一人の園監督と、二人の大島監督『園子温という生きもの』鑑賞記
2016年5月22日午後、名古屋シネマテーク(名古屋市 千種区)の観客席は真夏日に届こうとする外気温と同様、異様な熱気を帯びていた。
それもそのはず、この日10:40~の上映回で、『ひそひそ星』の園子温監督が3度目の舞台挨拶に立ったのだ。
そして今、観客は2人目の登壇者を今か今かと待っていた。ドキュメンタリー映画『園子温という生きもの』の大島新監督である。
《よろしければ、こちらもどうぞ》
【『ひそひそ星』『園子温という生きもの』同時公開レビュー】
――今回、園子温監督を被写体として選ばれた訳ですが、特に感じられた園監督の魅力を教えていただけますか?(司会進行:名古屋シネマテーク平野勇治支配人)
大島新監督 表現することへの飽くなき欲望の強さといいますか……本当に、作ってないと、表現してないと生きていけない、生きることがイコール表現と映画の中でも言ってますけど、そこが一番の魅力じゃないかと思ってます。ドキュメンタリーということで形は違うんですけど、僕も物を人に伝えていくことをやっている人間の端くれとして、羨ましいなと、凄いなと思います。そんなことを観てくれた方に、若い人に伝えていけたらいいなと思って作りました。
――大島新監督の映画は以前『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』(2007年/102分)という作品を上映させていただきましたが、唐十郎さんと園監督との共通点はありましたか?
大島監督 僕のメインフィールドはテレビで、ずっと人物ドキュメンタリーを撮ってるんですけど、その経験の中でお二人をテレビでもやって映画にもしたんですね。やっぱり、“テレビのサイズをはみ出した表現者”って認識が凄く強くて。『情熱大陸』という番組で園さんもやらせて頂いたんですけど、スポンサーの意向もあって楽しく、美味しそうに飲むシーンは良いんですが、暴れたり、泥酔したりするシーンは使えないので(場内大笑)……そんな制約だけが理由じゃないんですが(笑)、ちょっと逸脱した表現者が好きでもあるので、今回園さんは映画として表現しました。
――撮影していく中で、新たな発見はありましたか?
大島監督 観てくださった方に、「園さんってシーンによって全然顔が違うね」って言われます。通っているうちに段々親しくなって距離も詰まってくるんですけど、園さんは本当に掴みどころのない人なんですよね。だから、毎回変に距離が変わって、仲良くなったかなと思ったら、また違ったり……ロケの度に色々な発見をしていく感じでした。メディアで言われているように“役者をしごく鬼監督”みたいな面も無くは無いと思うんですけど、実は穏やかなところも沢山あって優しい人でもありますし……クレイジーな表現者でもあるんですけど、【Chim↑Pom】のエリイちゃんが言ってたように非常に全うな人でもあります。相手が偉いからといってペコペコもしないし、自分より年下で力も無いからといって見下したりもしない、そういう凄くフラットな人付き合いをする人だと思います。
――園さん以外も……とりわけ奥様の神楽坂恵さんのシーンが凄く印象深かったです。
大島監督 僕も、凄く好きなシーンなんです。園さんのことを証言していただこうとセッティングしたインタビューだったんで、ああなるとは全然思ってもみなくて……カメラマンがカメラを切らなかったから成立してるんですけど、ある意味あそこが一番ドキュメンタリーらしいシーンになりました。神楽坂恵さんという女優であると同時に、園いづみさんという妻であって、その両方を行ったり来たりされてる。『ひそひそ星』の現場では女優なんですけど、あのインタビューの時は両方が居て複雑な気持ちで現場に立ってるというのを自分で思い出して、あんなに取り乱してるんですね。ある才能の持ち主とパートナーとなった人なんですが、神楽坂さんも特殊な感性を持たれた方だとは思っています。やっぱり園子温と一緒に暮らしてる訳ですから、その時点で相当凄いなという感じはしますね(場内笑)。僕も好きで撮りに行きはじめたんですけど、1年間やって終わる頃は「やっと終われる」ってちょっとホッとしたのを覚えています(笑)。
――ご夫妻のドキュメンタリーへの感想は、如何だったんですか?
