人生に沿う「ダバダバダ」『男と女』レビュー


%e3%82%b5%e3%83%96%ef%bc%93クロード・ルルーシュ監督といえば、映画ファンなら誰もが知る、フランス映画界の至宝である。
もしも、クロード・ルルーシュのことを知らない者がいるとしても、不朽の名作『男と女』を監督した人だと説明すれば、多くの人が認識してくれよう。
万が一、それでも分からないなら……最後の手段、歌ってみれば良い。「ダバダバダ ダバダバダ……」と、フランシス・レイ作曲『男と女』のスキャットを2小節も口ずさんだならば、それで解決だ。

名優なき名画あれど、名曲なき名画なし。さて、誰の言葉であったか――。

そんな不朽の名作にして、恋愛映画の金字塔である『男と女』が、デジタル・リマスター版として甦り、間もなく公開となる。

『男と女』ストーリー:
パリから200km離れたノルマンディ地方ドーヴィル、男の子に愛車のハンドルを握らせている男がいる。男の名は、ジャン=ルイ・デュロック(ジャン=ルイ・トランティニャン)。仕事柄、息子アントワーヌ(アントワーヌ・ジレ)を寄宿学校に通わせ、週末は足繁く面会に通っている。ジャン=ルイの仕事は、カーレーサー。しかも、目前に控えた自動車レースの最高峰モンテカルロ・ラリーで優勝候補と目されるフォード・ムスタングのドライバーを務める、押しも押されもせぬトップレーサーである。男が息子を寄宿学校に通わせるのは、多忙以外にもう一つ理由がある。ジャン=ルイは自分の事故が原因で妻ヴァレリー(ヴァレリー・ラグランジュ)を亡くしてしまった、シングル・ファザーなのだ。
パリ・モンマルトルで暮らす女は、映画のスクリプターとして忙しく働いている。女の名は、アンヌ・ゴーチェ(アヌーク・エーメ)。寄宿学校に通っている娘フランソワーズ(スアド・アミドゥ)に会える週末を、毎週楽しみにしている。女には、暗い過去がある。同じ職場でスタントマンとして働く夫ピエール(ピエール・バルー)が事故で命を落としてしまう瞬間を、その目で見てしまったのだ。以来、アンヌは独身を通している。
ある日曜日、アンヌはドーヴィルからパリへ向かう最終列車に乗り遅れてしまう。寄宿学校の女教師(シモーヌ・パリ)は機転を利かせ、車に便乗させてくれるよう、ジャン=ルイに依頼する。こうして、男と女は、出会った――。

今回の『男と女』デジタル・リマスター版では、1976年に公開された幻の短編作品『ランデヴー』(8分38秒)が併映されるのも観逃せない。早朝のパリを疾走する一台の自動車をワンカットで撮った傑作短編で、『男と女』と同時期に撮られたと言われる謎の多い作品である。
車を運転しているのはクロード・ルルーシュ監督本人とも、デュロック役のジャン=ルイ・トランティニャンとも、ジャン=ルイの伯父でF1レーサーのモーリス・トランティニャンとも言われている。ちなみに、ジャン=ルイは俳優の側らレーサーもやっているので、『ランデヴー』での卓越したドライヴィング・テクニック(実に!)のことを考えると、一流レーサーであるモーリスともども有力候補であると言えるのだが……ルルーシュ監督というのは如何であろう。確かに当時から一家言もつ相当のカーマニアだったことは周知の事実であるが、あのハンドル捌きは、愛好家以上のものを感じざるを得ない。
また、その独特のエンジン音から、使用車はフェラーリ(275GTB)だと言われていたが、ルルーシュ監督の愛車・ベンツ450SELが使われたとする説もあるのだ。なるほど、パリの石畳の舗装を滑るように疾る映像は、スポーツ・カーよりベンツのサスペンションに似つかわしい。しかし、だとしたら、あの“フェラーリ・サウンド”はアフレコということになる。となると、アパルトメントに囲まれた狭い路地や隧道を潜り抜ける時の篭もったエグゾースト・ノートや、飛びたつ鳩たちの羽音は、全てポスト・プロダクションでの“職人業”ということになるが……果たして。
何れにせよ、ルルーシュ監督が拘りをもって撮った作品であることは、間違いない。8分38秒という尺も、フィルム1本分であることを示している。
撮影時期からしても、内容からしても、“もう一つの『男と女』”ともいえるのが、『ランデヴー』なのである。

