今、映画に出来ること『うつくしいひと』鑑賞記
2016年6月18日(土)夜、ピカデリー(名古屋市 中村区)は長蛇の列で大混雑していた。
この夜、4月に発生した大地震からの熊本の復興を願い、【熊本支援『うつくしいひと』名古屋チャリティ上映会】が開催されたのだ。
「ピカデリーは、これが最後のイベントなのかな……と。映画に恩返しが出来たような、そんな気もします」
本日のメインMCであり、上映会に並々ならぬ力を注いだ映画パーソナリティ・松岡ひとみは、そう言った。
【ミッドランドシネマ2】オープン(7月15日)に伴い、ピカデリーは6月30日で閉館することが決まっている。
『うつくしいひと』(2016年/40分)ストーリー:
喫茶店が併設された書店でアルバイトしている透子(橋本愛)は、ある日ひとりの男性(姜尚中)を接客する。黒づくめの中年紳士は、書籍を求め、ホイットマンの詩の一節を残して本屋を去る。
母・鈴子(石田えり)の後をつけていた男がいることを友人・田上(米村亮太郎)から聞いた透子は、アルバイトの帰りに鈴子の職場である華道の稽古道場に立ち寄り、怪しい男性を目撃する。
その夜、不安な気持ちを母に言い出せない透子は、鈴子に鼈甲の櫛の思い出話を聞く。櫛を贈ってくれた父のこと、そして、高校時代に父とその親友と3人で撮った映画があったこと。完成しなかったその映画は、ラブストーリーであった。
翌日、透子は旧知の私立探偵・玉屋末吉(高良健吾)に、一緒に母の護衛をしてくれないか依頼する。だが、いつもは暇を持て余しているはずの玉屋は、珍しく重要案件を抱えていたのだった――。
「……さっきと違うお客様ですよね?」
上映後、熊本県出身の行定勲監督は、笑顔で観客席を見上げた。行定監督が冗談交じりでそう語るように、第一部・第二部ともスクリーン2(定員221名)は満席だったのだ。
第二部のトークショーには、行定勲監督だけでなく、熊本に何度もボランティアで脚を運んでいる俳優の憲俊が登壇した。【名古屋おもてなし武将隊】で織田信長役を務めていた憲俊は、舞台『壬生浪士無頼伝』が間近に控えている。
行定勲監督 今回、チャリティ募金をするために、映画を携えて回っています。『うつくしいひと』は去年の10月に撮った映画で、本当はお金を取ってはいけなかった、全国で無料で観せて熊本の良さを知ってもらうために作られた映画だったんです。実は、3分の2は熊本県からの税金で作られているんですよ。完成して、熊本県内ではお披露目して、これから皆さん全国に……という時に、地震が起きたんです。その時、映画界の人たち、映画を興行する人たちから「この映画をチャリティにして観せたらどうですか?」という意見を沢山もらったんですね。僕たちの発案ではなく、全国の人たちから「そうやって、観てもらう時が今なんじゃないですか?」と。僕は思ったんです、熊本県民がこの映画を観てどう思うかなと。今観ていただいた映画の中の3分の2くらいの風景は、もう無いんですね。少なくとも、変わってしまっています……特に、熊本城。僕は、石垣に囲まれた、城壁に囲まれたお城が好きで、どこかで心の支えなっていたんですね。子供の頃から、「どのお城より、俺たちの城はカッコいいぜ!」って。
――監督は、熊本城を映し出された映画を観て、映画監督になりたかったとか?
行定監督 熊本城のことって、語れば思い出せることが一杯あるんですけれど、今熊本の人はそれが思い出せない状態なんですね。目の前の熊本城もそういう状態ではないですから。“前震”と呼ばれている4月14日の翌日の夕刊に悲惨な状況の熊本城がガンッと一面に出されて、僕らは衝撃を受けたんです。僕は前震の翌日に熊本に入って、“本震”に遭ったんです。実際に震度7を経験すると、やっぱり心が折れるものなんですよ。僕のホテルの窓からは、悲惨な状態の熊本城がずっと見えてるんです。本震の夜停電ですから真っ暗な中ロビーで過ごして、夜が明けると熊本城まで歩いて行ったんです……2度目の大きな地震だったから心配になって。そうしたら、もう石垣が全部路上に散乱してました。こんな経験は滅多に無いんですけど、この映画をどうすれば良いんだろう?って思ったんですね。そうしたら皆が、「今だからこそ、これは沢山観せるべきだ」と、背中を押してくれたんです。それで、今チャリティ募金活動を……こういう言葉も、映画が無いと中々堂々と言えないですよね。外側の方も、映画があったからこそこうして手伝ってもらえる……映画の力を、今教えてもらっています。そして、忙しい中集まっていただいているお客様に本当に感謝しております。この気持ちを熊本の人に、僕が届けなきゃいけないと思っています。今、熊本の人たちには、ちょっと見捨てられた感じがあるんですよ、正直。熊本に戻るたび一般の方たちにヒアリングをするんですが、一番印象に残った言葉は「東京は遠い所ね」です。僕は東京に住んでる身として、物凄く胸が張り裂けそうな想いでした。熊本は、7300億円という凄いお金を政府に付けてもらったんです。でも、4兆円ないと復興できません。一番大きいのは、村ごと全部無くそうとしている動きもあるんです。その人たちに『うつくしいひと』を観せるのは、本当に辛いだろうなと僕は思っていたんですけど……熊本県が一番行列を作って観てくれてるんですよ。あるお母さんからは「私が生きてる間には、もうこの熊本城は見れんと思いますけど、この映画を観ると思い出の熊本城に出会えるから良かったです。ありがとうございます」って言われました。『うつくしいひと』は去年の10月、この時にしか撮れない時期に、熊本の俳優を揃えて、熊本の情緒を外の人たちに見せたいと思って撮った映画でした。それとは違う感情でこの映画が観られてるのは、映画監督として中々できない経験をしたと思ってます。1週間、「カット!」「OK!」と瞬間を繋いで映画にしたら、永遠になってしまった……これは、思いもしなかったですね。
――『うつくしいいひと』は今後も全国でチャリティ上映会が続くんですが、もう次の作品を考えているんですよね?
