アメリカン・フットボールは、19世紀後半にアメリカとカナダの大学で行われた対抗戦を起源とする、ラグビールールのフットボールから北米独自に進化を遂げた球技である。発祥地であるアメリカでは、「フットボール=アメリカン・フットボール」というほど人気が高く、スーパーボウル(Super Bowl ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)優勝決定戦)が行われる2月上旬の「スーパー・ボウル・サンデー」は事実上アメリカの祝日となっている。
そんな米国の国技・アメフトだが、日本での人気は高いとは言いがたい。筆者などは、かつてルールもろくに把握しておらず、1クォーター15分、計60分の試合時間のはずなのに何故ゲーム終了まで3時間も掛かるのか、と縁遠いスポーツとして傍観していた。
そんな時、ある友人がアメリカン・フットボールの解説をしてくれたのが、今でも心に残っている。曰く、「アメフトとは、陣地取りだ」と。なるほど、攻守を交替しながらボールを運ぶ様子をして「陣地取り」とは、中々言い得て妙だ。攻撃側には4回の攻撃機会が与えられ、ボールを奪われたり、規定の距離までボールを運べない(陣地を取れない)なら、攻撃権を相手チームに奪われることになる……ふむ、ルールが確立された陣地取りに他ならない。ボールが進んだ距離の計測は、知らずに観る分にはプレーを妨げる遅延行為としか写らないが、謂わばアメリカン・フットボールの真髄なのだ。
ボールを前に運ぶため、各チームは様々な戦術を駆使することになる。ランプレー(ボールを持って走る)、パスプレー(前方の選手にボールを投げる)、キックプレー(ボールを前方へ蹴る)……フィールドプレーヤー11人に対して1試合46人出場でき(リーグによっては上限無し!)、試合中何度でも途中交替できるアメフトでは、選手の役割が専業化していて、プレー毎に選手を総交替する場合すらある。走るスペシャリスト、投げるスペシャリスト、蹴るスペシャリスト、フィールドでは場面に応じたプロフェッショナル達が、高度なプレーで観客を魅了するのだ。
そんなプレーの専業化は、もちろん攻撃時だけに留まらない。守備側も、様々なプロ……タックルのスペシャリスト、パスカットのスペシャリスト、キックブロックのスペシャリスト達が、手薬煉を引いて迎え撃つ。

2006年9月25日、NFC南地区に所属するNFLチーム、ニューオーリンズ・セインツの本拠地ルイジアナ・スーパードームは、伝説のプレーに沸きあがった。攻撃側であるアトランタ・ファルコンズのパントキックを、セインツのラインバッカーがブロック。このプレーはタッチダウンでの先制点に繋がり、試合はセインツの劇的な勝利となった。
番号37を付けた選手は、名をスティーヴ・グリーソンといった。元々パント・ブロックが得意なラインバッカーであったが、この日のプレーにより、一介の名選手からヒーローとなった。
当時ニューオーリンズは、フロリダ半島からメキシコ湾岸の諸州を中心に米国南東部に甚大な被害をもたらしたカテゴリー5(シンプソン・スケール)の大型ハリケーン・カトリーナからの復興を急いでいる時期であった。市内は水没し、インフラの損傷も壊滅的で、市民は屋根の大半が吹き飛ばされたスーパードームを長らく仮設住宅としていた。
カトリーナの襲来は2005年8月29日であるから、最大の被災地であるニューオーリンズ市民は実に13ヶ月もの間、セインツの帰還を待ちわびていた。そう、2006年9月25日は、被災後初めてスーパードームでホームゲームが開催された記念すべき日だったのだ。スティーヴが英雄になったのも、宜なるかなと言わざるを得ない。

