現実と夢の狭間、揺れる親子の絆『ファーザー』レビュー



アンソニー・ホプキンスが、認知症を患う父親を演じ『羊たちの沈黙』(91)以来二度目となる米アカデミー賞主演男優賞に輝いた『ファーザー』(20)が5月14日より公開される。
新型コロナウイルスの影響で先日規模を縮小して開催された「第93回アカデミー賞」では作品賞、主演男優賞、助演女優賞など計6部門にノミネート。ホプキンスの主演男優賞に加え脚色賞を受賞した。
2012年に監督のフロリアン・ゼレールが発表した戯曲『Le Pere 父』を基にしておりゼレール自身が本作の監督を務めた。

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は認知症により記憶が薄れているが娘のアン(オリヴィア・コールマン)が手配した介護人を拒否しトラブルを立て続けに引き起こしていた。父を心配しながらも、アンは恋人とパリで暮らすため、ロンドンを離れるとアンソニーに切り出す。
だが、ある日アンソニーの自宅に見知らぬ男がおり、自分とアンは結婚して10年以上になり、さらにここは自分とアンの自宅だと言う。戸惑うアンソニーの前に帰宅したアンが現れるが、それはいつも見慣れたアンとは違う人物だった。混乱するアンソニーにアンは新しい介護人を紹介する。ローラと名乗るその女性(イモージェン・プーツ)には、アンソニーが溺愛していたアンの妹、次女ルーシーの面影があった。ルーシーは長い間会いに来ないがその理由も、居場所すら分からない。現実と虚構の間で揺れるアンソニーだがその二つの間の壁はさらに曖昧になってゆく。

本作が傑作であるのは間違いないが「感動作」と評されるのは違和感を感じる。自分も含め、観客が期待している感動作のストーリーとは、おそらく少し違うからだ。それは娘のアンではなく父のアンソニーの視点で物語が進んでいく点によることが大きい。真実だと思っていることが繰り返しひっくり返る混乱と恐怖、時間や空間の概念を次第に把握できなくなり、翻弄され、その場しのぎの水面を漂う木の葉のような寄る辺のない日々。
似たような物語は今までいくつも見てきたが、アンソニーの立場で見たことがあっただろうかと、頭を殴られたような気持ちになった。はたから見れば認知症の父に振り回されながら尽くす娘の心暖まるヒューマンストーリーも、アンソニーの立場になれば、謎に満ちた不穏なミステリーになってしまう。本作は勝手に楽な立場で見ようとする観客の首根っこを掴み「いつか自分も」という当事者としての現実を突きつけてくるのだ。
現実を目の前にして湧き上がるのは絶望や不安といったネガティブな感情だけではなく、自分の寝る場所の記憶すら取り払われ、頼るべき娘の顔すらあやふやとなった人間の、それでも生きていかねばならない圧倒的な孤独、ただ人としての生を生きるしかない宿命に対する畏敬の念だ。

薄れゆく記憶の中必死に真実を見据えようとする父アンソニーをイギリスの名優、現在83歳のアンソニー・ホプキンスが圧巻の名演で演じきった。父を案ずる娘アン役は『女王陛下のお気に入り』(18)で「第91回アカデミー賞主演女優賞」を受賞したオリヴィア・コールマン。『危険な関係』(88)の脚本家クリストファー・ハンプトンとフロリアン・ゼレール監督が共同脚本を手がけている。

文 小林サク

『ファーザー』
© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020
配給:ショウゲート
5月14日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー

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