行定監督 今ある風景が、いつまでもあるとは思わない方が良い……僕自身が本当にそれを感じたんですね。熊本も、昔からの風景を取り戻すのではなく、新しく作っていかなければならないんですよ。僕は先週、阿蘇大橋の崩落した場所に行きました。谷底に残っている落ちた橋を覗き込んで、今のこの状況を残しておくことが重要なんだと思ったんですね。探偵(高良健吾)が、普通の日常の中……日常とは、“被災した状況”ですが……そんな状況で、ある物を探す話のシナリオを書きました。なるべく早い段階で、高良健吾くんと(橋本)愛ちゃんは出ると思います。姜(尚中)さんは、出ません(笑)。
――え、なんでですか(笑)?憲俊さん、姜さん良かったですよね?
憲俊 済みません……今、自分のこと考えてました。僕は出していただけないのかな?って(笑)。
――出演者、熊本の方みたいですよ(笑)?
憲俊 僕は2泊3日、五福小学校に住んでましたので、ほぼもう熊本で出来てるんじゃないかな?と思ってるんですが(笑)。
行定監督 (笑)。姜さんはね……大変だったんですよ。姜さんって凄くスタイルが良くて、豊川悦司さんと同じような体型なんですよ。僕は熊本の後輩ですし、ずっと映画にオファーしようと思ってたので、夢が叶った状態だったんですね。凄く渋られるかと思ってたのが案外あっさりとOKされたんで、意外とやりたかったのかな?なんて思ってたんです。そうしたら撮影当日、「一昨日はじめて台本を開いてみたら……台詞が多いじゃない!」なんて言うんですよ(場内笑)!最初は本屋のシーンだったんですが、「ホイットマンの詩だよ」の語尾の“よ”が、どうしても上がるんです。それが、どうしても直らなくて……20テーク(場内大笑)!ある程度歳を取った熊本の人たちって、“肥後もっこす”っていうくらいですから非常に頑固なんですね。見栄を張って「そぎゃんこつで負けたらいかん」ってところがある……だから、僕は心配なところもあるんです。熊本に行くと、元気で頑張っちゃう方たちが沢山いて、外から来た人たちが手伝ってくれてるからって物凄く元気にやる人が一杯いるんですよ。でも、どこかでプツンと糸が切れやしないかと。僕とか姜さんは熊本のそういう気質を分かってるから、非常に心配でならないんですね。実際、外側の人間に対して良い顔はするんだけど、心の結びつきにまで中々入っていかない。何か一押しがあると、凄く結びつきが強くなるんですけどね。
憲俊 僕が熊本を訪ねた頃は震災の10日後だったんですけど、歓楽街の居酒屋はもう営業してたんです。「名古屋から来たんなら、俺と一緒に酒飲んでくれ!」って言われまして、20人の知らないおじさんと一気に仲良くなれた感じがあったので……今の話を聞くと、ちょっと寂しいですね(場内笑)。
行定監督 それは多分、名古屋から来てくれたっていうのと、仲の良い20人のおじさんに囲まれたっていうのが良かったんですよ。熊本は地震が起こって以降、一つになろうとしています。牽制し合ってないで、オール熊本になろうという気持ちになりつつあって。『うつくしいひと』を沢山の人たちが観てもらってるのも、「この風景は、我々の本質なんだよね」っていう気持ちを皆どこかで通じ合わせてるんじゃないかと思っています。
今後も『うつくしいひと』チャリティ上映会は、全国津々浦々で予定されている。
お近くの会場を見つけて、是非脚を運んでほしい。
そして、“映画が出来ること”の、強さを、大きさを、尊さを、是非感じてほしい。
取材 高橋アツシ