スティーヴ・グリーソンは、1977年ワシントン州スポケーン生まれ。学生時代からスター・ラインバッカーとして名を馳せ、2000〜08年までNFLのニューオーリンズ・セインツでプレーした。体格に恵まれた選手ではなかったものの、チームメイトから「カミカゼ」と称された度胸あふれるクレージーなプレイスタイルに、ニューオーリンズ市民は大いに魅了された。代表的なプレーがまさに2006年9月25日の「パント・ブロック」であり、後年モニュメントとなるほどのグレート・プレーとして、今も語り草になっている。
スティーヴにとってNFLを引退した2008年は、もう一つ人生のとびきりなビッグ・イベントがあった。ミシェル・ヴァリスコとの結婚である。「ザ・サウザン・マン(南部の男)」には珍しく旅好きで好奇心旺盛なスティーヴに、自由な精神の持ち主であるミシェルは理想の相手だった。知り合う前は「長髪のアメフト選手なんて」と思っていたというミシェルだが、スティーヴの人柄に触れるとすぐに認識を変えたそうだ。二人はまさに、「ツイン・ソウル(魂の半身)」であった。
二人は当然のように幸せな結婚生活を過ごしたのだが、2011年1月、彼らの行く末に暗雲立ちこめる事態が降りかかる。体調を崩したスティーヴは病院を訪ねたのだが、医者が告げた彼の病名は驚くべきものであった。それは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)。手足、喉、舌や呼吸に必要な筋肉が次第に痩せ細り力がなくなっていく不治の病で、極めて進行が速く、人工呼吸器を装着しない場合は患者の半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡する原因不明の難病である。
思いもよらなかった困難に直面し、右往左往するばかりのスティーヴとミシェル。だが、運命の神は、二人に更なる波乱を告げる出来事を示す。スティーヴがALSと診断された6週間後、妻ミシェルの妊娠が判明したのだ。
スティーヴは、まだ見ぬ子供のために、自分の記録を残そうとビデオダイアリーの撮影を始めた。
映画『ギフト 僕がきみに残せるもの』は、筋萎縮性側索硬化症患者が息子のために撮り続けたビデオダイアリーを、映像作家クレイ・トゥイール監督がまとめたドキュメンタリー映画なのだ。

映画の冒頭、カメラと正対したスティーヴは、こう言う。
「6週間後、あのベッドに君がやって来る。このビデオを撮るのは、僕がどんな人間か君に分かってもらうため」
スティーヴはただ命を永らえるのではなく、意志ある生き方を選択する。妻ミシェルに、まだ見ぬ子に、そして同じ病に苦しむ人に、目標に向かって前進することを示したのだ。それが人々を勇気づけると信じたスティーヴとミシェルは、「チーム・グリーソン」を設立した。
スティーヴたちはチーム・グリーソンで、同じALS患者を招待し海外旅行を楽しむ。トライアスロンに、スカイダイビングに挑戦する。ギネス認定の世界最大人数による「アイス・バケツ・チャレンジ」を敢行する。
『ギフト 僕がきみに残せるもの』は、単なる闘病記録ではなく、スティーヴ・グリーソンの戦いを記録したダイアリーなのだ。
2011年10月19日、スティーヴは生まれた息子に「リヴァース(Rivers)」と名付ける。スティーヴによると、火を生み出すのは、川なのだそうだ。実際、グリーソン家では、リヴァースがスティーヴの闘争心の火を生み出し続けている。リヴァースの存在が、ALSという難病へのリヴァース・アタック(Reverse attack=逆襲)の切っ掛けとなったことも、興味深い符合である。

スティーヴ・グリーソンと友人が撮影したビデオダイアリーには、スティーヴ、家族、そして多くの人々が活写されていた。
クレイ・トゥイール監督が作品として纏めた映画は、ALSだけでなく、人生との戦いの記録であった。
戦ったのは、スティーヴ・グリーソン一人ではない。彼の周りには、様々なプロフェッショナル……人生の達人たちが、いる。
リーダーシップの達人、ポール・ヴァリスコ。ミシェルの父親である彼は、チーム・グリーソンの纏め役だ。
撮影と介護とユーモアの達人、デビッド・リー。ビデオダイアリー撮影役の彼は、スティーヴの介護役をも買ってでる。そして、「ミシェルに脅されたから」とジョーク混じりに笑ってみせる。
失言の達人、マイク・グリーソン。スティーヴは、実父である彼と魂を通わせることを、心の底から望んでいる。
そして、芸術と愛と生活の達人、ミシェル・グリーソン。彼女が妻でなかったら、スティーヴの生活は全く違うものだったと断言できる。
誰も彼も、スペシャリストばかり……そう。「チーム・グリーソン」はまるで、アメリカン・フットボールのチームのようだ。
そしてそして、スティーヴ・グリーソン。戦うことの、達人だ。
ちなみに、リヴァースは、笑顔の達人である。

