今撮る意味、今観る価値『緑はよみがえる』レビュー


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先日、ずっと観そびれたままだった『木靴の樹』(1978年/187分)を観た。
北イタリアの農村ベルガモの日常を、役者でなく本職の農夫をキャスティングし、自然光のみで撮影されたフィルム映像は、19世紀末のドキュメンタリーではないかと観紛うほどの圧倒的な3時間であった。第31回カンヌ国際映画祭パルムドールは軽々しい看板ではないのだと、改めて痛感させられた。
約26年ぶりに蘇った『木靴の樹』は、今まさに全国でリバイバル上映中だ。

『木靴の樹』では、その余りに切ない展開に、半ば茫然自失で劇場を出る破目になった。物語を反芻できるようになるまでにほぼ丸一日を要するほど、脳内消化に時間が掛かった。
『落穂拾い』『晩鐘』と言ったミレーの絵画を地で行く小作農の日常、箒木の並木畦道を無機質に歩く人の群れ、二時間掛けて通う学校の様子を嬉々として話す子と囲む暖炉端――改めて思い返すと、撮影された1978年もリアルタイムを写した物語ではないと言うのに、現在では撮ることが出来ない凄まじく贅沢な映像の洪水を3時間浴び続けていたと言う事実に嘆息する。
観逃してしまっていたことをずっと心の底で後悔していた作品であった『木靴の樹』だが、今、この年齢となって巡り会えたことに意味があるのだろう。
映画と言うのは、そう言うものだ。

“今、観ることに価値がある”作品があるならば、“今、撮ることに意味がある”作品もまた存在する。
映画と言うのは、そう言うものだ。

『木靴の樹』のエルマンノ・オルミ監督の最新作『緑はよみがえる』が、間もなく公開となる。
第一次世界大戦に従軍したオルミ監督の実父に捧げられた特別な作品『緑はよみがえる』は、第一次世界大戦の開戦100年にあたる2014年11月4日にイタリア大統領ナポリターノ(当時)出席のもとローマで完成披露試写会が行われたと言う。
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『緑はよみがえる』ストーリー:
1917年冬、北イタリア・アジアーゴ高原ではイタリア軍とオーストリア軍が戦闘を続けていた。アルプスの豪雪地帯にイタリア軍の師団は4mを越す積雪の下に塹壕を掘り、辛うじてオーストリア軍の砲撃を防いでいる。歌声が耳に届くほどの距離に身を潜めている敵軍に怯えながら、狭い壕内では10人以上の将兵が闘いが終わるのを待ち焦がれている。恐怖と飢えと寒さで折れそうになる精神は、故郷から届く手紙だけが支えになっている。
ある日、司令部からの命令を携えた少佐と尉官が前線に到着する。無謀な指令に指揮官は反対するが、命令は覆されない。任務に選ばれた兵卒は、案の定オーストリア軍の狙撃兵の的となってしまう。
「カラマツは美しい。秋になって他の樹々が錆色になっても、カラマツだけは黄金色に光り輝く」斥候兵の呟きが、敵軍からの集中砲火の前で、火の粉と共に虚しく真冬の夜空に溶けていく――。

モノクロームかと思うほど色調が極端に抑えられた、冬のイタリア・アルプス。そこに浮かび上がるのは、真っ白な稜線に架かる月、月灯りに広がる一面の銀世界、降り積む雪を受けとめるモミの樹々、森に集うウサギやキツネ、そして、怯えきった兵士たちである。抑制された銀幕が色を帯びる時、大自然の美しい景色が溜息が漏れるほどの美しさで浮かび上がり、人間の目を背けたくなるほどの愚かさが否応無く黙示させられる。
リアリティ溢れた短いエピソードを丁寧に積み重ねていく手法は『木靴の樹』と同じように作品に息衝いており、未だ衰えぬオルミ監督独特のリズムを『緑はよみがえる』でも存分に堪能できる。オルミ監督の映画は、いつも“詩人エルマンノ・オルミ”のアンソロジーを違った場所で読むような感想を覚える――『木靴の樹』は北イタリアの農村で、『緑はよみがえる』は厳冬のイタリア・アルプスで――。
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『ポー川の光』(2007年/94分)『楽園からの旅人』(2011年/87分)に引き続き、エリザベッタ・オルミがプロデューサーとして、ファビオ・オルミが撮影監督として、オルミ監督の実子が作品に携わっていることにも注目したい。幼い頃に父が涙ながらに聞かせた大戦の記憶を、今度はエルマンノ・オルミ監督が子供たちに継承していくのだ。
そして、そんな記憶の、魂の継承を、観る者はスクリーンを介して追体験するのである。
映画と言うのは、そう言うものだ。

文 高橋アツシ

『緑はよみがえる』
2016年4月23日(土)より岩波ホール他全国順次公開
中部地区:4月30日(土)より名演小劇場にて公開
◆配給:チャイルド・フィルム/ムヴィオラ
◆公式サイト:http://www.moviola.jp/midori/

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