大島監督 園さんは、最初本当に嫌だったみたいで(笑)、「素面では観てられない、片目で観てた。正視できない」って仰ってたくらいです。今の形の9割方くらいの段階で一回「こんな感じになってます」って観てもらったんですけど、そうしたらちょっともう「勘弁してほしい」って話になって……アトリエで話し合いの場が持たれたんですが、僕を見ないであっちの方を見て「あのシーンはさ……」とかブツブツブツブツ言ってまして(場内爆笑)。それで、「いや、大丈夫ですから」って話をして、宥めすかして、何となく有耶無耶にしたまま(場内笑)、最終ゴールを迎えたんです。完成してからは、「もうこれは大島さんのものだから、俺が言うのはおかしいから」って仰ってくれたんですけど、とにかく嫌だったみたいです。でも、暫く経って色々な人からの評判が聞こえてきて、この間久しぶりに会ったら「俺が嫌なところばっかり人は面白いって言うんだよな」って仰ってて……今やっと認めてくださったようです。ただ、今までの経験上、被写体が手放しで喜んでるものは、観客からするともうひとつパワーが無かったりすることも多くて……見せたくないものが多少写ってないと、表現として力が無いのかなと思っています。神楽坂さんは、割りと普通でしたね。むしろ、「もっと言ってやりたかった!」みたいな(場内大笑)。「この間も、変なことして」とか、そんなようなことも言ってまして、肝が据わってるなと思いました(笑)。
――皆様もご存知だと思いますけど、大島新監督は大島渚監督のご子息です。大島渚監督と園子温監督との相違点みたいなものはありましたか?
大島監督 元々は、ちょっと近いところがあるなと思ってたんです。そのことで園さんに興味を持ったってこともあるんですね。例えば、犯罪、セックスなんかを堂々と映画のテーマにしてたりとか、政治的な発言をすることも厭わないっていうところも、似てるなと思っていたんですけど……実際にお付き合いをしてみたら、全然キャラクターが違ったんです。園さんはアーティストというか、映画が中心にあって色んな表現をしてくることに関しては凄くて……芸術性は、園さんの方がかなり高いと思います。大島渚、父はもちろん映画の人ではあるんですけど、どっちかっていうと言論人としての要素の強い人だと、今思いますね。だから逆に映画界で目立ってた部分もあると思うんです。凄くロジカルな人で、それは園さんとは随分違うなと思います。あと、大島渚は、大きい企業でも出世できたようなタイプで……僕が言うのも何なんですが(笑)。園さんは、大きい企業で出世するとかありえない(場内笑)、絶対ないと思うんで……好い意味で言ってるんですけど、そういうところも違うと思います。
――園さんの故郷の豊川市のシーンもとても良かったんですけど、園さんと大島渚監督って、それぞれ家族に対する複雑な想いみたいなものを感じます。
大島監督 それは、あるかも知れないですね。園さんはお父さんに対する反発みたいなものが凄かったと聞いてます。実際、ご実家に行くととんでもない“地元の名士”みたいなお家で、蔵書も凄いんです。本当にインテリ家庭で育っちゃったはみ出し者みたいな感じがしました。お父様に認めてもらいたかった、でも、認めてもらえなかった……それを、凄いエネルギーにされてる感じはありました。大島渚も母への感情があったので、皆やっぱり親に対する反発を抱えながらやっていたのかなっていう気がします。
染谷将太、二階堂ふみ等の証言が“映画人・園子温”を浮かびあがらせ、神楽坂恵(園いづみ)へのインタビューが“人間・園子温”を穿ちだす。
そして、園子温自身の行動が“表現者・園子温”を浮き彫りにし、作品自体が“表現者・大島新”を饒舌に語る。
カメラが180°転回し、被写体だけでなく監督を写し取ってしまう――ドキュメンタリー映画にはそんな一瞬があり、観客はその一瞬を観たいがために劇場に足を運ぶ。それこそが、テレビのドキュメンタリー番組と劇場のドキュメンタリー映画との相違点、即ち監督の作家性である。
ドキュメンタリー映画『園子温という生きもの』――大島新監督の作家性が溢れたドキュメンタリー映画が、ただ今劇場公開中である。
取材 高橋アツシ