映画『ギフト 僕がきみに残せるもの』は、ビデオダイアリーという極めてパーソナルな映像が、スティーヴの元に結集した人々により、大いなるメッセージ性を内包するに至る。そして、トゥイール監督の手により、傑作ドキュメンタリーとなった。ALS患者、その家族、友人……筋萎縮性側索硬化症の当事者だけでなく、全ての人々に力を与える映画になったのだ。むしろ、ALSについて知らない人にこそ、観ていただきたい作品だ。
スティーヴ・グリーソンは、やがて来てしまうかもしれない話が出来なくなる日の備えに、自分の声をストックし始める。ALS、脳性麻痺、脊髄損傷などコミュニケーションに障害を持つ人に必要な音声合成機器の導入である。
だが、当時メディケアの方針で、アメリカでは音声合成機器の購入が保険適用の対象外であった。チーム・グリーソンでは、保健福祉省の長官に直訴し、やがて米国下院を、バラク・オバマ大統領を動かすに至る。人々は、この法案を「スティーヴ・グリーソン法」と呼んだ。

「No white flags(白旗は上げない)」、それがチーム・グリーソンの信念である。
是非とも劇場に足を運び、チームの不屈の戦いを胸に刻んでほしい。映画『ギフト』は、リヴァースの、スティーヴの周囲の人々のためだけでなく、全ての人々へのギフトとなろう。

ミシェルの夫で居続けるために、リヴァースの父であり続けるために、そして未だ見付かっていないALSの根治法を見つけるために……スティーヴ・グリーソンは、今この瞬間も果敢な「パント・ブロック」をし続ける――。

文:高橋アツシ

『ギフト 僕がきみに残せるもの』
8/19(土)より、ヒューマントラストシ­ネマ有楽町&渋谷ほかで全国順次ロードショー
配給 トランスフォーマー
© 2016 Dear Rivers, LLC

