺している、磨耗しているような……極端に鈍い人間と感じたんです。対岸の火事じゃないですが、何事もリアリティを感じられないと言った感じで……僕も興味ないニュースを聞いても殆んど聴いてないですが、全方位聞いてないのが“男”だと思ったんです。「これは、演りたいな」って、脚本を読んでみて素直に思いましたね。

――感情を表に出さないキャラクターを演じるのは、苦労もあったのでは?

小水 そうですね……ストレスも感じてました(笑)。撮影自体は丸々1年あったんですが、月に1~2日とか3~4日くらい撮ったらまた次の月まで一回解散してって言う繰り返しだったので、決め打ちと言うか最初に自分の中で構築していかないと、1年後には全く違ったものになって繋がらないかも……と、自分なりに考えてました。竹馬監督は僕に限らず、「感情って言うものを一切出してくれるな」と、言ってみれば風景画の1パーツくらいの扱いを受ける感じが多かったです。「それだったら、頑張りようがないじゃないか」って思ったりもしてたんですけど(笑)……僕は元々スタッフ出身で撮影の期間中も『クローズ』の大道具を手伝ったりしてたんですが、その時美術デザイナーさんに「美術部って言うのは、最初に画を考える」と言われたんです。その後、竹馬さんと話してて、普段言わない人が「100人が観たら、全く違ったことを思うような人を演ってほしい」って言われたんです。その時、僕は力を入れる方向が何となく見えたんです。
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竹馬監督 その時のことは憶えてますね。凄くフラストレーションを溜めてて、だからと言って良い演技が出来てなかったかと言うとそうではなかったんですが……基本的な演技にしたくなかったんですね、悲しい時に泣くとか単純にしたくなくて。複雑さ、グラデーションを見せる時、「棒読みにしろ」とは言わないですが……言ったかも知れないな……

小水 ……だいぶ言ってた(場内大笑)。「今、感情入った!」って(笑)。

竹馬監督 台詞もちょっと日常会話的に落としていくんじゃなくて、素材が持つオリジナルな要素として……ちょっと抽象的になっちゃいますね(笑)。物語も、画も、人物も、意味が徐々に消えていき、感覚の中で繋いでいくものを映画として作りたかったんですよね。そこに“豊かさ”や“可能性”があるんじゃないかと。

――音に拘りを感じました。録音に何か工夫をされたんですか?

竹馬監督 録音もそうですし、整音もですね。音の強弱に凄く時間を掛けました。無い音を足したりもして。画面の奥行きを出すための音作りを意識しました。あと、ちょっと変わったことをしてるんです。3チャンネルで音をだしていて、音楽を除いて全部真ん中から音が出てるんです。ステレオがあまりこの映画には合わないと気付いて、台詞も含めた全ての音は音楽以外はモノラルなんです。

言葉が、音が、映像が、姿を表しては消えていく。その意味を考えているうちに、また新たな“素材”が提示される。
『蜃気楼の舟』とは“水溜り”なのか“湖”なのか“海”なのか……全貌も分からぬままに戸惑っていると、そうして作品世界に漂っている自分自身が『蜃気楼の舟』の“要素”の一つであることに気付く。
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竹馬監督 作り手としての解釈はもちろんありますが、感想は色々あっていいと思います。1年後には僕自身違ってるかも知れないですし(笑)。「ここから始めるしかない」って感情に近いんじゃないですか?それは映画の中のことだけじゃなくて、今置かれてる人間の状況なり社会の枠組みなり色んなことがあると思うんですけど……僕が詰めたのは、そんなことです。『蜃気楼の舟』は、散文とか小説ではないんですね。どちらかと言うと、詩に近いかと。文章ではなく、言葉をイメージの中で繋げることをやりたかったんです。この映画でしたかったのは、“何かが解決する”とかじゃなく、何か深いところに届く、降りていくって言うことです。そこまで届く、降りていくのは観てくださったお客様しか出来ないと思ったんです。

そう、“素材”を紡いで“要素”を繋ぐことが出来るのは、『蜃気楼の舟』の一部となった観客だけなのだ。
作品世界の1ピースになる――『蜃気楼の舟』は、観者を稀有な鑑賞体験に誘う、唯一無二の映画である。

取材 高橋アツシ

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