クロード・ルルーシュ監督といえば、新作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』(114分)が9月に公開されたばかりだ。名匠は未だ衰えることを知らず、愛の素晴らしさを描き続け、大いなる人間賛歌を奏で続けているのだ。

%e3%82%b5%e3%83%96%ef%bc%94『男と女』では、フロント・ガラスを叩く雨、海辺の街、逆巻く白波、濡れたミラー……明確な、水のイメージに溢れている。
撮影当時20代後半であったルルーシュ監督にとって、恋愛とは、Feu(火)ではなく、Eau(水)だったのだ。燃えるような想いで我が身も焦がすのではなく、知らぬ間に染み渡って溺れている自分に気付く、それがクロード・ルルーシュの恋愛観である。なるほど、炎を消したなら(消せるか如何かがそもそもの問題であるにせよ)何も残らないのが火であるが、水となるとそうは行かない。乾いたと思っていても、魂の奥底まで浸透しきっている――それが、水だ。

恋に溺れるアンヌとジャン=ルイであるが、もう一つの想いとの狭間で漂ってもいる。それは、二度と戻らない愛しい人との思い出であり、断ち切れぬ過去への妄執である。
そんな二人の気持ちに、カメラが寄り添う。手持ちならではの画面の揺れ、斬新なカメラ・ワーク、唐突にモノクロ・セピアとなる色彩、全ては、二人――男と女、揺れ、動き、移ろい、惑う、感情の機微を表現している。

一方、恋する熱情には、フランシス・レイの「ダバダバダ」が伴走する。
時には速く、時には深く、時には淡く、時には消え入るように。
そして、唐突に過去の呪縛が戻ってくる……ピエールが唄う『サンバ・サラヴァ』(曲・詞もピエール・バルー作)の、甘美で、残酷なこと!

余談ではあるが、日本では『セカンドバージン』というドラマがちょっとした話題となったことがあり、2011年には劇場版(監督:黒崎博/105分)も作られる人気だった。
この“セカンドバージン”なる概念自体にはアンチも多く、(特に男性の)嘲笑の的になった。だが、(ドラマ・映画の出来はともかく)人生のリスタートに伴う考え方を理解しない者は、恋愛劇に、そもそも恋愛それ自体に不向きであろう。
そして、取りも直さず、『男と女』で描かれる繊細な心の揺れ動きを、楽しめるとは言いがたかろう。

だが、『男と女』デジタル・リマスター版は、そんな方にこそお薦めしたいのだ。
恋愛映画が苦手な方、過去に観た『男と女』を理解できなかった方……あなたは人生を重ねるうち、感じ方が変化しているかも知れない。味覚が年齢とともに変遷を重ねるように、全ての感覚は変遷するものだ。
嫌いだと思っていたものが、いつの間にか好きになっていた――あなたが苦手だと思っていた、恋愛そのものではないか、まるで。
筆者は『男と女』を初観で好きになってしまったので、そんな“魂の変遷”を実感できる方が、心底羨ましく思う。

名画とは形を変えず、鑑賞者が作品に寄り添える人生を経るのを、ずっと待ち続けるものである。
いつでも、“そこ”に在り続ける――名画というのは、そういうものだ。

文 高橋アツシ

製作50周年記念 デジタル・リマスター版『男と女』
10月15日より、YEBISU GARDEN CINEMA、名演小劇場 他全国ロードショー
©1966 Les Films 13
『ランデヴー』デジタル・リマスター版
©1976 Les Films 13
配給:ドマ、ハピネット
製作50周年記念 デジタル・リマスター版 映画『男と女』公式サイト

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