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その白旗に、パント・ブロック!『ギフト 僕がきみに残せるもの』レビューhttp://eigairo.com/wp-content/uploads/2017/08/IMG_20170812_001844-600x436.jpghttp://eigairo.com/wp-content/uploads/2017/08/IMG_20170812_001844-200x150.jpgシネマカラーズ先取りレビュー映画のえとせとらクレイ・トゥイール,スティーヴ・グリーソン,筋萎縮性側索硬化症アメリカン・フットボールは、19世紀後半にアメリカとカナダの大学で行われた対抗戦を起源とする、ラグビールールのフットボールから北米独自に進化を遂げた球技である。発祥地であるアメリカでは、「フットボール=アメリカン・フットボール」というほど人気が高く、スーパーボウル(Super Bowl ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)優勝決定戦)が行われる2月上旬の「スーパー・ボウル・サンデー」は事実上アメリカの祝日となっている。 そんな米国の国技・アメフトだが、日本での人気は高いとは言いがたい。筆者などは、かつてルールもろくに把握しておらず、1クォーター15分、計60分の試合時間のはずなのに何故ゲーム終了まで3時間も掛かるのか、と縁遠いスポーツとして傍観していた。 そんな時、ある友人がアメリカン・フットボールの解説をしてくれたのが、今でも心に残っている。曰く、「アメフトとは、陣地取りだ」と。なるほど、攻守を交替しながらボールを運ぶ様子をして「陣地取り」とは、中々言い得て妙だ。攻撃側には4回の攻撃機会が与えられ、ボールを奪われたり、規定の距離までボールを運べない(陣地を取れない)なら、攻撃権を相手チームに奪われることになる……ふむ、ルールが確立された陣地取りに他ならない。ボールが進んだ距離の計測は、知らずに観る分にはプレーを妨げる遅延行為としか写らないが、謂わばアメリカン・フットボールの真髄なのだ。 ボールを前に運ぶため、各チームは様々な戦術を駆使することになる。ランプレー(ボールを持って走る)、パスプレー(前方の選手にボールを投げる)、キックプレー(ボールを前方へ蹴る)……フィールドプレーヤー11人に対して1試合46人出場でき(リーグによっては上限無し!)、試合中何度でも途中交替できるアメフトでは、選手の役割が専業化していて、プレー毎に選手を総交替する場合すらある。走るスペシャリスト、投げるスペシャリスト、蹴るスペシャリスト、フィールドでは場面に応じたプロフェッショナル達が、高度なプレーで観客を魅了するのだ。 そんなプレーの専業化は、もちろん攻撃時だけに留まらない。守備側も、様々なプロ……タックルのスペシャリスト、パスカットのスペシャリスト、キックブロックのスペシャリスト達が、手薬煉を引いて迎え撃つ。2006年9月25日、NFC南地区に所属するNFLチーム、ニューオーリンズ・セインツの本拠地ルイジアナ・スーパードームは、伝説のプレーに沸きあがった。攻撃側であるアトランタ・ファルコンズのパントキックを、セインツのラインバッカーがブロック。このプレーはタッチダウンでの先制点に繋がり、試合はセインツの劇的な勝利となった。 番号37を付けた選手は、名をスティーヴ・グリーソンといった。元々パント・ブロックが得意なラインバッカーであったが、この日のプレーにより、一介の名選手からヒーローとなった。 当時ニューオーリンズは、フロリダ半島からメキシコ湾岸の諸州を中心に米国南東部に甚大な被害をもたらしたカテゴリー5(シンプソン・スケール)の大型ハリケーン・カトリーナからの復興を急いでいる時期であった。市内は水没し、インフラの損傷も壊滅的で、市民は屋根の大半が吹き飛ばされたスーパードームを長らく仮設住宅としていた。 カトリーナの襲来は2005年8月29日であるから、最大の被災地であるニューオーリンズ市民は実に13ヶ月もの間、セインツの帰還を待ちわびていた。そう、2006年9月25日は、被災後初めてスーパードームでホームゲームが開催された記念すべき日だったのだ。スティーヴが英雄になったのも、宜なるかなと言わざるを得ない。スティーヴ・グリーソンは、1977年ワシントン州スポケーン生まれ。学生時代からスター・ラインバッカーとして名を馳せ、2000〜08年までNFLのニューオーリンズ・セインツでプレーした。体格に恵まれた選手ではなかったものの、チームメイトから「カミカゼ」と称された度胸あふれるクレージーなプレイスタイルに、ニューオーリンズ市民は大いに魅了された。代表的なプレーがまさに2006年9月25日の「パント・ブロック」であり、後年モニュメントとなるほどのグレート・プレーとして、今も語り草になっている。 スティーヴにとってNFLを引退した2008年は、もう一つ人生のとびきりなビッグ・イベントがあった。ミシェル・ヴァリスコとの結婚である。「ザ・サウザン・マン(南部の男)」には珍しく旅好きで好奇心旺盛なスティーヴに、自由な精神の持ち主であるミシェルは理想の相手だった。知り合う前は「長髪のアメフト選手なんて」と思っていたというミシェルだが、スティーヴの人柄に触れるとすぐに認識を変えたそうだ。二人はまさに、「ツイン・ソウル(魂の半身)」であった。 二人は当然のように幸せな結婚生活を過ごしたのだが、2011年1月、彼らの行く末に暗雲立ちこめる事態が降りかかる。体調を崩したスティーヴは病院を訪ねたのだが、医者が告げた彼の病名は驚くべきものであった。それは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)。手足、喉、舌や呼吸に必要な筋肉が次第に痩せ細り力がなくなっていく不治の病で、極めて進行が速く、人工呼吸器を装着しない場合は患者の半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡する原因不明の難病である。 思いもよらなかった困難に直面し、右往左往するばかりのスティーヴとミシェル。だが、運命の神は、二人に更なる波乱を告げる出来事を示す。スティーヴがALSと診断された6週間後、妻ミシェルの妊娠が判明したのだ。 スティーヴは、まだ見ぬ子供のために、自分の記録を残そうとビデオダイアリーの撮影を始めた。 映画『ギフト 僕がきみに残せるもの』は、筋萎縮性側索硬化症患者が息子のために撮り続けたビデオダイアリーを、映像作家クレイ・トゥイール監督がまとめたドキュメンタリー映画なのだ。映画の冒頭、カメラと正対したスティーヴは、こう言う。 「6週間後、あのベッドに君がやって来る。このビデオを撮るのは、僕がどんな人間か君に分かってもらうため」 スティーヴはただ命を永らえるのではなく、意志ある生き方を選択する。妻ミシェルに、まだ見ぬ子に、そして同じ病に苦しむ人に、目標に向かって前進することを示したのだ。それが人々を勇気づけると信じたスティーヴとミシェルは、「チーム・グリーソン」を設立した。 スティーヴたちはチーム・グリーソンで、同じALS患者を招待し海外旅行を楽しむ。トライアスロンに、スカイダイビングに挑戦する。ギネス認定の世界最大人数による「アイス・バケツ・チャレンジ」を敢行する。 『ギフト 僕がきみに残せるもの』は、単なる闘病記録ではなく、スティーヴ・グリーソンの戦いを記録したダイアリーなのだ。 2011年10月19日、スティーヴは生まれた息子に「リヴァース(Rivers)」と名付ける。スティーヴによると、火を生み出すのは、川なのだそうだ。実際、グリーソン家では、リヴァースがスティーヴの闘争心の火を生み出し続けている。リヴァースの存在が、ALSという難病へのリヴァース・アタック(Reverse attack=逆襲)の切っ掛けとなったことも、興味深い符合である。スティーヴ・グリーソンと友人が撮影したビデオダイアリーには、スティーヴ、家族、そして多くの人々が活写されていた。 クレイ・トゥイール監督が作品として纏めた映画は、ALSだけでなく、人生との戦いの記録であった。 戦ったのは、スティーヴ・グリーソン一人ではない。彼の周りには、様々なプロフェッショナル……人生の達人たちが、いる。 リーダーシップの達人、ポール・ヴァリスコ。ミシェルの父親である彼は、チーム・グリーソンの纏め役だ。 撮影と介護とユーモアの達人、デビッド・リー。ビデオダイアリー撮影役の彼は、スティーヴの介護役をも買ってでる。そして、「ミシェルに脅されたから」とジョーク混じりに笑ってみせる。 失言の達人、マイク・グリーソン。スティーヴは、実父である彼と魂を通わせることを、心の底から望んでいる。 そして、芸術と愛と生活の達人、ミシェル・グリーソン。彼女が妻でなかったら、スティーヴの生活は全く違うものだったと断言できる。 誰も彼も、スペシャリストばかり……そう。「チーム・グリーソン」はまるで、アメリカン・フットボールのチームのようだ。 そしてそして、スティーヴ・グリーソン。戦うことの、達人だ。 ちなみに、リヴァースは、笑顔の達人である。映画『ギフト 僕がきみに残せるもの』は、ビデオダイアリーという極めてパーソナルな映像が、スティーヴの元に結集した人々により、大いなるメッセージ性を内包するに至る。そして、トゥイール監督の手により、傑作ドキュメンタリーとなった。ALS患者、その家族、友人……筋萎縮性側索硬化症の当事者だけでなく、全ての人々に力を与える映画になったのだ。むしろ、ALSについて知らない人にこそ、観ていただきたい作品だ。 スティーヴ・グリーソンは、やがて来てしまうかもしれない話が出来なくなる日の備えに、自分の声をストックし始める。ALS、脳性麻痺、脊髄損傷などコミュニケーションに障害を持つ人に必要な音声合成機器の導入である。 だが、当時メディケアの方針で、アメリカでは音声合成機器の購入が保険適用の対象外であった。チーム・グリーソンでは、保健福祉省の長官に直訴し、やがて米国下院を、バラク・オバマ大統領を動かすに至る。人々は、この法案を「スティーヴ・グリーソン法」と呼んだ。「No white flags(白旗は上げない)」、それがチーム・グリーソンの信念である。 是非とも劇場に足を運び、チームの不屈の戦いを胸に刻んでほしい。映画『ギフト』は、リヴァースの、スティーヴの周囲の人々のためだけでなく、全ての人々へのギフトとなろう。ミシェルの夫で居続けるために、リヴァースの父であり続けるために、そして未だ見付かっていないALSの根治法を見つけるために……スティーヴ・グリーソンは、今この瞬間も果敢な「パント・ブロック」をし続ける――。 文:高橋アツシ 『ギフト 僕がきみに残せるもの』 8/19(土)より、ヒューマントラストシ­ネマ有楽町&渋谷ほかで全国順次ロードショー 配給 トランスフォーマー © 2016 Dear Rivers, LLCシネマから、はじめよう。